編集者が知っておくべき無断使用のトラブル事例

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仕事を始めたばかりの編集者が、つまづきがちな「著作権」。肖像権、引用作法、美術や音楽の著作物性、著作物使用料、アイディア、新聞、広告の利用、保護期間、二次利用、送信可能化権、著作物利用契約、出版権設定契約……。書籍や雑誌の編集者は、多種多様な著作物を正しく取り扱う必要がある。著作物の無断使用によって起こった裁判例を検討しよう。

*この記事は、現在発売中の『新版 編集者の著作権基礎知識』から一部を転載したものです。

他人の著作物の無断使用

自由使用の許される「引用」のような場合には、「出所明示の義務」があるので、どの著作者のものを、どの本から借りてきたのか、というようなことを適当な方法で明示すべきだが、なかなか守られていない。冊子によっては、ことに美術的なものや写真などは、出所を明示しない場合が多いとさえいえる。また、巻末に一括して謝意を表するというようなことも散見されるが、それは、必ずしも、よいとはされない。「出所」は引用したものの掲載場所に近い位置に表示すべきなのである。

ところで、何といっても、新聞紙面やテレビのニュースを賑わすのは、著作物の無断掲載の場合である。OKをもらって使用すべき著作物を、「引用」だと、我流の判断をして、使ってしまうのである。出版を専業とする出版事業者──プロの編集者の引きおこすトラブルは、多様で複雑だが、その中で一番多いのが他人著作物の無断使用・無断掲載。原作品の関係者の不満や告訴がとび抜けて多い。

他人の著作物を無断で複製頒布することでおきた事件を並べてみる。

無断借用事件・文章の場合の例(損害賠償請求事件)

『将門記』という戦記文学がある。10世紀ごろのもの。完本・原本は現存していないが、多くの古典がそうであるように、いくつかの異本が伝わっている。それらには、それぞれ誤字や脱字、あるいは「紙魚しみ」、不鮮明な箇所や書写の誤りなどがある。それを、林陸朗という歴史学者が、学問的な方法によって伝本の校異こういを行ない、諸本の傍訓や返り点などを検証しつつ、用言の読みくだしに苦心の末、われわれにもわかる文語体に読みくだした。その訓読文は、史学に興味ある者に有益ということで、CS社から昭和50年の4月に出版されたが、同年10月には、その訓読文が違う出版者によって、『将門の旅』という題号の本に無断で転載された。「引用」としてではなく「転載」であるから、当然、許諾が前提であるべきだが、「読みくだし文」の原著作者のOKをとっていないのであった。そのNS工業という発行元が侵害者。底本とか伝本といわれる古典は、古いものであるから著作権はないが、この場合の校合きょうごうを経た訓読文のほうは、明らかに創作性を有し、原作から派生した、いわば二次的著作物として、権利の対象となる著作物である。

原告・林陸朗などと、被告NSによって争われたこの裁判は、当然、林側の優勢であったが、被告は、その争いの中で、①将門記の林陸朗作成の訓読文を著作物ではないとし、②著作物であったとしても「引用」(32条)によって許されるものと主張した。しかし、この2点の抗弁は否認されることになる(東京地裁・昭和57・2・8判決)

被告NSは、この訓読文の二次使用について、あらかじめ、著作者の了解を得ておかなかった。この場合の訓読文は、たとえば、源氏物語の作者とされる紫式部に、いま著作権はないが、谷崎潤一郎や円地文子の、そして新しくは瀬戸内寂聴の源氏物語の「訳」や「翻案」は、それぞれ新しい著作物として著作権が発生したのと同じである。外国文学の翻訳者がその訳文について、原作者と並行して権利を重ね持つのと同断である。因みに、訓読文のすべてが、その完成とともに著作権の対象であるかどうかは、ケース・バイ・ケースで速断できない。

翻訳権の侵害事件をひとつ紹介する。2008年6月24日、日本のメディアが伝えた。中国(北京と上海)の複数の出版社が、日本経済新聞に連載した『失楽園』(渡辺淳一、講談社、1997年)を無断で翻訳出版した。著作者が請求した賠償請求額は50万元(約780万円、当時)であった。

美術と写真の場合の例(その1)

何年か前に、東京芸大の先生が、外国の写真をもとに、無許諾で、それを克明に美術の作品に創り変えるという「事件」があった。新聞もこういう場合に「事件」という。2つの作品を並べて報道した。もとになった原写真は、著作権の存在する保護者作物。それを真似した絵画の、鳥の姿が原作品と酷似しているので、はっきりとした侵害であることは、素人にもわかる。旧法の言い方では異種複製だ。「引用」ではない。写真はしばしば、絵画などの制作に利用されるが、美術の著作者としては、あらかじめ率直に話し合って、許諾を得た上で利用するべきなのである。「真似」が悪いわけではないのだから。

写真を絵にする──してよい描き方もあろうし、いけない「表現」法もある。立派な大学の先生が、なぜ間違うのであろうか。引用という意識が迷路に入った例だ。

美術と写真の場合の例(その2)

また、劇画の中の「ひとこま」が、他人の写真から模写されることがある。このくらいなら──ということも多いが、中には、写真著作物を描法を変えただけで、すっぽり写し取るがごとき再表現によって、無断使用だと考えざるを得ない例も多い。1992年のはじめに話題になった『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社、1988~1996年連載)と、その下敷き=原作となった柴田三雄などの写真との関係もこれに近い例である。劇画の写真利用では、このような事例が多いが、原作者の諾を得ることはむずかしいのだろうか。

次のような言い方が、よいか悪いかは疑問だが、真似する作者や、それを見のがしたり容認する編集者に対して、あえていえば、「見ながら真似るな。頭の中に入れてから、自分の発想、自分の感性、自分の美意識で創り変えろ」というのが、筆者の頭の中にある声である。

写真の利用と人格権侵害――パロディーの場合

山の写真家・白川義員よしかずが、1966年にオーストリアで撮影した1枚の写真──雪山の斜面を、シュプールを描いて滑降するスキーヤーを撮ったもの。それはアメリカの保険会社のカレンダーに掲載された。

グラフィックデザイナーのマッド・アマノは、右の写真を無断で「部分利用」してバロディー合成写真を作って発表した。創ったと書くべきか。自川が怒って提訴、パロディー側は被告。

1 白川の写真の山の尾根の部分に大きなタイヤをはめ込んで、スキーヤーの上に大きくのしかかるタイヤを組み込んでモンタージュ写真を作成。これは、パロディーの作品としては、独立したマッド・アマノの著作物である。
2 自動車公害の現状を風刺したパロディーであるから、だから、無断でも、何ら、おかしくない
とマッド・アマノ側は主張した。白川の写真を引用(?)したのだと発言している。

はじめ、白川が求めたのは、著作権侵害による慰謝料50万円と、謝罪広告掲載であった。この、
1971年9月からの16年間の争いは、二度の上告審判決(最高裁・昭和54・3・28/昭和61・5・30)を経て、「和解」という決着であった。和解の内容は、はっきり原告の勝ちといえる。

受け入れられた和解は、
イ アマノ側が、著作者人格権侵害による慰謝料40万円を白川側に支払うこと。
ロ 謝罪広告は出さない。
というのであった。白川義員は完全主義者であり、名だたる「頑固」といわれるが、彼が和解に応じたのは、二度にわたる最高裁判決が、アマノ側の著作権法違反を認めていることや、アマノ側が、最終的に、著作者人格権を侵害したとして、慰謝料を支払わざるを得なかったという事実が確認されたからだという。

パロディーだから、無断で他人の著作物が使えるというわけにはいかないという確認は、日本の写真家にとってもパロディー作家にとってもたいへん重要なことである。因みに、フランス(著作権)(1992年)第122の5条(4)では、著作者は、公表された著作物について、「次の各号に掲げることを禁止することができない」(大山幸房・訳)とし、その例示の中で「もじり、模作及び風刺画。ただし当該分野のきまりを考慮する。」としている。パロディーと著作権法の関係は、国によって異なる。

1枚の写真が、ひとつの合成写真に組み込まれ、アマノの写真集に掲載されたということから始まった、このパロディー裁判は16年を要した。白川義員は、ひとりのサラリーマンの退職金に相当するような金員を費消することによって、創作者や編集者に多くの教訓を残した。最高裁判決で確定されたのは、「バロディーと評価され得るとしても、他人の著作物を改変し、その著作者人格権を侵害」したことは“イケマセヌ”というのであった。①引用という利用方法ではない。②著作財産権の侵害としての判断はしない。③原作の無断改変をして、著作者の同一性保持権を侵害したことを含めて、明らかに著作者人格権を侵したもの──というのが裁判の結論であった。

許される無断利用(写り込み)

一定の意図があって、被写体を選んで撮影する。その写真の端(一部分)に、偶然、予期しない人物なり著作物(絵や書跡など)が紛れ込んでしまうことがある。

そういう場合には、権利表現物(肖像や著作物)からの権利主張は遠慮してもらう。認めない。写真や映像の単なる背景を「写り込み」という。主題に対して付随的なものは無断無償で複製・頒布してよいという法律。アメリカではこのようなのをフェア・ユースと呼んでいる。日本の著作権法も、その発想を取り入れた(30条の2平成24年改正)。キャラクター商品の写り込みとか広告で使う書跡・美術品などのためである。

ただし、撮影者・写真の著作者が、意識的にやるのはダメだ。節度をもって拡大解釈を慎む前提での法文なのである。「写り込み」が法定される経緯を伝えた新聞記事としては、日本経済新聞の2009年1月19日朝刊「写真の端に写った絵画など」と2012年3月9日夕刊「キャラ写る写真容認」がわかりやすい。

* * *

『新板 編集者の著作権基礎知識』は2022年4月15日(金)より発売。A5版、256ページ、2,640円(本体2,400円+税)。なお、好評シリーズ“ユニ知的所有権ブックス”は、広告や動画・写真、商標の取り扱いなど、実務に沿った内容毎で1冊にまとめられ、太田出版より不定期に刊行されている。

筆者について

みやべ・ひさし。1946年東京生まれ。1970年、東京大学文学部倫理学科卒業、新潮社入社。以後30年間、書籍出版部、雑誌「新潮」編集部、雑誌「小説新潮」編集部で文芸編集者として作家を担当したのち、出版総務・著作権管理部署に異動、2009年著作権管理室長を最後に定年退職。日本ユニ著作権センターに勤務し、2012年代表取締役に就任。元日本書籍出版協会知財委員会幹事、元財団法人新潮文芸振興会事務局、元公益財団法人新田次郎記念会事務局長。

豊田きいち

とよだ・きいち。本名・豊田亀市。1925年東京生まれ。評論家。元・小学館取締役。小学館入社後、学習雑誌編集部長、週刊誌編集部長、女性雑誌編集部長、出版部長を経て、編集担当取締役、日本児童教育振興財団専務理事。日本雑誌協会編集委員会・著作権委員会委員長、日本書籍出版協会知財関係委員、文化庁著作権審議会専門員など歴任。著作権法学会会員、日本ユニ著作権センター代表理事。「出版ニュース」、「JUCC通信」、美術工芸誌、印刷関係誌などに出版評論、知的財産権・著作権論などを執筆。2013年没(享年87歳)。

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