ねそべるてつがく
第8回

遅くなりました

学び
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紀伊國屋じんぶん大賞入賞作『水中の哲学者たち』で話題の永井玲衣さんによる新連載「ねそべるてつがく」。つねに何かを求め、成長し、走り回らなければならない社会の中で、いかにして「考える自由」を探し求めることができるのか。「ただ存在するだけ運動」や「哲学対話」を実践する哲学者がつまづきよろめきながら、言葉をつむいで彷徨います。「考える」という営みをわたしのものとして取り戻す、新感覚の哲学エッセイ!  

「滑りやすいから気をつけて」

あなたが言った。しっとりとした雨が降りそそぐ坂道をわたしたちは歩いていた。木から落ちた葉っぱがくしゃくしゃに、灰色に濡れた道に折り重なっている。身体の触ったことのないような部分に力を入れて、おそるおそる下る。

ずるっという音がして、自分が滑ったことに後から気づく。わあ!とあなたが声をあげたのが聞こえて、足の付根が突っ張るのを感じる。「滑りやすいね」とあなたが言った。人生のようだ、と安易に思う。

日々を生きるということからどうしても滑り落ちてしまうような友だちがいる。たしかにわたしたちの人生は、雨の坂道のようにとても滑りやすい。どんなに気をつけていても、ふいにずるっと腰が落ちる。時に硬い道に身体を打ち付ける。まるで下へ、下へと引っ張られるようだ。

「まあ、どうがんばっても来世は虫なんだろうけど、せめてそうじゃない可能性を期待することくらいは許してもらいたいんで、いまのうちに祈ったりいろいろがんばりまひょ!」

友だちは、何度も滑り落ちながらも、そんな自分にきょとんとしているようなひとだった。周りは大きな悲鳴を上げるが、本人は滑り落ちていることにすら気がついていないようなこともある。彼は、わたしにこんなメールを送ってきた。もう何年も前のことだ。

まひょ、という音がとてもよかった。「どうがんばっても来世は虫」な友だち、そしておそらくわたし(あるいはこれを読んでいるあなた)は、ままならさを生きている。だが「せめて」そうではない可能性を期待して「祈ったり」、いろいろがんばったりする。

わたしはこのメールが、どんな名文と呼ばれる文章よりも好きだった。「祈り」という言葉が紛れ込んでいるのも好きだった。わたしが書くものには、よく「祈る」が出てくる。繰り返し、繰り返し、書いてしまう。

だが「祈る」とは一体何なのか、わたしにはわからない。ただ、祈るのは生きているうちでしかできない、と思う。

石原海というアーティストが撮った『重力の光 祈りの記録篇』という映像作品がある。元ホームレスのひと、極道だったひと、虐待を受けていたひと、病を抱えたひと、彼らと共に生きるひとなどが、北九州の東八幡キリスト教会に集っている。そんな彼ら9人が、イエス・キリストの受難劇を演じる。

途中で、これは演じているのか、それとも彼らそのものなのか、区別がつかなくなっていく。イオンで酒を飲むひとが天使になり、天使がイオンで酒を飲むひとになる。罪人であるひとがイエス・キリストになり、イエス・キリストが罪人になる。

石原海は『重力の光』を、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』から名付けたという。東京生まれの彼女が、つまずき転びながら北九州にたどりつき、そこに生きる彼らと過ごし、根をおろし、何かを見つけた。それを撮った。どうしようもなく、混沌に満ちていて、そして、ひどく美しい。

生きているだけで、重力に引っ張られて下へ沈んでしまいそうな気持ちになるけれど、祈ることで一瞬だけ重力から解放されてふわりと浮かぶことができる

石原海『重力の光 祈りの記録篇』ポスターより

ここにも「祈り」がある。気になった。映画館のアフタートークに呼んでもらったとき「祈りって何だと思う?」と石原海にたずねた。彼女は「祈りは、下心だと思う」と応えた。きれいなものにしないところが、彼女らしいなと思った。

わたしには神がいない。信仰がない。だがずっとずっと、神の問題はわたしのそばにあった。感じられない神を試したり、神に愛されようといい子ぶったりした。神がわからない。信仰がわからない。哲学を学んで、神学をかじっても、よくわからなかった。神の存在証明に取り組んだ哲学者たちの本を読んでぐったりしたり、神学部の授業に出てイライラしたりした。まだ全然わからない。なぜわかろうとしているのかも、わからない。

大学はカトリックだったので、先生の中に神父さんもいた。神父はきらいだったが、そのひとだけが好きだったので、彼が司祭になるミサだけは気まぐれに出席した。先生がわたしの頭の上にやわらかい手をおき、神の祝福があるように祈るとき、わたしは居心地悪い思いがした。

ふと目をやると、彼は目をかたくかたくかたくかたく瞑って、顔をくしゃくしゃにして、わたしについて祈っていた。聖堂の中は、木の香りと、絨毯の埃っぽい匂いで充満していて、頭がくらくらした。

わたしは「どうかこの先生のために神さまがいますように」と、神さまに引きちぎれるように祈った。

「神様、感謝します」が表だとすれば「神様、クソッタレ」は裏です。そのどちらもが信仰告白です。

奥田知志『ユダよ、帰れ』新教出版社、2021年、155ページ。

東八幡キリスト教会の牧師であり、長くホームレス支援をしているNPO抱樸の理事長である奥田知志さんはそう書く。『重力の光』にも知志さんは映っている。暗闇の中で灰色に光って、淡々と話している。今にも滑り落ちてしまいそうな、下へ、下へと引っ張られてしまいそうなひとたちと、知志さんは一緒にいる。

ヴェイユは、不条理を解決してくれない「見えない神」に神のあらわれを見た。知志さんは釜ヶ崎を見て「こんなひどい現実があるにもかかわらず、神がいないということでは困る」と牧師になった。わたしはいない神に、このひとのために神がいますように、と祈った。わたしたちは、よくわからないことをしている。

三人で話したとき、本当に絶望しているときは祈れない、と石原海は言った。知志さんは、絶望の中で、もはや祈るしかないときがあると言った。どちらも間違いではなく、どちらも本当なのだ。

大阪の西成区にある釜ヶ崎芸術大学(ココルーム)に行く。市民大学であり、ゲストハウスであり、喫茶店であり、表現の場でもあるふしぎな場所だ。コーヒーを飲んでいると、いろいろなひとがやってくる。一緒に夜もやってきて、みんなが夕飯の準備をしている。わたしはそれを見ている。

ふと「祈りって何だと思いますか?」と訊いてみる。ええ、とみんな言いながら、考えてくれる。電話が鳴ったり、誰かが来たり、コップを洗ったり、テーブルに皿を置いたり、誰かにお金を貸したりしながら、そのあいだあいだに、言葉がこぼれてくる。

「願うは誰でもできるけど、祈りは誰でもできるわけじゃない」

誰かが言った。祈ったことないなあ、と別のひとが言った。祈りは対象が見えにくい、煙幕たかれている感じ、とまた別のひとがご飯をよそいながらつぶやいた。

釜ヶ崎では8月に慰霊祭があった。三角公園で、その年に亡くなったひとの名前がひとりひとり読み上げられる。お坊さんの読経と、神父さんとシスターの祈りがあった。裸足のサンダルから、三角公園の砂が入り込んで、ざらざらした。

「あのとき、祈ってましたか?」とわたしは訊いた。わたしはあそこで自分が祈っていたのか、わからなかった。祈ってたのかなあ、と何人かが考えていた。三角公園に集っていたひとたちも祈っていたのだろうか。あの日、そのあとに行われる炊き出しのカレーを受け取るため、多くのひとが並んでひとりひとりの名前を聞いていた。

「電話でないですね」

「これひょっとしたら来ないパターンかもしれない」

会話が耳に入る。ゲストハウスに宿泊予定で、まかないの夕飯を一緒に食べる予定のお客さんが帰ってこないらしい。そのひとの分の皿も、机の上に並べられていて、みんなそのひとを待っている。

わたしは夕飯を食べずに、釜ヶ崎芸術大学を出発しなければならなかった。だが、そこを主催している詩人の上田假奈代さんを待っていた。彼女は別の場所に出かけていて、もうすぐ帰ってくるらしい。顔を見て、帰ろうと思っていた。假奈代さんの皿も並べられていて、みんなも彼女を待っていた。

「電車乗り過ごしたらしい」

假奈代さんからの連絡を受け取ったひとが言った。「出口やったと思ったら出口ちゃうかった」ようだ。まだ彼女は帰ってこない。お客さんも帰ってこない。

わたしたちは祈りについて考えながら、ふたりを待つ。じっと待っている。どこかで迷っている彼女を、連絡のつかない彼を、待っている。まるで祈るように。

NPO抱樸にも追悼集会がある。その話を聞いたことがある。そこで祈っていますか、とわたしはたずねた。知志さんは追悼集会で、最初は神にあれこれ祈っていたという。寒い中で死んだから、あたたかいところを用意してやってください。神さま、あとはよろしくお願いします。だが、神に願いながら、自分は何をしていたんだと問い返されてしまったという。自分はそのひとに何ができたのか。何をしていたのか。

語りの祈りは、やがて沈黙になり、聴くことの祈りになった。黙って耳を傾けて、待った。それが祈りだった。それでも神は黙っていた。それでもなお、その沈黙を聴き、待ちつづけた。祈れないということが、祈りだった。

祈りとは一体何なのだろうか。ますますわからなくなった。でも、巻きついた問いが少しだけゆるんだような気もした。

「すいません、遅くなりました」

スーツケースを持って、お客さんが釜ヶ崎芸術大学に飛び込んできた。慣れない道と雰囲気に、とまどったようだった。少しだけ肩で息をしている。急いでここに来たのかもしれない。瞳が揺れていた。

まかないの皿が並ぶ机で、彼を待っていたひとたちは「食べましょう」とおだやかに言った。すでにもう食べはじめているひともいた。ご飯と、切ったキャベツと、卵と肉を炒めたものと、煮物と、胡麻和えと、お茶が並んでいる。假奈代さんはまだ帰ってこない。もう行かなければならない時間だった。

わたしは机の端っこで広げたパソコンを片付けながら「こんにちは」とそのひとに言った。そのひとは「こんにちは」と言って、汗をふいた。

筆者について

永井玲衣

ながい・れい。哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と漫才と念入りな散歩が好き。

  1. 第1回 : ぱちん
  2. 第2回 : まだいます
  3. 第3回 : 豆乳鍋と抵抗
  4. 第4回 : ぬるり
  5. 第5回 : 重いの
  6. 第6回 : 絶句
  7. 第7回 : 笑う
  8. 第8回 : 遅くなりました
  9. 第9回 : 手のひらサイズ
  10. 第10回 : ひとがいる
  11. 第11回 : ずるい
  12. 第12回 : つながっている
連載「ねそべるてつがく」
  1. 第1回 : ぱちん
  2. 第2回 : まだいます
  3. 第3回 : 豆乳鍋と抵抗
  4. 第4回 : ぬるり
  5. 第5回 : 重いの
  6. 第6回 : 絶句
  7. 第7回 : 笑う
  8. 第8回 : 遅くなりました
  9. 第9回 : 手のひらサイズ
  10. 第10回 : ひとがいる
  11. 第11回 : ずるい
  12. 第12回 : つながっている
  13. 連載「ねそべるてつがく」記事一覧
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