観光地ぶらり
第3回

一つひとつの電灯のなかにある生活 灘・摩耶山

暮らし
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『ドライブイン探訪』の著書による新作ルポルタージュ連載。日本各地の「観光地」をぶらりと旅しながら、そこで暮らす人たちの声を拾い、その土地の今昔の切断面を描く。ここ3年ほど神戸に立ち寄ると、中華街や異人館街ではなく、より生活の場に近い場所を訪れるようになった。この日、あるゲストハウスが主催するツアーに参加するため、久しぶりに灘を訪れた。

誰かの思い出が詰まっている場所

ホテルの窓から六甲山地が見渡せる。足元に視線を移せば、中華街の看板が見える。朝7時とあって人通りはなく、シャッターが下ろされた店の前を鳩が歩いている。この部屋からは見えないけれど、すぐ近くに海が広がっているはずだ。

寝ぼけた状態のままホテルをチェックアウトし、鯉川筋に出ると、人波に飲み込まれる。駅からメリケンパークの方向にむかって、サラリーマンがずんずん進んでいく。流れに逆らうようにして駅へと歩く。今日は月曜日だから、どこか殺伐とした空気が流れているように感じる。通勤時間帯に出歩くと、それだけで心が重くなる。

JR元町駅前には広場があった。その片隅に「FROM KOBE TO THE WORLD」と書かれたモニュメントが立っている。雑草が生い茂るモニュメントの下には、「海外移住者の通った道」と書かれた石碑があった。

神戸は1858年の開港以来、世界から「人」、「もの」、「文化」のわが国への受け入れ窓口として役割を果たすとともに、数多くの海外移住者を送り出した移住基地でもあった。

現在、全世界に約250万人の日系人が生活しているが、そのルーツは、明治以降世界に向けて旅立った104万人の日本からの移住者であり、うち約40万人が神戸から出発した。

1928(昭和3)年には、海外移住者の出発前の準備施設として諏訪山のふもとに「国立神戸移民収容所」が設置され、日本中から移住者は神戸に集まり、日本での最後の日々を過ごした。かつて移住者は、収容所から移民船の待つ港まで歩いて坂道を下っていった。この記念碑は収容所から港までのちょうど中ほどに位置し、移住者が実際に通った歴史的な坂道をしるすものであり、この道は神戸から世界へ通じる道でもある。

2001年12月 神戸市

移住者たちはこの鯉川筋を歩いた頃には、どんな街並みが広がっていたのだろう。最初の移民船となる笠戸丸が神戸港から旅立ったのは、明治41(1908)年のこと。船の行き先はブラジルだった。最初の移民船の出港から100周年を記念して、2008年には鯉川筋にブラジル国花のイペが植樹されている。

高架は耐震工事が進められていて、何度となく通った中華料理店は姿を消していた

耐震工事が進む高架をしばらく眺めて、JR神戸線に揺られる。元町の次は三宮で、ほとんどの乗客が降りていった。そのひとつ先が灘(なだ)である。改札を抜けて北口に出てみると、三宮から一駅とは思えないほど落ち着いた時間が流れている。こどもを乗せるカゴを前後につけた自転車が行き交う。美容院の前には「保育士さんいます」と立て看板が出ていた。

神戸を観光するとなると、真っ先に思い浮かぶのは中華街であり、異人館街であり、ポートタワーのあるハーバーランドだろう。僕自身、神戸に立ち寄ったとき、いつも足を向けるのはそういったエリアだった。より生活の場に近い場所を訪れるようになったのは、ここ3年のことだ。

この日、久しぶりに灘を訪れたのは、灘駅の近くにある「ゲストハウス萬家(まや)」が主催するツアーに参加するためだった。出発時刻は正午で、まだ3時間近くある。駅から続く緩やかな坂道を上がっていくと、王子動物園の看板が見えてくる。天気も良いことだし、ここで時間を潰すことにする。600円払って入場すると、入ってすぐの場所にフラミンゴの群れがいる。ちょうど餌やりの時間らしく、飼育員が檻の中に入ってゆく。フラミンゴは餌に群がるでもなく、飼育員から遠ざかるように移動していく。その様子を、小さなこどもが見つめている。

「赤いほうがおっきい」

「え、ほんと?」

「うん。赤いのが大人だと思う」

「みんな大きいねえ」

親子がそんな会話をしていると、突然一羽が鳴き出す。呼応するように他のフラミンゴも鳴き出し、大合唱になる。遠くで別の鳥も鳴いている。平日とあって客はまばらで、のんびり動物を眺められる。路面に書かれた「←パンダ」の文字に従って進んでいくと、パンダ館がある。見物客を整列させるための柵が二重に設置されているけれど、体調管理のために当面のあいだは観覧中止になっているらしく、がらんどうになっている。笹を積んだ軽トラックが通り過ぎていくのが見えたから、この園内のどこかにパンダはいるのだろう。

さらに奥へと進んでいくと、放養式動物舎がある。ここにはチンパンジーやオランウータンなどサル類が飼育されている。フサオマキザルのエリアの前にも家族連れの姿があった。

「ほら、お猿さんだよ」

「お猿さん、降りてきた。なんで上から降りてきたの?」

「お猿さんはね、木にのぼったり降りたりするんだよ」

「なんで?」

「なんでだろうねえ」

放養式動物舎の2階にある休憩所にまわってみると、そこには誰もいなかった。その一角に献花台が置かれ、メッセージを添えた花やお菓子がたくさん供えられている。そのエリアに暮らしていたチンパンジーのアーリーは、つい先日亡くなったばかりだ。アーリーに限らず、チンパンジーやゴリラの訃報を知らせる貼り紙があちこちにある。チェリーさんありがとう。ありがとうヤマト。サクラやすらかに。ジョニーさん、ありがとう。それらの貼り紙の近くには、何枚も写真が飾られている。目の前には誰の姿も見当たらなくても、ここは誰かの思い出が詰まっている場所なのだと感じる。

園内にはこぢんまりした遊園地もあった。メリーゴーランドにティーカップ、チェーンタワーに飛行塔。アンパンマンの乗り物もある。平日だから人はまばらだけれども、休日には親子連れで賑わうのだろう。宇宙ロケットのような外観をした「ビックリ宇宙遊泳」というのもある。あれは一体どんなアトラクションなのだろう。いずれにしても時代を感じさせる。こんな空間は、新しく再現しようと思ったところで作ることはできないだろう。しかも王子動物園は市営とあって、中学生以下と65歳以上は入場無料だという。こんなふうにのんびり過ごせる憩いの場を存続させているのは素晴らしい街だ。

灘に来るたび、お寿司を食べている

王子動物園をあとにして、阪急王子公園駅近くのガードをくぐり、水道筋に出る。この道の下には水道が通っている。第一次世界大戦後の好景気により、港町である神戸には多くの産業と人口が集まるようになり、水の需要が増えてゆく。これに対応するべく、第二回水道拡張工事によって水道管が敷かれ、その上に現代の道路を通したのだという。この水道筋を進んでいくと、やがてアーケード街に切り替わる。東西に延びる水道筋商店街は、途中で南北に延びるアーケード街「灘センター商店街」と交差する。この灘センター商店街に入り、少し北に進むと、今度は灘中央市場と交差する。この市場を抜けた先には灘中央筋商店街があり、その向こうにはかつて畑原(はたはら)市場が広がっていた。

ここにはかつて、畑原市場があった。現在はマンションの建設工事が進んでいる

神戸市が誕生したのは、明治22(1889)年のこと。神戸市に小売市場が整備され始めたのも、第一次世界大戦の頃にまで遡る。大正7(1918)年に米騒動が起こり、食品の価格が暴騰したことを受け、公設市場の開設を求める声が神戸市に寄せられる。これを受け、神戸市は同年11月に東市場と中央市場をオープンしたのを皮切りに、市内各所に公設市場を開設していく。この公設市場に先駆けて、大正7(1918)年9月に38店舗が集まって誕生したのが畑原市場だ。かつては「小売市場と風呂屋ができれば、その土地は発展する」と言われており、神戸市内には公設市場だけでなく、無数の施設市場が開かれ、その周囲に住宅街が発展してゆく。水道筋のあたりには今でも市場が密集しているけれど、30年前には灘区だけでも10か所以上は市場があったのだという。

今から3年近く前、僕が初めて灘区を訪れたときにはまだ、ここに畑原市場が存在していた。だが、その直後に市場は閉場し、現在は跡地でマンションの建設工事が進められている。そこに市場があったところを、一度しか見たことがないから、ほんとうにここが市場の入り口だったのかどうか、ひとりでいると心許なくなる。市場があった路地を抜けると、その先にある畑原東市場は今も営業を続けている。その真ん中あたりに、「寿し豊(とよ)」というお寿司屋さんがある。灘に来るたび、ここでお寿司を食べている。

「昔はね、寿司屋じゃなかったんですよ」と、女将さん。「うちのお母さんは昭和21年頃はここに来てるんやけど、終戦間もなしやから、バラックみたいな市場だったみたいです。物作るんが好きやったみたいやね。それで父親とふたりで商売してたんです。ある時期からは漬物屋さんは甥御(おいご)さんに任せて、うちのお母さんが『寿司屋したい』言うて、こっちの果物屋だったところで寿司屋を始めてね。最初は素人やからね、職人さんを雇って、教えてもらいながらやってたみたい。それが始まりやね」

「昔は牛乳も売ってたんと違う?」と大将。

「そうそう、牛乳も売ってたわ。あの頃はなんでも売ってたよ。お父さんとお母さんがしてるときは、まだこんなじゃなかったから、お寿司屋さんになってからもおうどん系を出したりもしてたんです」

畑原東市場がある場所は、戦前は畑原市場の一部だった。空襲の被害を受けた畑原市場の跡地で立ち上がったのが畑原東市場なのだという。

上にぎりセットを注文して、さっそく握ってもらう。細巻・赤出し付で1650円。それに、ビールも頼んでしまった。今日はこのあと、「ゲストハウス萬家」が主催するツアーに参加するのだと伝えると、「遠いとこ、来てくださって」と女将さんが言う。ゲストハウスからここまで、1キロほど。旅行で訪れている身からすると、すぐ近くに感じられる。でも、生活している感覚からすると、その距離は遠く感じられるのだろう。

この一帯には市場が密集している。ここから西に進めば、灘駅前に大石市場があった。都賀川(とががわ)の東向こうには将軍市場があり、さらに東に進むと宮前市場があり、高羽市場があり、地蔵市場があった。直線距離にすれば3キロほどの範囲に、これだけ市場があったのだ。「小売市場と風呂屋ができれば、その土地は発展する」という言葉に依って考えると、市場ごとに生活圏が築かれていったのだろう。だから、わずか1キロの距離でも遠くに感じられるのだろう。灘の向こうには三宮があるけれど、「三宮に行くんやったら、着ていくもんも変わるぐらいでしたよ」と女将さんは笑う。

大将が小気味よくお寿司を握ってくれるのを眺めながらビールを飲んで、出来上がりを待つ。大将は三十数年前まで三宮にある寿司屋で働いていたのだという。

「東京は江戸前握りやけど、関西は箱寿司を出すとこが多いんです。ただ、そこは“立ちの店”ゆうて、職人がお客さんの前に立って寿司を握るお店ですねえ。そこの寿司屋は、今は三宮でいちばん高いんと違うかな。高級店やと、また独特の雰囲気があって、立っているだけでもビリビリしますよね。あの頃はバブルの時代やったから、『交際費で落とせる』ゆうて、接待交際してへんのに社員だけで食べに来てるお客さんもいましたねえ」

三宮で働いていた大将は、女将さんと結婚する。最初のうちは三宮の寿司屋に勤め続けていたけれど、ここで「寿し豊」を切り盛りする義理のお母さんから手伝いを頼まれることがちょくちょくあった。二足の草鞋を履いているようで、三宮の寿司屋の大将にも悪い気がして、「寿し豊」を継ぐことに決めたのだという。大将の名前は「豊(ゆたか)」。ただ、大将が女将さんと知り合うずっと前から、お店の名前は「寿し豊」だった。

「うちのお母さんが雇っていた職人さんが、『寿し豊』という名前で始めたんですよ」と女将さん。「別にその人の名前に『豊』という字が入ってたわけでもないんやけど、なんでか知らんけどその名前にしはったんやね。それ、すごいでしょう? 私がこの人のこと全然知らん頃から、その名前やったわけやからね。びっくりしたわ。不思議なことがあるもんやね、なんや運命的なものがあるんやろかって、笑うてたんですけどね」

寿し豊の上にぎりセット(1650円)。たこがとてもやわらかい

おふたりに話を聞きながら寿司をツマんでいると、軒先にお客さんの姿が見えた。「寿し豊」ではお寿司のテイクアウトもやっていて、店頭には箱寿司や巻き寿司がいくつか並べてある。

「これ、アナゴに替えてもわられへん?」

「どれと替えます?」

「巻き寿司と替えて。巻きは4つも要らんわ」

「はいはい。何個にする?」

「巻きは2個にして、あとは違うの入れて。お稲荷さんでもなんでもええわ。とにかく、巻きはもう昨日の夜に食べてんねん」

こんなやりとりに、市場らしさを感じる。ふと時計に目をやると、ツアーの集合時刻が迫っていることに気づき、会計をお願いしてゲストハウスへと急いだ。

「マヤ遺跡」を巡るツアー

この日申し込んだのは、「旧摩耶観光ホテル見学付き宿泊プラン」である。「ゲストハウス萬家」が主催する、1泊2日の宿泊プランで、さまざまな“遺跡”が残る摩耶山を半日かけてめぐるツアーがついてくる。2017年春に第1回「マヤ遺跡ガイドウォーク」が開催されると、“史跡”を巡るツアーは評判を呼び、受付が始まるとすぐに予約が埋まるほど好評を博している。旧摩耶観光ホテルが国の登録有形文化財に登録されたことを記念して、2021年12月からツアー付きの宿泊プランが始まったのだ。

参加者が揃ったところで、「ゲストハウス萬家」のオーナー・朴徹雄(パクチョルン)さんと、マネージャーの今津歩(いまづ・あゆむ)さん、それにこの日ガイドを務める杉浦貴之(すぎうら・たかゆき)さんが挨拶をする。

「今日のツアーは、摩耶観光ホテルが目玉ではあるんですけど、摩耶山にはそれ以外にも遺跡がたくさんあるんです」と杉浦さん。「お寺の跡だったり、昔から山のなかにあるものが残っているので、それをひとつずつ巡っていこうと思ってます。ロープウェーとケーブルカーに乗って山頂まで行って、そこからゆっくり下ってくるので、山登りはあんまりないです。どっちかというと山下りですね」

参加者が揃ったところで、まずは近くのバス停まで歩く。阪急・王子公園駅の近くに、カモメのマークのバス停がある。灘にはみなと観光バスが運行するコミュニティバス「坂バス」が走っている。大阪-神戸間には阪急・JR・阪神が鉄道を走らせていて、東西を結ぶ交通網は整備されているけれど、南北を結ぶ交通手段は限られている。その数少ない交通手段が坂バスだ。JR灘駅を起点として、商店街を抜けて坂をのぼり、「まやビューライン」のりばを経由してまた坂を下ってくる路線である。いざ乗車してみると、買い物帰りのお年寄りがたくさん乗車している。「坂バスは、お買い物バスでもあるんです」と杉浦さんが教えてくれる。

坂バスは細い坂道を進んでゆく。アーケード街の中を走ることも

神戸は坂のある町だ。坂沿いに住宅街が広がっている。若い世代であれば電動アシスト付き自転車で買い物に出られるけれど、お年寄りにはこうした足が必要なのだろう。その隅っこに同乗させてもらって、坂道を上がる。途中のバス停では漢文の参考書を手にした高校生がバスを待っていた。10分ほどバスに揺られて、摩耶ケーブル下にたどり着く。ここから先はケーブルカーが運行している。最大勾配は54.7%と、ケーブルカーはかなりの急勾配を進んでいく。トンネルを抜け、紅葉が美しい山のなかを走ると、神戸の海が見えてくる。ケーブルカーは6分ほどで「虹の駅」に到着する。

「このケーブルカー、実は大正14年に引かれたもので、めちゃくちゃ古いものなんです」と杉浦さん。「なんでケーブルカーが引かれたのかというと、摩耶山の中腹には天上寺さんってお寺があって、そこに行く人が年間50万人ぐらいいたそうなんです。その参詣客を運ぶためにケーブルカーが引かれて、この駅舎も基本的には大正時代のものがそのまま使われてます。なんでそんな古いものを大事に使っているのかというと、ここにはケーブルカー以外には登山道しかないので、新しいものを建てるための資材を運んだり、壊したものを搬出したりするのがかなり大変なので、どっちかっていうと『使わなしゃあない』ということで残ってしまったものが摩耶山のなかにたくさんあるんです。それを『マヤ遺跡』と呼ぶことにして、遺跡を巡るツアーを始めることになったんです」

  1. 第0回 : プロローグ わたしたちの目は、どんなひかりを見てきたのだろう
  2. 第1回 : いずれ旅は終わる 愛媛・道後温泉
  3. 第2回 : 人間らしさを訪ねる旅 八重山・竹富島
  4. 第3回 : 一つひとつの電灯のなかにある生活 灘・摩耶山
  5. 第4回 : 結局のところ最後は人なんですよ 会津・猪苗代湖
  6. 第5回 : 人が守ってきた歴史 北海道・羅臼
  7. 第6回 : 店を選ぶことは、生き方を選ぶこと 秋田・横手
  8. 第7回 : 昔ながらの商店街にひかりが当たる 広島/愛媛・しまなみ海道
  9. 第8回 : 世界は目には見えないものであふれている 長崎・五島列島
  10. 第9回 : 広島・原爆ドームと
  11. 番外編第1回 : 「そんな生き方もあるのか」と思った誰かが新しい何かを始めるかもしれない 井上理津子『絶滅危惧個人商店』×橋本倫史『観光地ぶらり』発売記念対談
  12. 番外編第2回 : 「観光地とは土地の演技である」 蟲文庫・田中美穂×『観光地ぶらり』橋本倫史
  13. 番外編第3回 : たまたまここにおってここで生きていくなかでどう機嫌良く生きていくか 平民金子・橋本倫史・慈憲一 鼎談
  14. 番外編第4回 : これからの時代にノンフィクションは成立するのか 橋本倫史・森山裕之 対談
連載「観光地ぶらり」
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  3. 第2回 : 人間らしさを訪ねる旅 八重山・竹富島
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