大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”で育ったこだま。人も自然もまっすぐ生きるこの場所で起きた、悲喜こもごもの出来事をお届けします。(短期連載:隔週月曜日更新)
父ががんの宣告を受けて一年が経つ。切除できない部類であること。どの臓器や骨に転移してもおかしくないこと。コロナ禍でお見舞いも制限されている。もう家に戻れないかもしれない。診察に付き添った母から不穏な情報を一気に聞かされた私は「いやあ大変だよ」とお道化ながら夫に伝えた。心配したところで今は何もできない。そう割り切っていたつもりなのに、心身は確実にダメージを受けていたようで、そのあと私は寝込んでしまった。
不安を抱えて過ごした春から一年。
父は無事に退院した。ちゃんと生きている。むしろ活発になった。
私はできるだけ実家に帰るようにした。抗がん剤で落ち着いているものの、またいつ長期の入院になるかわからないから。
ある日、手土産のいちごを洗おうと台所に立った瞬間「わっ」と声が出た。目の前の窓から見える景色が一変していたのだ。通行人の視線を遮るように植えていた樹木がすべて消えていた。
慌てて外に出てみると、十本ほどの大きな樹が根元から伐採されていた。切り株が晒し首のようにぽこぽこと並んでいる。春には薄紅の桜が見事だった。少し遅れて白い花が咲くスモモの樹は真夏に甘酸っぱい実をつけた。秋にはホオノキの大きな楕円の落ち葉が地面を覆い、冬はクリスマスツリーのように尖ったトドマツに雪が積もった。四季の移ろいをいつもこの窓から眺めてきた。
父の仕業だとすぐわかった。なんて無残なことを。
大病を患うと他の生命を慈しむようになると思い込んでいたが、彼は違ったらしい。それどころか「伐らねば」と、わざわざチェーンソーを新調したという。
「寝たきりになったら剪定できないからって、動けるうちに大きな樹を全部伐っちゃったのよ。腰の曲がった老人と狸しか通らないんだから、ちょっとくらい枝が伸びたって迷惑にならないのにね。ゼロか百か、の人だから止めたって聞きやしない」と母が嘆く。
「体力ないからチェーンソーの振動にぶんぶん振り回されてさあ、危なっかしくて見てられなかったよ」と母はラジオ体操第一の体をねじる運動みたいな派手な動きで再現した。目玉をぐるぐる回しながら。完全に悪意がある。
極端な行動に走る父と、どこか他人事のように語る母。私はその両方の嫌なところを受け継いでいる。
庭の樹木は健在だった。いや、果たしてそうなのか。私が見慣れているだけかもれない。父の剪定センスは独特で、イチイなどの低木の針葉樹はどれも頂点に丸みのある、おかっぱ頭にされる。これしか技法を持たない。戦時中のような統一感だ。
以前、我が家を訪れた義理の母が「ご自分で刈っているのね」と、褒めるでもなく見たままの疑問を口にした。「前髪、自分で切ったでしょ」と指摘される恥ずかしさのような、「そうですけど?」と開き直りたくなるような、あの気持ち。
伐採もおかっぱ頭も一瞬ぎょっとするけれど、やがて、こんな作業ができるほど父は回復したのだという安堵にすり替わる。生きていてくれるならそれでいい。私も母も妹も「大目に見る」という許し方を覚えた。
それにしても、父の病状を語るとき、母はどこか楽しげだ。
あるとき「お父さん今日は全然喋らないね。かなり辛そう」と私が心配したら「補聴器が壊れて会話が聞こえないだけだよ」と母は笑い、耳元で「お、と、う、さ、ん、つ、ら、い?」と声を張り上げた。父は無言で首を振った。病だけでなく、老いのステージも着実に進んでいるのだと思い知らされるやりとりだった。
「この前、お父さんに可哀想なことしちゃったんだよ。間違えて腐った玉子サンドを食べさせちゃったの」
どういう間違いなんだよ。
「腐ったほうはお母さんが食べるつもりだったの。お父さんには買ったばかりのサンドイッチをあげるはずだったのに間違えて渡してしまったの」
普通の出来事のように言うけれど、お母さんも腐ったものを食べようとしないでよ。
「細菌にはくれぐれも気を付けるように言われていて、生魚も生野菜もやめていたのに、ダイレクトに腐ったものを食べさせてしまったの」
父は二日間、高熱を出し、母は担当医にこれ以上ないくらい説教されたという。
「大変だったよねえ」と母は西瓜の品定めをするように抗がん剤で薄くなった頭頂部や額の冷えピタをぺしぺし、ぺしぺしと叩いた。なぜか遠い昔を思い出すような、他人事のような顔をして。父は何も聞こえていないようだった。嫌がる様子もなく、ぺしぺしを黙って受け入れている。ふたりにしかわからない不思議なコミュニケーションだった。
チェーンソーを振り回して何かが吹っ切れたのか、父は外の世界と繋がりを持ち始めた。
高校の同級生タダシに誘われてヨガ教室に通い始めたのだ。タダシはマンション数軒の家賃収入で暮らす裕福で気の良いじじいで、昔から頻繁に我が家へ来ていた。
父は何かにつけタダシと張り合おうとする。若い頃は「あいつが新車を買った。俺も買う」と母にせびった。そのたびに「金持ちと同じ暮らしを望むんじゃねえ」と一喝されて終わった。ただ、母も毎回蹴散らすのは不憫だと思ったのか、家電だけはたまに承諾した。狭い居間に大きなマッサージチェアがあったのも、不釣り合いな大画面のテレビも、タダシの影響だった。
タダシが釣りに興味を持つと父も道具を揃えた。タダシの買った船に乗せてもらい、ふたりで沖に出た。ゴルフも麻雀もタダシに教わった。そんな感じで十代から七十代までつるんでいる。学生時代から付き合いのある友人がひとりもいない私には「幼馴染み」も「親友」もただただ眩しい。
タダシのやることはかっこいい。父はずっとそう信じている。だから、ヨガ教室にもすんなり入会した。もし母が薦めていたら「そんな女どもの教室に通えるか」と貶していただろう。
ヨガは体力の落ちている父に合っているようだ。今回ばかりは「タダシよくぞ誘ってくれた」と私も内心感謝した。タダシが一緒なら女性ばかりの教室だって何てことはない。そんな感じで楽しげに通っている。
父は七十代後半になっても新しい世界に飛び込める人だったのだ。私もその教室に通ってみようかな。父の変化に刺激された。そう長くはない父と同じ趣味を持ってみたくなった。父が外でどのように人と接しているのか興味もあった。こっそり入会して驚かせてやろう。よい思いつきだった。私と父とタダシで弓のポーズを決めたい。わくわくする。早速その教室を検索した。
それらしき画面をスクロールしていくうちに雲行きが怪しくなってきた。参加者の写真とともに「コロナワクチンには有害な物質が混入しており、接種すると国家にコントロールされる」「マスク反対」という警告文がたびたび挟まれている。どうやら講師の思想が強めだ。
父の教室ではありませんように。そう願いながら拡大した画像に、目を閉じ深く息を吐くノーマスク老人の姿。よく知るおじいさんがふたり仲良く並んでいた。
抗がん剤治療の真っ只中。免疫力が落ちているからマスクを外すなと医者に何度も言われていた。タダシや健康な人たちは勝手にすればよろしい。だけど、父はちょっとの風邪も命取りになりかねない。
「お父さんだけはマスクを着けて。お願い」
すぐ家に帰って頼み込んだ。こんなことで頭を下げる日が来るとは思わなかった。本当は退会してほしいけれど、それは言えない。
すると母も一緒になって「講師の根拠のない話を信じちゃ駄目」と力強く訴えた。人のこと言えないだろ、と思わず突っ込みそうになった。母は水素水をすすめる民間療法に傾倒し、食べ物でがんが消える系の本に付箋をたくさん貼っていた前科がある。つい半年前の話だ。そして、冷静な振りをしている私もまた作家志望の男に金を騙し取られた過去がある。私たちは誰のことも笑えないのだった。だから、せめて助け合いたい。三人のうち誰かは「それ変じゃない?」と言える状態でありたい。
「わかった、次からはちゃんとマスクをする」父は最終的に約束してくれた。
昨冬、父は念願のものを手に入れた。除雪車だ。
普通に生活していて「除雪車ほしいなあ」と考える人は少ないのではないか。帰省した日、玄関先に駐車する黄色い重機を見て「工事の人が来ているのかな」と思った。
知り合いから中古で購入したらしい。車体の塗装は剥げているが、タイヤは頑丈だ。前方に雪を運ぶバケットを備えている。冬場の車道で見かける本格的なものだった。
実際にこれが我が家の所有物だと思って眺めると笑ってしまう。要らないでしょ。せいぜい手押しタイプの機械で充分ではないか。
雪の多い地域ではあるけれど、稼働は一シーズンに数回。そのために買うなんてどうかしている。
「近所の家の前も除雪してるの?」
「俺はそんな慈善事業やらねえよ」
「うちの前だけ?」
「当然だ。軽油代がかかるだろ」
大きなものを買う度胸はあるのにケチなのだ。
母が笑いを噛み殺し「これ、見て」と指を差す。塗装の剥げたドア部分をペンキで塗った際、うっかりタイヤにこぼして失敗したらしい。ビャーッと飛び散る黄色のしぶきが父の悲鳴に見えた。
「せっかく機嫌よく色塗りしてたのに最後の最後で苦い顔になっちゃったんだよ」
実に父らしい結末だ。
先月、父の誕生日を妹夫婦とともに祝った。父は妹が買ってきたケンタッキーフライドチキンを頬張りながら「こんなに美味いものは生まれて初めて食べた」と感激していた。初耳である。続けて三つ食べた。集落にはケンタッキーがない。数年前にコンビニがようやく一軒できたばかり。畑と小中学校しかないような土地である。生きているうちに食べさせることができてよかった。父に関して知らないことがまだまだあるかもしれない。
夢中になって食べる父を見ながら、ここでも母が小声で言った。
「お父さん、もともと鶏肉を食べないのよ。唐揚げも嫌いだし。これが鶏肉だってことわかってないはず」
そんなことがあるだろうか。いや、父ならあり得るか。
「どうして鶏肉を食べないの?」
「お父さんは鶏肉を馬鹿にしてるのよ」
意味がわからない。でも、あり得るかもしれない。父ならば。
「フライドチキンの正体は教えずにおこう」私たちの意見は一致した。
「また買ってくるよ」と笑いを堪える妹に、父は「おう、頼む」と口のまわりを油まみれにして答えた。
最近ふと思い出し、件のヨガ教室のサイトを開いてみると、父とタダシが並んで開脚していた。あれだけ言ったのに、約束もしたのに、父はマスクをしていなかった。日付を遡ってもやはり着けていない。この野郎と思いつつ、どこか情けないじじいの開脚を見て「まあ、いいか」という気持ちになった。お父さん、全部バレています。
筆者について
エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。