おしまい定期便
第7回

せいちゃんの下北沢

暮らし
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私はとんでもない音痴で「二次会はカラオケね」と聞いただけで動悸が激しくなり、ストレスで頭がおかしくなってしまうのだが、親族には歌が好きな人が多い。

母は地域の合唱サークルの会長を長く務め、学校や施設を慰問していた。その父親である祖父はカラオケ大会やNHKのど自慢にエントリーする人だった。衣装は麦わら帽子にアロハシャツ。たまにサングラス。気分が乗っている日はハワイ土産の花の首飾りもぶら下げて登場する。その格好で披露するのは民謡や演歌だった。どういうセンスだ。そんな地元のお調子者のじじいはオンエア率が高そうに思えるが、祖父は一度も画面に現れなかった。常に酒を飲んでいて会話が成立しないのだ。失格にしてくれてありがとう。正しい判断でした。

歌が好き、人前に出るのはもっと好き。そんな母方の血筋を最も受け継いだのは従兄弟のせいちゃんである。明るくて面倒見のよい、歳の離れたお兄ちゃんだった。子供の頃はよく遊んでもらったけれど、彼が東京の学校に進学してからは会うこともなくなった。

私も地元を離れ、大学生になった。ある日、突然母から「せいちゃん歌手になったんだって」と電話があった。バンドを組んでいるとか、どこかのステージで歌ったとかそういう話だろう。アロハシャツにサングラスの祖父を思い浮かべ、その日は話半分に聞いた。

後日、母からCDや音楽雑誌の切り抜き、出演したラジオ番組の録音テープなどが送られてきた。掲載誌に「実力派」「待望のデビュー」と書いてある。何かの間違いでは。騙されているのでは。だけど、 ジャケットにはアーティストっぽい顔でポーズを決めるせいちゃんがいる。私が知らないだけで、ラジオ番組も持っていたらしい。

困ったのは「あんたも大学の人たちに、せいちゃんの歌を広めてちょうだい」とCDが何枚も同包されていたことだ。私の実家も、せいちゃんの親や親族が暮らす隣町も、年寄りばかりの過疎地だった。まだネットもない時代。集落民の広報には限度がある。

さっそく聴いてみた。本人による作詞作曲。声質が良い。歌も上手いと思う。サビのメロディも馴染みやすい。ただ、タイトルと歌詞が好みではなかった。正直に言うと苦手だった。他人の歌なら聴けるかもしれないが、身内の綴る「抱く」や「キッス」を冷静に受け止められなかった。

これを知人に配る勇気はない。でも、応援したい。このデビュー曲にかかっている。葛藤した。知人に渡すより、もっと効果的な方法はないか。そう悩んで地元のラジオ局に宛てて手紙を書いた。私の従兄弟がこのたびデビューしました。この曲を流していただけたらとても嬉しいです。出身地や活動歴、エピソードなどを書き添え、CDを同封した。手あたり次第、近隣のメディアに送った。

そんな内職を重ねて一月ほど経った頃、ローカル紙の広告欄にせいちゃんの顔写真がでかでかと載った。私の住むローカル FM局の月間イチオシ曲に選ばれたのだ。番組の合間などに何の脈絡もなく紹介され、ひたすらせいちゃんの歌がフルで流れるボーナスタイムみたいな企画だった。これは偶然だろうか。胸の高鳴りを抑えられなかった。

その日から、ラジオの前に張り付いた。せいちゃんタイムはいきなりやってくる。パーソナリティーの女性がせいちゃんのプロフィールを読み上げた。私が手紙に添えた紹介文とほぼ同じものだった。これ絶対私のおかげじゃん。一日に何度も何度も流れた。タイトルが恥ずかしい。歌詞も変だ。でも、がんがん推されている。実家も親戚も、せいちゃんの暮らす東京でも視聴できない。この街にいる私だけが、せいちゃんの名が呼ばれるたびに顔を赤らめ、「きたぞきたぞ」「ださい歌詞だが、嬉しいね」と親族を代表して興奮した。

せいちゃんは続けて何曲かリリースした。全国放送のオープニング曲になったり、深夜の歌番組でちらっと紹介されたりした。流れがきている。親戚一同が息をのんで見守る中、地元でせいちゃんのイベントが開催されることになった。「あんたも来るんだよ」と母から念を押され、小さな公民館に向かったが若者の姿は見当たらない。うちわを持つファンもいない。スーツを着た知らないおじいさん達がパイプ椅子に座っていた。地元の議員や役場の職員、そこに親戚がいるだけの会。大丈夫なのか。老人のカラオケサークルが使う機器で、せいちゃんが熱唱した。歌がうまいことは確かなんだ。歌詞をなんとかしてほしい。むず痒くなりながらも、応援する気持ちは変わらなかった。誰よりも喜んでいたのは、アロハシャツの祖父だった。

私の結婚式に、せいちゃんから贈り物が届いた。藍色の美しいグラスだった。住所に下北沢と書いて あった。一年、二年と経つうちに、誰もせいちゃんの話をしなくなった。事務所をやめることになったと人づてに聞いた。せいちゃんの肩書きが歌手じゃなくなっても、私の中で下北沢はどこか特別な街のまま残った。一度も行ったことがないのに。

思わぬ流れで作家としてデビューした私は二〇一八年六月、これまた意外な形で初めて下北沢を訪れる。演劇のアフタートークの依頼をいただいたのだ。舞台を生で観たこともない田舎の無知人間には、あまりにもハードルが高い。そもそもアフタートークが何なのかさえわからない。 でも、こんな経験は最初で最後に違いないから、やってみようと思った。

担当編集者と下北沢駅で待ち合わせて「小劇場B1」に向かった。せいちゃんが暮らす街。ずっと文字でしか認識していなかった街。路地に並ぶ看板を目で追う。 古着買取、お部屋探し、カラオケ館、肉、酒、お部屋探し、最安値、お部屋探し。

招かれたのは俳優・結城洋平さん率いる「結城企画」。初めて間近で観る演劇は迫力そのもので、手土産をめぐるバトルに終始圧倒された。これを観た後に私が登壇するのかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

その日の私は「犬神家の一族」のつるんとしたスケキヨの覆面だった。なぜこれを選んでしまったのか。彼らの演劇を楽しみに訪れたお客さんはどう思うだろう。ステージの中央に用意された椅子に座り、縮こまった。ぐるりと囲むように客席が広がっていた。頭が真っ白になり、何を話したか全く覚えていない。あとでスタッフの方からいただいた写真を見て驚いた。私は不時着して捕獲された宇宙人そのものだった。こんな人間離れした体温で写ることあるんだ。

写真提供:結城企画
右から結城洋平さん、委縮する宇宙人、司会の善雄善雄さん

ロビーでサインの時間もいただいた。お客さんのみならず、演者やスタッフのみなさんがとても温かく、長年勝手に抱いていた「私なんかが近付いてはいけない街、下北沢」を一晩で払拭してくれた。駅のそばのヴィレッジヴァンガードには私の本がポップ付きで並んでいた。洒落た小さな喫茶店で、見たことのない美しい形状のパフェも食べた。
 
二〇二二年四月、再び下北沢を訪れた。その地は、もうおそろしい街ではない。東京の電車にも何とか乗れるようになった私はひとりで「ザ・スズナリ」に向かった。劇団「大人の麦茶」を主宰する塩田泰造さんが大変物好きな方で、なぜか私のエッセイをまわりの方々に広めてくださり、その縁で俳優の浅田光さんが自身の動画でエッセイを朗読してくださった。私の拙く、ふざけた文章にこれほど感情を込め、情緒のある世界をつくり出すなんてと感激し、ふたりが関わる生の舞台を観てみたくなった。

満席だった。まだ新型コロナは収束していない。ソーシャルディスタンスのありすぎる癖地から、肩と肩が触れる合う席へ。距離の近さに、はじめは戸惑った。私がのんびり田舎で過ごしている間も劇団のみなさんは自身の感染や公演中止の不安を抱えながら毎日稽古を続けていたのだ。頭ではわかっていても、現地に足を運ばなければリアルに感じられなかったかもしれない。ランドセル姿で登場する幕開けの微笑ましい場面で、なぜか涙が止まらなくなり、マスクが冷たく湿っていった。自分でもわけがわからなかった。舞台上の小学校の教室の本棚に、さりげなく私の著書が並んでいた。どんな学校だよ。そう思いながらも照れ臭さとありがたさで胸がいっぱいになった。せいちゃんがいなくても、私の下北沢の思い出は更新されてゆく。

せいちゃんはいまどうしているだろう。ふと気になって検索すると、彼のサイトがあった。昔からのファンの書き込みもある。動画チャンネルもある。定期的に配信しているようだ。

やはり現在の歌詞も赤面する類のものだった。せいちゃんは「爆笑トーク」と称してフリップ芸までやっていた。なんて心が強いんだ。おそるおそる再生してみる。とても従兄弟とは思えないくらい流暢に喋っていた。家族や親族をネタに笑いを取っていた。私の知っているおじさんやおばさんばかり出てくる。私は彼の育った環境を知っているから笑えるが、お客さんはどういう気持ちでこの時間を過ごしているのだろう。

身内の失敗談を生き生きと喋る彼を見て思った。これ、やってること私と同じじゃねえか。彼の曲名を「あまり口に出したくない、知人に言いたくない」なんて言ったが、それ私のデビュー作『夫のちんぽが入らない』の評価とまるっきり同じだろ。むしろ私のほうが断然怒られている。急にせいちゃんを身近に感じた。

ライブは定期的に開催されているらしい。こっそり観に行ってみようか。常連の中に潜り込み、トークの時間だけやたら輝く彼を見たい。行くしかないよな。もう二十年近く会っていないから私の顔もわからないだろう。会場でCDを買おう。何枚も買おう。私は早速、偽名でチケットを申し込んだ。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回 : ほのぼの喫茶店
  6. 第6回 : 私の特殊能力
  7. 第7回 : せいちゃんの下北沢
  8. 第8回 : 父と母の文明開化
  9. 第8回 : 新規ファンの斉藤
  10. 第9回 : 新規ファン斉藤、再び
  11. 第10回 : 祖父母の銭湯を求めて
  12. 第11回 : 春の副産物
  13. 第12回 : 一周忌という名の祭典
  14. 第13回 : ルンバ地獄とケチおじさん
  15. 第14回 : 私はどこにでも行ける
  16. 第15回 : あの光のひとつ
連載「おしまい定期便」
  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回 : ほのぼの喫茶店
  6. 第6回 : 私の特殊能力
  7. 第7回 : せいちゃんの下北沢
  8. 第8回 : 父と母の文明開化
  9. 第8回 : 新規ファンの斉藤
  10. 第9回 : 新規ファン斉藤、再び
  11. 第10回 : 祖父母の銭湯を求めて
  12. 第11回 : 春の副産物
  13. 第12回 : 一周忌という名の祭典
  14. 第13回 : ルンバ地獄とケチおじさん
  15. 第14回 : 私はどこにでも行ける
  16. 第15回 : あの光のひとつ
  17. 連載「おしまい定期便」記事一覧
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