『絶対内定』ではもう受からない! 今、この社会はどうなっているのか? 今、本当に求められている資質はなんなのか? 今、就職活動をどう乗り切ればいいのか? 日本を代表する社会学者にしてかつて東京都立大学(旧・首都大学東京)の就職支援委員会委員長を務めたこともある著者・宮台真司が語る、社会のこと、働くこと、就職活動、全てを串刺しにした画期的就活論。2011年に刊行され、今もなお就活生のバイブルとして読み継がれている『宮台教授の就活原論』から、一部を試し読み公開します。これから社会に出る若者と、働くことを見つめ直したい社会人のための必読書。理不尽な就活を強いるデタラメな社会を生き抜くために、就活の原理を共に学びましょう。
新入社員の3割が3年で辞める、3つの原因
新入社員の3割が3年で辞めるという現象があります。どんな背景があるのでしょう。原因は、学生側にも企業側にもあります。ひとつには「非正規雇用に落とされたくなければ死ぬほど働け」という要求が、とりわけ若い世代の正社員に向けられている現実があります。
2008年頃話題になった「偽装管理職問題」が典型です。若者はこういう状況に耐えかねて会社を辞めてしまう。これは城繁幸氏の指摘と同じです。他方で、僕が就職支援委員として見てきた現実があります。学生が仕事について「ない物ねだり」をしているということです。
巷の就活本には「適職を探さないから3年で辞める」などと書いてあります。それは違います。むしろ適職志向が強いからこそ会社を辞める。さっき言ったように、限界を試された経験もないのに「自分はこういう人間だからこういう仕事が適職」などとホザくのが問題です。
もうひとつの要因があります。グループワークをする力の欠如です。僕らが小学校の頃は班活動が当たり前。競争は班同士でなされ、できる子はできない子に教える。そこでつい「なんでこんなのが分からねえんだよ」などと言おうものなら、先生から大目玉。いい経験でした。
教えるにも教えられるにも人間関係上のコツが必要です。コツを学べば、教える喜びも教えられる喜びもあるのが分かるし、能力を皆のために使う喜びも、皆からリスペクトされる喜びも分かる。なのに、愚かな政治家と官僚のせいで、班活動から能力別編成にシフトしました。
愚かなのは政治家や官僚だけじゃない。できる子の足手まといになるから能力別編成にしろと要求したのは親です。同じ愚かな親が、部活をやる暇があったら塾で勉強しろなどと言うせいで、若い子たちは中高で部活に命がけで関わった経験がなく、長期間の合宿の経験もない。
それだけでも人材として問題です。部活経験が与えるものは沢山ある。第一は先ほどのグループワーク能力。第二はノイズ耐性。僕らの子供時代、弟や妹が騒ぐ横で勉強するのが普通でした。第三に集団ヒステリー現象。皆が奮闘することで、あり得ない力を発揮できました。
集団ヒステリー現象とは良い意味で言っています。僕は中学高校と空手部でした。夏冬の長期休業には合宿がありました。冬合宿では、氷点下で雪が降る中、砂場に水を張って、太腿まで浸されながら組手をしました。なぜそんなことができたのか、冷静になると分かりません。
僕にはそうした経験があるので、共同研究する場合も、こうした集団ヒステリー現象にメンバーを巻き込めないかと考えます。実際そうした巻き込みに成功したのが1987年から1992年までのサブカルチャー共同研究。成果が『サブカルチャー神話解体』という本です。
別の経験を話します。僕は大学院生時代に20ほどの研究会に所属していました。他方で年間3本の学術論文を書きました(普通の人は年に一本書けば良いほう)。両方の間には関係があります。僕は意図的に集団ヒステリー現象に自分自身を巻き込もうとしていたのです。
それに成功した御陰で、28歳までに10本以上の学術論文を書き、29歳には博士論文『権力の予期理論』で、東京大学では戦後5人目の社会学博士号を取得しました。ちなみに僕の卒業論文は原稿用紙550枚。修論は1400枚。集団ヒステリーのなせるワザです。
部活経験というと、経験値の低い大人は単に「協調性」の養成を考えます。それは数多ある効果のひとつでしかなく、概念としても平板です。リーダーシップをとる力を含めて「グループワーク能力」と呼ぶべきです。それに「ノイズ耐性」と「集団ヒステリー」が加わります。
部活で頑張る暇があったら塾で……と言う大人は単に愚かです。皆さんがそういう大人たちにスポイルされてきた可能性があります。その結果、共同作業も苦手で、ノイズ耐性もなく、集団ヒステリーの馬鹿力も発揮できない、使えない人材になった可能性があります。
今、学生たちのグループワーク能力は低レベルです。共同作業をさせると互いにストレスが溜まり、やがて人間関係が破綻し、プロジェクトが頓挫します。まさしく使える使えない以前の人材。こういう学生を育て、一流大学に入ったのだからと安心しているのは愚かな親です。
そうした学生たちが適職だなんだとホザくのは笑止千万です。学生たちを責めているのではない。まず皆さんに「そういう問題なのだ」と理解してほしいのです。そういう学生たちも、僕の経験では、ゼミで1年から3年ほど絞れば見違えるような偉い丈夫に成長できるのです。
「3年3割」の本当の問題
就活本の多くは、新卒者が適職を選べず3年で辞める傾向を問題視する一方で、雇用問題を扱った本は、雇用の流動性を上げるべきだと提言しています。ふたつは端的に矛盾します。国際標準の正解は「流動性を上げろ」です。「一生を捧げる適職を見つけろ」は一般に間違いです。
知られていませんが、「非正規雇用/正規雇用」をそのまま英語などに翻訳しても、僕たちが使う意味になりません。正規雇用とか正社員という概念が、終身雇用・年功序列・役職昇進・組合加入などの制度的慣習とワンセットになった、まさしく日本独特のものだからです。
ご存知のように、日本でも1997年からの平成不況の深刻化以降、終身雇用・年功序列・役職昇進はかなり崩れ、「名ばかり正社員」という概念さえ生まれました。他方、これも知られるように、さっきのワンセットに与かれない「非正規雇用」の割合も著しく増大しました。
失業した際にそれまでの実績や職業訓練を考慮して給付額や給付期間を定めるセーフティネットがあったり、再就職の際に大多数がステップアップできる多様な職業訓練機会が開かれていたりすれば、3年で3割が会社を辞めても問題ありません。それが先進国標準なのです。
問題なのは、城繁之氏も言うようにステップダウンしてしまう人が大半なこと。新卒一括採用の雇用慣行もあるでしょうし、セーフティネットを支えとした職業訓練機会が乏しいのもあるでしょう。でも、3年以内に辞める人々の多くが、労働力として質が悪い可能性もあります。
無理なのは、就職だけじゃない
就職相談に訪れた教え子に能力と適応力がある場合、既に述べた「なんでもやります、なんでもできます、その証拠にこんな実績があります」をベースに、「相手を観察して、相手が要求するものを臨機応変に出せばいい」と言ってきました。仕事の世界での実践的知恵です。
教え子には長らくそう言ってきましたが、2007年から就職支援委員会委員長の仕事をして、このアドバイス通りに行動できるだけでも実は相当のことだと分かってきました。前段もさることながら、後段の「相手の要求を掴まえること」に困難を覚える学生たちが多いのです。
組織社会学の定説ですが、組織では、公式ルールはいざという際の呼出線で、普段は成員が様々な期待の地平を抱き、暗黙に呼びかけ合いつつ仕事をしています。サッカーの試合でパスしたり仲間をカバーする際、こう来たらこう動くと暗黙に想定し合うのと同じです。
それがうまくできない人が増えているのです。期待の呼びかけ合いに応じられない。他者の視座をとれないからです。高偏差値大学を出ていても、大学や大学院での成績が良くても、そういう人は企業では使えません。場合によっては、単純作業さえできないかもしれない。
何事もそうですが、「いいとこ取り」や「つまみ食い」はできないのです。難しい言葉で言えば、全体をスルーした「部分的最適化」は、低いアウトプットにしかつながらないのです。つまり、他のことを放っておいて就職活動だけを成功させようというのは無理です。
子育てをしていると分かるのですが、子育ての能力とナンパの能力には共通性があります。期待の呼びかけ合いに応じるという点がそうです。他者の視座に立つ力が共通して重要です。言葉で逐一言われないと相手の要求が分からないのなら、ナンパも子育てもできません。
仕事で必要とされるのも同じ能力です。組立てであれ、営業であれ、販売であれ、設計であれ、グループワークには、その場にいる人々を観察し、期待による呼びかけと応答のやりとりをする能力が必要です。こうしたエクササイズをスルーしてきたなら、良い就職は無理です。
大学で教えて20年ですが、言葉で言われないと動けない学生や、限定された条件下でしかパフォーマンスを示せない学生が増えました。スイッチレス(スマート)でなく逐一スイッチを入れねばならない機械。25度から30度の範囲でしか作動しない機械。要はポンコツ。
限定された条件下でしか動けない人とは、静謐な個室を与えられないと集中して勉強できない人みたいなものです。人間関係が微妙だったり、個人的悩みがあったり、環境が変わったりすると、途端に鬱状態に陥り、無断欠席・欠勤するようなヘタレも、昨今は実に目立ちます。
ある時期だけ見ると優秀な学生たちに見えても、長期的には浮き沈みが激しいので、彼らのパフォーマンスを前提にした計画を立てられない……といったケースが、90年代後半あたりから増えてきました。経験的には、言葉で言われないと動けない学生たちの増大と並行します。
彼らを見ると、就活以前に解決すべき問題が山積みです。そうした問題を抱えないで済むような充実した学校生活を、思春期以降――中学・高校・大学を通じて――送ってきていないのが明らかです。そんな学生たちが就活や、就活以降の仕事で、成功できるはずがありません。
それだけではない。そうした問題を抱えた学生たちが、将来、充実した家族生活を安定して送れるのかどうかも疑問です。何度も言いますが、問題を抱えた学生たちが悪いのではない。こうした学生たちの育ち上がりを放置してきた親や社会にこそ問題があるに決まっています。
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この続きは『宮台教授の就活原論』本書にてお読みいただけます。
筆者について
みやだい・しんじ。社会学者。大学院大学至善館特任教授。東京都立大学教授。東京大学文学部卒(社会学専攻)。同大学院社会学研究科博士課程満期退学。大学と大学院で廣松渉・小室直樹に師事。1987年東京大学教養学部助手。1990年数理社会学の著作『権力の予期理論』で東京大学より戦後5人目の社会学博士学位取得。権力論・国家論・宗教論・性愛論・犯罪論・教育論・外交論・文化論で論壇を牽引。政治家や地域活動のアドバイザーとして社会変革を実践してきた。2001年から「マル激トーク・オン・ディマンド」のホストを務め、独自の映画批評でも知られる。社会学の主要著書に『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎文庫)、『日本の難点』(幻冬舎新書)、『14歳からの社会学』(ちくま文庫)、『子育て指南書 ウンコのおじさん』『大人のための性教育』(ともに共著、ジャパンマシニスト社)、映画批評の主要著書に『正義から享楽へ』『崩壊を加速させよ』(blueprint)がある。