観光地ぶらり
第8回

世界は目には見えないものであふれている 長崎・五島列島

暮らし
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観光地でわたしたちが目のあたりにするもの

坂井さんに別れを告げて桐古里郷を発ち、北に進んでいく。海岸沿いを走っていくと、いくつも教会を見かけた。ひたすら海沿いを北に進むと、やがて青方という港に出る。港のまわりにはびっしり建物が並んでいて、コンビニまで見かけた。福江島以外ではコンビニを見かけなかったから、都会に出てきたような心地がする。ここから東に進んでゆくと、有川という港がある。いたるところに港がある。ここはかつて捕鯨基地として栄えた港だ。瀬戸内から出稼ぎにきた漁師たちが、ここで鯨漁に従事していたのだという。また、このあたりには瀬戸内海に浮かぶ倉橋島出身の船大工も多かったそうだ。

有川を通り過ぎて、さらに東に進んでゆく。朝からの移動距離は50キロに近づいている。最初に訪れた福江島の時点で気づいていたけれど、五島列島を自転車でめぐるというのは無謀な計画だった。残量の少なくなってきた電動アシストを駆動させ、どうにか峠を越えたところに、友住という集落があった。ここを通り過ぎ、狭いトンネルを抜けると、赤い橋が見えてくる。ここが中通島の東端で、橋の向こうは頭ヶ島(かしらがしま)だ。

頭ヶ島は、江戸時代の終わり頃まで無人島だった。頭ヶ島と中通島のあいだにある「孕瀬戸(はらみせと)」は流れが早く、かつての領主・宇久氏の妻が妊娠中に急流に飲まれて命を落としたことから、その名がついたのだという。しかも、島は全体的に傾斜地が多く、水資源に乏しかったため、住み着く人がいなかったのだ。そこに目をつけたのが、久賀島の前田儀太夫だった。安政4(1858)年、前田儀太夫が頭ヶ島の開拓を藩に申し出て、西彼杵半島のひとびとに入植を勧めたところ、10名あまりの希望者があらわれた。開拓の地に選んだのは、島の北側にある海岸沿いの土地だ。頭ヶ島自体が急流に隔てられている上に、険しい山に囲まれていることもあって、周囲に憚ることなく信仰を持つことができた。慶応3(1867)年には、この地に潜伏キリシタンがいると聞きつけたクゼン神父が頭ヶ島を訪れ、ミサをおこなっている。そこには30名ほどの島民が集まり、信仰を表明し、カトリック教徒となった。

明治初年に五島崩れが起こると、頭ヶ島でも信徒31名が捕えられ、拷問を受けた。迫害から逃れるように、島民たちは一時的に島を離れたが、明治6(1873)年に信仰の自由が保障されると島に戻り、明治20(1887)年に木造の教会が建てられた。それから20年余りが経った頃に、頭ヶ島の信徒たちは新しい教会の建設に乗り出した。数々の教会を手がけた鉄川與助に設計を依頼し、島の石を切り出して教会を建ててゆく。巨大な石は数人がかりでしか運べず、1日に数個運ぶので精一杯だった。資金不足によって工事は何度も中断を余儀なくされたものの、昼間は教会の建築に従事し、夜はイカ釣り漁に出て資金を稼ぎ、10年近い歳月を費やしてようやく完成したのが、現在の頭ヶ島天主堂だ。島には現在もカトリック教徒が8世帯ほど暮らしており、頭ヶ島の集落は世界遺産に登録されている。

頭ヶ島天主堂を前にすると、石造りの荘厳な佇まいに圧倒される。中に入ると、椿をモチーフにした花柄模様が随所にあしらわれており、可愛らしい空間が広がっている。6年前の夏、『祈りの島を訪ねて〜五島列島〜』というドキュメンタリー番組で頭ヶ島天主堂のことを知ってから、いつか足を運んでみたいと思っていた。全国的にも珍しい石造りの教会だということもあるけれど、そのドキュメンタリーに登場する女性の姿が印象的だったからだ。

その女性というのは、頭島サナさん。彼女の日課は、教会に続く道を掃除すること。画面に映し出されるサナさんは90歳近く、腰はほとんど直角に曲がっているけれど、塵取りと箒を持って家を出て、100メートルほどの道を2時間かけてきれいにする。「もう無理すんなって、みんなが言うてくるっとさ。それでもなあ、やっぱり、しつけた、、、、仕事はなあ。ちらかっとれば黙ってはおれんでさ」。画面のなかでサナさんはそう語っていた。その姿に、信仰というもののありようが詰まっているように感じられて、胸を打たれた。

番組の後半、サナさんの名前が刻まれた墓石が映し出された。サナさんは癌を患っていて、撮影の半年後に亡くなったのだ。だからもう、頭ヶ島を訪れても、サナさんの姿を見ることはできなくなってしまった。

ぶらりと観光に出かけて、わたしたちが目のあたりにすることができるのは、現在の姿だけだ。こう書くと、現在の姿を見るのはたやすいことのようになってしまうけれど、現在というのは案外とらえどころがない。もしもサナさんが生きているうちに頭ヶ島を訪れていたとしても、サナさんが掃除をする時間帯に通りかからなければ、その存在に気づくことはなかっただろう。ぴったりそのタイミングに訪れることができたとしても、立ち止まって声をかけることもなく、通り過ぎていただろう。今回の旅でも、井持浦教会の近くで、若松大橋のあたりで、道の清掃をする人たちを見かけたけれど、自転車を止めることもなく通り過ぎた。しかし、いきなり声をかけられても、向こうも戸惑うだろう。ましてや世界遺産に登録され、大勢の観光客が訪れるようになった場所に暮らしている方からすると、声をかけられるのが億劫になるかもしれない。観光客にとってはたった一度きりの触れ合いでも、相手にとっては何万回と繰り返してきたやりとりかもしれないのだから。それでも誰かの声に触れたいと思ってしまうのは、佇んでいるだけでは見えてこないものに触れたいと思うからだ。この世界は、目に見えるものだけでできているのではなくて、目には見えないものであふれている。

今から60年ほど前に、民俗学者の宮本常一は五島を巡り、頭ヶ島にも足を運んでいる。年寄りの話がききたいので、年寄りのいる家を紹介してほしい」と頼まれた郷長は、頭ヶ島に暮らす高齢者全員に声をかけた。郷長の家に集まった老人たちと対面した宮本常一は、「いずれも頑丈で、しかも清潔な感じの人びとで、明るく生きいきとしていて、いわゆる老人くささがない」と、その印象を綴っている。

私はこんなにあかるく充実した老人たちの群にあったことはきわめて少ない。一人ひとりにあうときにはみな充実感をもっているけれども、群をなしている老人にあうと、中にひねくれたり、しなびたり、暗い感じの人がいるものである。それが少しもない。写真をとっておけばよかったのを、話がはずんで、ついそのことを怠った。

この清潔さは長い苦難の生活にたえつつ、信仰によって支えられ、その苦難におしひしがれることがなかったためであると思われる。しかもこの人たちは、この島で畑をつくるだけでは生活をたてることができないから、みんな出稼ぎして来、歳をとっておちついて生活するようになったものである。

この老人たちの中には、南氷洋で鯨を追った人もあれば、ブラジルで働いた人もある。シンガポールにいた人もある。小さな島の中のみに生きつづけた人ではなかった。そして、そのような外でのはげしい働きの後、島へかえって静かに余生をおくっている。そして島はこの人たちにとって天国にひとしいという。お互い気心がわかりあい、明るい天地と澄んだ空気。何一つ不平はありません、というのが老人たちの言葉であった。

宮本常一『私の日本地図5 五島列島』(未來社)

高台から、頭ヶ島の集落を見下ろす。教会の前に集落が広がり、その向こうに海が広がっている。海の近くには墓地があって、墓石の上には十字架が見える。宮本常一が出会った老人たちはここに眠っているのだろう。だからもう、僕はその姿を目にすることができない。でも、こうして書き綴られた言葉を通じて、ずっと昔の姿に、ほんの少し触れることができるような気がする。だから僕も、ぶらりと観光に出掛けた先で出会った景色を、言葉を、こうして書き留めている。

*     *     *

橋本倫史『観光地ぶらり』次回第9回「広島・原爆ドーム」は2023年8月30日(水)17時配信予定です。

筆者について

橋本倫史

はしもと・ともふみ。1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(ちくま文庫)、『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場の人々』、『東京の古本屋』、『そして市場は続く 那覇の小さな街をたずねて』(以上、本の雑誌社)、『水納島再訪』(講談社)がある。(撮影=河内彩)

  1. 第0回 : プロローグ わたしたちの目は、どんなひかりを見てきたのだろう
  2. 第1回 : いずれ旅は終わる 愛媛・道後温泉
  3. 第2回 : 人間らしさを訪ねる旅 八重山・竹富島
  4. 第3回 : 一つひとつの電灯のなかにある生活 灘・摩耶山
  5. 第4回 : 結局のところ最後は人なんですよ 会津・猪苗代湖
  6. 第5回 : 人が守ってきた歴史 北海道・羅臼
  7. 第6回 : 店を選ぶことは、生き方を選ぶこと 秋田・横手
  8. 第7回 : 昔ながらの商店街にひかりが当たる 広島/愛媛・しまなみ海道
  9. 第8回 : 世界は目には見えないものであふれている 長崎・五島列島
  10. 第9回 : 広島・原爆ドームと
連載「観光地ぶらり」
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