観光地ぶらり
第6回

店を選ぶことは、生き方を選ぶこと 秋田・横手

暮らし
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「B-1グランプリ」がもたらしたもの

食を通じたまちおこしの機運は、少しずつ盛り上がりを見せていく。その流れを決定づけたのは、やはり「B-1グランプリ」だろう。記念すべき第1回目の大会は、2006年2月、青森県八戸市の八食センターで開催された。

「やっぱり、B-1グランプリの前と後では全然違います」。そう話してくれたのは、伊藤一男さんの跡を継ぎ、横手やきそば暖簾会の理事長を務める三浦勝則さんだ。昭和43(1968)年生まれの三浦さんは、秋田の名産品の卸・販売をおこなう「三浦商店」の2代目として、横手やきそば暖簾会の立ち上げにも関わり、現在は横手やきそばの店「麺’sクラブ」を切り盛りしている。

「最初のB-1グランプリは、八戸せんべい汁研究所が企画して開催したんですけど、そのきっかけになったことのひとつが三国同麺だったそうなんです。ご当地グルメのイベントも、タイトルをつけてアピールすれば、全国的に知ってもらうことができるんだ、と。それで八戸せんべい汁研究所の皆さんがB-1グランプリを企画されて、われわれ横手やきそば暖簾会にも『参加しませんか?』と連絡をいただいたんですね。これ、返事はなんと出すべと福龍さんに聞きにいくと、『いや、行ってみるべ』と。福龍さんはそういう方なので、もしも合わないと感じたら、今後も参加するかどうかはあとで考えればいいから、こうして声をかけてもらえたんだから参加しよう、と」

現在でこそ多くの団体が参加するB-1グランプリだが、第1回大会ではたくさんの団体に声をかけたものの、集まったのは10団体だったという。

横手やきそば暖簾会の理事長を務める三浦勝則さん

「その当時、東北新幹線の終点は八戸だったんですね」と、三浦さん。東北新幹線が大宮―盛岡間で開業したのは、昭和57(1982)年のこと。それから四半世紀が経ち、2002年に盛岡-八戸間が開通している。ただ、2005年には北海道新幹線の建設工事が始まり、やがて東北新幹線と直通運転が始まることになっていた。

「北海道新幹線が開通すれば、八戸は終着駅ではなくなってしまう。八戸で必ず降りなきゃいけないうちに、八戸を知ってもらおうということで、八戸せんべい汁研究所を立ち上げたそうなんですね。せんべい汁もそうですけど、地元で昔から食べられているんだけども、あまりにも馴染み過ぎて『それでまちおこしができるのかい』と思われているような料理で地域の活性化を始めた町が、あの時代にいくつもあったんです」

室蘭やきとりに、富良野オムカレー、青森生姜味噌おでん、八戸せんべい汁、横手やきそば、福井の浜焼き鯖バラちらし寿司、富士宮やきそば、鳥取とうふちくわ、小倉の焼うどん、久留米やきとり——これらの料理でまちおこしに取り組む団体が全国から集まり、第1回B-1グランプリが開催された。八食センターには1万7千人の来場者が詰めかけ、富士宮やきそば学会がゴールドグランプリに、横手やきそば暖簾会がシルバーグランプリに輝いている。地域に根ざした知られざる郷土料理やご当地グルメが、「B級グルメ」として脚光を浴び、まちおこしに繋がる——その反響は大きく、翌年に富士宮で開催された第2回大会には21団体が参加し、首都圏から近いこともあって25万人もの来場者で賑わった。2009年には横手市で第4回大会が開催され、26万人を動員し、横手やきそば暖簾会は見事ゴールドグランプリに輝いた。

「正直なところ、横手市の職員のなかにも、『やきそばでまちおこしなんてできるんだろうか』と思っていた人は多いと思うんです」。現在、横手市観光部観光おもてなし課で“やきそば担当”を務める西野伸さんはそう振り返る。「私自身、やきそばでまちおこしは難しいんじゃないかと、当時は思っていたんです。ただ、第1回のB-1グランプリが開催されたあたりから、連休になると町の食堂さんに行列ができるようになったんです。横手はホテルの数も限られているもんですから、横手でやきそばを食べたあと、宿泊は別の街にという方も大勢いらっしゃると思うので、人数として把握しづらい部分はあるんですけども、週末になると町の食堂に行列ができるようになったんです。それまではもう、行列なんて見たことなかったですから、目に見えるかたちで『あれ、観光のお客さんが増え始めてるよ』と実感するようになったんです。仙台あたりからでも、2時間ぐらいで横手までこられるので、近隣からドライブがてら横手やきそばを食べにこられる方が増えてきましたね」

横手市内にある「かまくら館」には、横手やきそば暖簾会がゴールドグランプリに輝いた際に贈呈された「金の箸トロフィー」のレプリカが展示されている

B-1グランプリの横手大会が開催されたのは、2009年の秋だ。2009年といえば、麻生太郎内閣によって高速道路の「休日上限1000円」制度が導入された年だ。景気対策の一環として、休日に地方区間を通行する普通車は、ETCを搭載していれば1回の通行料金の上限が1000円に割引されるようになったのだ。この制度が導入されると、この制度を利用してちょっと遠くまでドライブにと、おすすめスポットをこぞって紹介していた。この制度自体はわずか2年で廃止されることになったのだが、片道1000円で出かけられるのなら、ちょっと遠出してドライブに、という機運が高まっていたことは、「B級グルメ」のブームに拍車をかけたのではないか。

冷蔵庫の中には茹で麺のやきそばが入っている

第6回姫路大会の開催に合わせて出版された『B-1グランプリ極ウマ完全ガイド2011』(KKベストセラーズ)を開くと、実に63団体が紹介されている。掲載された料理を眺めていくと、江戸時代や明治時代から続く知られざる郷土料理が多数存在する一方で、横手やきそばや富士宮焼きそばのように、戦後間もない時代に誕生した料理も数多く登場する。終戦から六十数年が経過し、戦後という時代も遠い過去になりつつある時代には、戦後の暮らしを支えた日常的な食もまた、“歴史的”な食になりつつあったのだろう。こうして全国各地のご当地料理が「B級グルメ」として脚光を浴びてゆく。

過去に9度も四天王に輝いた、「食い道楽」(本店)の牛バラやきそば

「県南のこのあたりの地域って、横手やきそばが広まる前だと、有名な食文化というと稲庭うどんぐらいしかなかったんです」。西野さんとともに“やきそば担当”を務める佐藤洋介さんが語る。稲庭うどんは、横手市の隣、秋田県湯沢市で昔から食べられてきたうどんだ。「秋田で郷土料理というと、きりたんぽが有名ですけど、あれは県北の食文化なので、県南のものは全国的にはあまり知られていなかったんです。そこに横手やきそばが有名になって、それをきっかけに横手のことを知ってもらえるようになったんですよね」

横手やきそばを目指して観光客が押し寄せるようになったことで、いちばん変わったのは「市民の意識」だと西野さんは振り返る。

「横手やきそばが有名になる前だと、横手のPR活動のために東京や大阪に行っても、『横手ってどこ?』と言われていたんです。横手から出ていった人たちに、『横手ってどういうとこ?』と聞いても、『田舎で何もないところ』だとか、『雪が多いところ』とか、ネガティブな話が多かったんですよね。ただ、『横手やきそば』という言葉が生まれたことで、横手を知ってもらえるきっかけにもなりますし、郷土に想いを馳せるきっかけにもなったんです」

「横手出身の方でも、進学や就職で県外に出られる方というのは多いんですよね」。横手やきそば暖簾会の理事長・三浦さんはそう語る。「地元を離れたことで、『ああ、あのやきそばって、他の場所だと食べられないんだ』と気づくんですね。自分が食べてきたのはあのやきそばだって思いを、皆さんふつふつと抱えてらしたみたいで、横手やきそばでまちおこしが始まったときから、県外にいる横手出身の方からたくさん反響をいただきました。また、横手やきそばがメディアに取り上げられることで、地元を誇れるようになるんですね」

「出端屋」の横手やきそば。2002年に横手やきそば研究会が開催した「第1回横手やきそば大賞」で大賞を獲得したお店だ

たったひとりの市役所職員がやきそばを食べ歩き、ホームページを作成したところから、横手やきそばは全国的に知られる存在となった。横手大会でゴールドグランプリを獲得した際には、およそ34億円もの経済効果があったと試算されている。ただ、横手やきそばによるまちおこしが盛り上がりを見せるにつれ、ひとつの“誤解”も広まってゆく。B級グルメによるまちおこしは、それを提供するお店が商品を売り込むための企画と勘違いされるようになったのだ。僕もまた、「B-1グランプリは、ご当地グルメを全国に売り出すためのイベント」と勘違いをしていたひとりだ。

「これは私がいつも言っていることで、いちばん大切だと思っていることなので、ちょっと申し上げますね」。伊藤一男さんはそう前置きしして、語り始めた。「まちおこしをして、観光客の皆さんにきてもらう——これもすごく大事なことではあるんです。でも、それが1じゃないんですね。いちばん大事なのは、地元の人が『私らが昔から食べてるのはこのやきそばなんだ』って誇りを持つこと。食堂でもやきそばを食べるし、冷蔵庫の中には茹で麺のやきそばが入っていて、家庭でも横手やきそばを普段から食べている——これがまちおこしなんですね。そういう状況があるからこそ、『横手の人たちは、うまそうにやきそば食べてるから』と、近隣の人たちが横手に足を運んできてくれる。そのあとに観光なんですね。私はずっとその考え方でやってます。観光のお客さんは、一生に一度か、何年かにいっぺんしかきてくれないんですよ。だからまず、地元のお客さんや、仕事で横手に出入りしている人たちが、日常的に立ち寄ってくれる店を目指していかなければ駄目だって、私はいつも言っているんです」

過去に3度四天王の座に就いた、「北海屋」の横手やきそば

B級グルメでまちおこしをするのは、全国にご当地グルメを売り込もうとしている——そうした“誤解”は、観光客の思い上がった考え方だったことに気づかされる。それは観光客に向けたPRとして立ち上げられたものではなく、まちおこしを通じて郷里に誇りを持つための取り組みだったのだ。

「横手やきそばでまちおこしというのは、横手やきそばだけが売れればいいという話ではないんです」と、三浦理事長は語る。「やきそばを食べに横手にきてもらった方には、たとえばフレンドールのメロンパンを紹介するんです。あそこのメロンパンも、昔から地元の皆さんが食べてきたものだから、ぜひ食べてみてもらいたい。そうやって、横手やきそばをひとつのきっかけとして、横手を知ってもらいたいという思いがあるんですね。最初の頃は『やきそばてまちおこしなんて無理だ』と言われましたけど、活動を続けることで、地元にとって誇れるものに変わってくる。なんにもないとこだと思って暮らしていたけど、自分たちは誇れるものを持っていたんだと思うことが、地方が今置かれている状況を乗り切るためのひとつの手法になってくるんじゃないかと思いますね」

「フレンドール」のメロンパンは、ふわふわした食感と上品なクリームの甘さ

横手に宿泊した日、地元紙・秋田魁新報の一面トップには、「佐竹知事 4期目折り返し」という記事が掲載されていた。その記事は、「若者定着 独自策を」と見出しが打たれ、「佐竹知事が就任した2009年4月から先月までの14年で県人口は約17万8千人(16%)減り、92万2802人となった。県は子育て支援の拡充などさまざまな対策を打ってきたが、人口減に歯止めはかかっていない」と書き起こされていた。

横手市の人口も、秋田県と同じような推移を辿っている。太平洋戦争が始まる頃から横手市の人口は増加し、昭和30年(1955)年にピークとなる14万6千人を記録している。そこから都市部に人口流出が始まり、昭和50年代にはしばらく横ばいとなったものの、昭和57(1982)年に再び減少に転じ、それ以降は右肩下がりだ。2000年の10万3千人から、20年後の2020年には8万5千人にまで減っている。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、今後も急速に人口は減少し、2040年には5万8千人に、2060年には3万5千人にまで落ち込むとされている。

「われわれ事務局がいちばん力を入れているのは、小学校でやきそばの授業をすることなんです」。横手市職員の西野さんはそう聞かせてくれた。「小学校のカリキュラムで、地域のことを学習する授業がありまして、各学校の3年生を対象に、横手やきそばの話をしてまわっているんです。そうやって横手やきそばのことを知ってもらうことで、20年後に地元に根付いてくれるんじゃないかと思っているんですね。それに、横手やきそばを提供する店主の方たちは高齢の方も多いんですけど、もしかするとお店を引き継ぎたいという人も出てくるんじゃないかと期待しているんです」

「朝菊」の横手やきそば。アットホームなお店で、「やきそばができるまで、これでも食べてて」と、漬物を出してくれた

昭和57(1982)年生まれの僕が小学生だった頃にはもう、地域の歴史を学習する授業があったと記憶している。ただ、小学生だった頃の僕が、自分が生まれ育った町のことを調べてみても、「源平の戦いがあった頃に、ここに身を伏せていた人物がいる」という伝説が残る神社があるくらいで、小学生が「歴史」と聞いて思い浮かぶような謂れはほとんど見当たらず、寂しい気持ちになったことを思い出す。ただ、どんな町にだって歴史はある。当時の自分には、それを見出す目を持てていなかったのだろう。数十年前に「横手はなにもないところだよね」と語っていた人たちのように、自分が生まれ育った町にある、生活に根ざしたささやかな歴史を、見逃してしまっていただけだったのだろう。

せっかく横手を訪れたのだから、一食でも多く食べてみたいと思い、横手やきそば暖簾会に加盟しているお店を訪ねてまわった。「元祖神谷焼そば」。「朝菊」。「食い道楽」(本店)。「藤春食堂」。「福龍」(道の駅十文字店)。「出端屋」。「北海屋」。「喫茶とやきそば ふじた」。「皆喜多亭」。滞在する48時間のあいだに、9皿のやきそばを平らげた。ひとくちに横手やきそばと言っても、お店ごとに個性がある。「横手の製麺業者が製造するゆで麵を使用する」というルールを守っていれば、オリジナルのやきそばを提供できるようで、豚ひき肉ではなく牛バラ肉や豚の角煮がトッピングされた横手やきそばもあれば、「プルコギやきそば」や「カレーやきそば」という一風変わったメニューもある。

「皆喜多亭」のカレーやきそば。もとはドライブインだったという来歴にも心が惹かれる

「地元の人たちだと、自分が通うのはここだって決まってる人も多いですね」。取材で話を伺った皆さんは、口を揃えてそう語っていた。観光客としてどこかの土地を訪れると、せっかくだからとあちこち食べ歩いてみたくなるけれど、そこに暮らすとなると、通うお店はおのずと決まってくるのだろう。最近出版されたばかりの新刊に綴られていた言葉が頭をよぎる。

飲食店は、料理や酒を出して利益を得ているだけの存在ではない。店主はそれぞれ、こんな料理を世の中に提供したいという志をもって開業し、それが支持されて繁盛店にもなり、何代も続く老舗にもなる。それが文化でなくて何であろう。老舗とまではいかなくとも、町に根付き、人々に親しまれているのであれば、立派な文化である。

しかし、これについては国民の側にも問題がある。

昨今、ネットで話題の店を食べ歩く者の何と多いことか!

うろうろと店を食べ歩くなど、大人のすることではない。それは、食事という具体的な営為を、情報の蓄積競争と取り違えているだけの、幼稚な勘違いに過ぎない。

そうした人たちにとっては、ある町で長く親しまれた名店が閉店したとしても、人が集まる店が一つなくなったに過ぎず、また別の人の集まる店に行けばいいだけのことだ。

しかし、私にとって飲食店はそういうものではない。

この連載で、とんかつ屋、蕎麦屋、おでん屋、居酒屋、割烹など十八軒を取り上げたが、いずれも私が人生をかけて選んだ店であり、取り換えのきかない店ばかりだ。

例えば、第一回で紹介したとんかつ屋「丸八」。

この店のハムサラダとポークソテーで酒を呑み、ロースかつでしめる幸せが失われたら、それは私の生活の一部がなくなるに等しい。

福田和也『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』河出書房新社

店を選ぶことは、生き方を選ぶことだ。わたしたちは、絶えず何かを選んでいる。ただ、「人生をかけて選んだ」と言いきれるほど意識的に選ぶことは稀で、ほとんどの場合何気なく選んでしまっている。横手滞在中に食べ歩いたやきそばも、どういう基準で選んだのかと問われると、ぼんやりとした言葉しか返すことができない。

「喫茶とやきそば ふじた」の横手やきそば。お味噌汁と副菜もサービスでついてくる

取材で話を聞かせてもらった三浦理事長の「麺’sクラブ」は、定休日だったので訪ねられなかった。あるいは、「福龍」(道の駅十文字店)のやきそばは食べられたけれど、そこは伊藤一男さんの甥にあたる伊藤亮さんが切り盛りするお店だった。伊藤一男さんが営む「福龍」は現在、週に1日しか営業していないのだという。「福龍」は自家製麺を使用しており、外から注文も舞い込むため、麺作りで大忙しなのだ。

「最近は人材不足ですから、いっくら募集をかけても人がこなくて、店をやめようかとも思ったんですよ。もう、年齢も年齢ですからね。ただ、いつも来てくれるお客が、『絶対に続けてくれ』というもんだから、今は月曜日だけ営業してるんです。そうすると、月曜日でないと食べられないからと、お客さんが集中して忙しくなりましてね。道の駅にも店は出してるんですけど、『やっぱりこっちで食べたい』と、わざわざきてくれる人もいるんです。おんなじものをおんなじように作っても、やっぱりどっか違うところがあるんでしょうね。作っていても、『今日はちょっと違うな』と思う日もありますし、もっと美味しくできるんじゃないかといつも考えてるから、満足してません」

週に一度だけ営業する「福龍」には、伊藤さんのあじを求めるお客さんが通い続けているのだろう。お店のカウンターには「値下げしました」と貼り紙があった。ひとりで切り盛りしていることもあり、お客さんを待たせてしまうからと、値下げすることにしたのだという。「福龍」のあじには、単に料理のうまさというだけではなく、伊藤さんの人柄も含まれている。

ひとつの店に通うということは、数あるお店から一軒を選び取るということであり、その店に通う人生を選択するということだ。それは、店主がつくりだすあじに、自分の人生をかけて対峙する、ということでもある。そんなふうに通い続けている店が、僕の暮らしのなかには何軒あるだろう。新幹線の車窓の景色を眺めながら、東京に戻ったらまずどこのお店に出かけようかと考えていた。

*   *   *

橋本倫史『観光地ぶらり』次回第7回「しまなみ海道」は2023年6月21日(水)17時配信予定です。

筆者について

橋本倫史

はしもと・ともふみ。1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(筑摩書房)、『市場界隈』、『東京の古本屋』(以上、本の雑誌社)、『水納島再訪』(講談社)がある。JTA機内誌『Coralway』で「家族の店」連載中。フリーペーパー『まちぐゎーのひとびと』発行中。(PHOTO by kawachiaya)

  1. 第0回 : プロローグ わたしたちの目は、どんなひかりを見てきたのだろう
  2. 第1回 : いずれ旅は終わる 愛媛・道後温泉
  3. 第2回 : 人間らしさを訪ねる旅 八重山・竹富島
  4. 第3回 : 一つひとつの電灯のなかにある生活 灘・摩耶山
  5. 第4回 : 結局のところ最後は人なんですよ 会津・猪苗代湖
  6. 第5回 : 人が守ってきた歴史 北海道・羅臼
  7. 第6回 : 店を選ぶことは、生き方を選ぶこと 秋田・横手
  8. 第7回 : 昔ながらの商店街にひかりが当たる 広島/愛媛・しまなみ海道
  9. 第8回 : 世界は目には見えないものであふれている 長崎・五島列島
  10. 第9回 : 広島・原爆ドームと
連載「観光地ぶらり」
  1. 第0回 : プロローグ わたしたちの目は、どんなひかりを見てきたのだろう
  2. 第1回 : いずれ旅は終わる 愛媛・道後温泉
  3. 第2回 : 人間らしさを訪ねる旅 八重山・竹富島
  4. 第3回 : 一つひとつの電灯のなかにある生活 灘・摩耶山
  5. 第4回 : 結局のところ最後は人なんですよ 会津・猪苗代湖
  6. 第5回 : 人が守ってきた歴史 北海道・羅臼
  7. 第6回 : 店を選ぶことは、生き方を選ぶこと 秋田・横手
  8. 第7回 : 昔ながらの商店街にひかりが当たる 広島/愛媛・しまなみ海道
  9. 第8回 : 世界は目には見えないものであふれている 長崎・五島列島
  10. 第9回 : 広島・原爆ドームと
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