大阪篇第2弾。大阪にいるからにはハシゴ酒をしないわけにはいかない。同行の関西勢の4人がすでに次の店を決めているようだ。前回のとくなが酒店を出て歩いて10秒後、次の目的地にたどり着いた。道路に面した引き戸が大きく開いていて開放感がある。白く染め抜かれたオレンジ色の大きなのれんが風に揺れている。あの時間は本当に現実だったのだろうか。
とくなが酒店ですっかりいい気分になった我々だったが、せっかく大阪にいるからにはハシゴ酒をしないわけにはいかない。1時間ほど楽しんだあたりで僕以外4人の関西勢が「そろそろ松久へ移動しますか」などと話しはじめている。どうやら次の店は決まっているようだ。これまた、着いていくのみ。
店を出、少しずつ夕方の空気が混ざりだした商店街をふたたび歩きだす。この散歩がちょうどいい酔いざましになりそうだ。と思っていたら、その10秒後、斜め前にあった店の前でメンバーが立ち止まる。どうやらここが次なる目的地らしく、大阪ハシゴ酒において、酔いざましなどしているヒマはないようだ。
堂々たるコの字カウンターのみの店で、道路に面した引き戸が大きく開いていて開放感がある。しかも店の右側も小さな路地になっており、そちらの扉も開け放たれているからよく風が抜けるようで、「大衆酒場 松久」と白く染め抜かれたオレンジ色の大きなのれんが、景気良く風に揺れている。ちょうどカウンターの角がL字に空いていたので、そこに陣取らせてもらうと、ほとんど外との境界がない店にも関わらず、まったく暑さによる不快感がない。
目の前の冷蔵ケースには、らっきょうやお新香などのちょっとしたつまみだけでなく、下処理された魚の切り身や、色鮮やかなとうもろこし、トマトなどの素材も整然と並んでいて、目に楽しい。そこからまず選んだのがゴーヤーのおひたし。その苦味と、今自分のいるシチュエーションに強烈に夏を感じ、いきなり多幸感に包まれる。
松久は昭和初期から続く老舗酒場だそうだが、現在店を仕切っているのは、みなから「かっちゃん」と呼ばれている若きイケメンの3代目。とてもパワフルで魅力的な方で、その明るいキャラクターを慕ってか、ほぼ満席のカウンターで飲む常連さんたちは世代も性別も幅広い。
メニューも多く、昔ながらの「関東炊き」(おでんの関西での呼び名)「ホルモン焼き」「串かつ」「とん平焼き」「焼きそば」「もやし炒め」などなどがずらりと並んでいるかと思えば、「自家製かぼちゃグラタン」「チーズの唐揚げ」「ローストラム」「トマトナムル」「松久フライポテト」(松久の部分に“まっく”のふりがなあり)といった、今ふうのセンスのものもあれこれ。名物のひとつであるという「だし巻き」を使った「だしまきサンドプレミアム」なんて、この店を象徴するメニューかもしれない。「じゃりんこ焼き」「みょうがのヒロピー」なんていう、名前を見ただけではどんなものかわからない品もあって悩ましい。

酒メニューもまた豊富ななかから“三代続く元祖チューハイ復活”とあった「元祖チューハイ」(税込450円)をお願いすることにした。これは焼酎を「二階堂」「黒霧島」「喜界島」の3種類のから選び、超炭酸で割ったもの。僕は大好きな黒霧島に。いわゆる芋のソーダ割りだが、これが昭和の早い時代から飲めたとは、初代のご主人もかなりハイカラな人だったのかもしれない。
とくながの時点ですでに満腹に近づいており、メニュー選びはおのずと慎重になるが、シンプルに好物の「ニラ玉」(350円)を選んでみた。するとこれがかなり意外なスタイルで、僕が今まで食べてきたどのニラ玉よりも、玉子の比率が少ない。言いかえればニラがたっぷりすぎるというわけで、しゃきとろのニラの甘みと塩気で酒がすすむ。
カウンターの中央が調理場になっていて、どの席からでも料理を作っている様子がよく見える。店主さんは料理を作りながらもあっちこっちに気を配り、お客を笑わせ、気づけば僕のような一見客も含めた一体感が店内全体を包んでいる。
同行の友達が、僕が東京から来ていることを伝えると「どうもありがとう! 気になることがあったらなんでも聞いてや!」と。そこで調子にのり、厨房の真んなかにあった重厚な鉄板を指差して「その鉄板、かっこいいですね」と言うと、「年季が入ってるでしょう? 一度新品に取り替えたら、お客さんに怒られたんで戻したんですわ」とのこと。すかさず横の常連さんから「あのときは味が全然違ったもんな」と合いの手が入り、また笑いが起こる。
そんな鉄板で焼かれるこれまた名物メニューのひとつが「バーベキュー焼き」(1本350円)。鉄串にぶ厚く切られた豚ばら肉が3つと、そのあいだに玉ねぎとしししとう。これを上から大きな鉄のヘラを押し付けながら、じゅーっと焼きあげる。
届いた串は迫力抜群。醤油ベースのたれがよく絡んだ肉は、ひとつほおばるだけで口いっぱいになる大きさだ。そこからじゅわりと豚の脂の旨味、さらに鉄板で焼きたての香ばしさが広がり、あぁ、また大阪にやってこられて良かった……と、しばし目をつぶるのだった。
今思い返してみると、あの時間は本当に現実だったのだろうか? とすら思えてくる。記憶のなかの光景のはずが、いつか見た映画のワンシーンのように感じられてしまう。それはあの圧倒的な空気感と、極上の酔い心地によるものだったのだろう。
だけど今日もあの場所には松久という店があって、多くの酒飲みたちがごきげんに酔っぱらっているはず。そして当然、僕がまた行くことだってできる。そう思えるだけで、嬉しい店だ。

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『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第31回は2025年9月4日(木)17時公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。