大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだま。大好評「おしまいの地」シリーズの不定期連載。人も自然もまっすぐ生きるこの場所で起きた、悲喜こもごもの出来事をお届けします。今回は、がんの治療のため都会の病院に通い始めたお父さんとお母さんの冒険について。
父は今年から都会の大きな病院に通院している。陸の孤島から毎週、飛行機で通っている。貴族の通院スタイルだ。
地元の病院で抗がん剤治療を続けてきたけれど、もうどれを試しても効かなくなってしまった。そこで主治医が最後の望みとして新薬の治験をすすめてくれた。
治験なので治療費はかからない。大きなプロジェクトだから、スタッフが経過を慎重に診てくれる。異変があったらすぐ中止することも約束してくれた。最新の治療を受けられる機会なんてもうないよ。やってみようよ。母と私は乗り気だったが、当の本人は渋っていた。
「お父さんがいま使ってる薬だって、こういう治験を重ねて一般の人も使えるようになったんだよ」
「だってタダなんておかしいだろ」
「タダなのが嫌なの?」
「タダより高いものはない。怪しいじゃないか」
父がこだわっていたのはその一点だった。我が家は祖母が健康マットレス、母が高級羽毛布団と浄水器、がんに効く水といったオーソドックスな詐欺商品にことごとく引っ掛かり続けてきた歴史がある。いずれも最初はりんごの皮むき器や千切りマシーンなど別に欲しくもない品物をタダで与え、「こんなに話を聞いてもらえたのは初めてです」と情けに訴えてきたのだった。
一家の汚点である訪問販売事件の数々が、生命にかかわる決断の邪魔をしていた。むしろそれ相応の治療費を払いたいという。
「じゃあ、本当はいくら掛かるか先生に聞いてやろうか」
「だめだっ! そんな恥ずかしいことするなっ!」
父と母は子供みたいな言い合いを続けた。風向きが変わったのは「世界で〇〇〇人しか受けられない治験なのに」という母の一言だった。受けたくても受けられない患者がいるのだ。父も医師の説明を一緒に聞いたはずなのに初耳のような顔をした。
「お父さん、日本代表じゃん」
私がからかい半分で言うと、まんざらでもない表情になった。その日の晩には「そんなに言うんならやってみるか」と、タダのまま受ける決意をした。あのこだわりは何だったのか。
数量限定、今がチャンスです。母と私のしたことはそんな決め台詞を並べる訪問販売員と変わらないじゃないか。確実にひとつの側へ押したではないか。現在の効き目のない治療を続けて徐々に悪化しても悔やむ。治験で悪化しても悔やむ。そんな複雑な気持ちで両親の通院支度を見守った。
これまでとは違う治療が始まる。それだけで不安なのに、慣れない都会が彼らを待ち受けている。「私も付いて行こうか?」と尋ねたが「いいの、これから何回も何回もふたりで通うんだから勉強のつもりで行ってくる」と母は気丈に答えた。
直前に白内障の手術を受けた父は両目の視力が戻っておらず、眼球を守る近未来的なゴーグルを装着していた。耳も不自由で、補聴器をつけている。たくさん歩くと各所の関節が腫れる。背骨もがんにやられている。疲れると必ず熱が出るのに、車椅子に乗りたがらないし、杖も拒否する。
「どこまでかっこつける気なんだろうね。まったく憎たらしいじじいだよ。老いと病を受け入れろっての」
母はぶち切れながら空港と駅構内の最短ルートを検索するのだった。母が不満を逐一発散するタイプでよかった。相手が病人であろうと容赦しない。溜め込んだら共倒れしてしまう。
目も耳も手足もおぼつかなくなってゆく父とは対照的に、母は行動的だった。都会への飛行機通院が決まってすぐ、彼女は古いらくらくホンから最新のらくらくホンに買い換えた。いつの間にかスマホ教室にも通っていた。それは意外な理由だった。
「搭乗する時にスマホをピッとかざして通りたいの。都会の人みたく颯爽と飛行機に乗りたいの。あれ憧れてたんだあ。紙のチケットを卒業したいの」
別に紙でもいいじゃないかと思うけれど、母はあの動作に都会を感じていたのだ。その気持ちを想像すると「何もそんなことくらいで」とは言えなかった。
「らくらくホンでお買い物する方法も覚えたんだよ。便利になったもんだ。お父さんが病院の売店や自販機で使えるように教えてあげなきゃ」
初めて機器を手にした人のようにいきいきしていた。
父を病院に送り届けた晩、母はひとりで都会のビジネスホテルに泊まった。コロナ禍の旅行支援で二千円分の電子クーポンを得た母は「QRコードをピッとやったら、らくらくホンにお金を移動させることができたんだよ」と原始的な表現で喜びの電話を掛けてきた。ホテルのフロントのスタッフが操作を教えてくれたらしい。
「コンビニでご飯買ってみる。冒険だわ」
クーポンが使える店を検索し、母は街に繰り出した。高齢者には使い方が難しいと報じられていた電子クーポン。果たして母は都会のコンビニで無事に買い物ができるのか。数時間経っても音沙汰がない。迷子になっているのでは。入院した父より、母の動向が心配で夕飯の支度が手に付かない。
「コンビニの若いお兄さんがクーポンの使い方を教えてくれたんだよ。値段を自分で入力するんだねえ。お母さんにはちょっと難しかったよ。でも隣のお土産物屋さんと喫茶店ではひとりで操作できたよ。電子クーポンって楽しいねえ。みんな親切ですごいねえ。お母さんもう都会が怖くなくなったよ」
遅くに連絡があり、母は興奮して喋り続けた。前言通り、ささやかな冒険をしていたようだ。この初回の通院で気を良くした母は、これまで私が代わりに予約していた飛行機や宿を自分で取るようになった。毎回宿を変えながら楽しんでいる。「安い席を取るために朝からインターネットに張り付いていたの」とサイトをいくつか見比べている。私よりも情報通だ。
ずっと田舎でのんびり生きてきた人たちだから、新しい機能に背を向けて暮らすものだと思い込んでいた。全然そんなことはなかった。通院の手間や煩わしさを忘れ、「病気で行けなくなった旅行を週一で繰り返してると思えば贅沢なもんよ」と父も言う。外の世界に飛び出してみれば、意外と適応できるものなんだ。田舎の常識をいったん置いて、まわりに合わせようと必死に学んでいる。どうやら、それが苦になっていないようだ。他人から見れば取るに足らないことかもしれないけれど、パソコンを覗き込んで宿選びをする老いたふたりの背中は、ちょっとだけ逞しく見えた。
通院に付き添えない私は、近隣の空港まで迎えに行く。ある日、早めに着いたので空港の展望デッキにのぼった。よく晴れていた。ふたりの乗った飛行機が遠くに見えた。辺りを草原に囲まれたのどかな滑走路にエンジン音を響かせて到着した。その便は飛行機のタラップを降り、まだ雪の残る駐機場を歩いてロビーに向かう様式だった。
私は備え付けの双眼鏡の焦点を合わせ、今か今かと両親の登場に備えた。人の流れがまばらになっていき、最後に父と母が機体からひょっこり現れた。手すりをしっかりと握りながら一歩ずつ時間を掛けてタラップを降りる父。その後ろを心配そうに見守る母の顔も見えた。いつ購入したのか、母はド派手で大きなリュックサックを背負っていた。いつでも介抱できるよう両手を空けているのだろう。
空港のスタッフが慌ただしく手荷物をコンテナに詰め込んでいる。展望デッキにも駐機場にも私たち以外、もう客はいなかった。広大な景色に家族だけ取り残されている。なんだか堪らない気持ちになり、並んでこちらに歩いて来るふたりに「おーい」と叫んで手を振ったが気付かない。アナウンスと機体の音にかき消される。
その直後、父がよろけた。とっさに母が父の腕を支えた。そのまま腕を組んで歩こうとしたら、父がものすごく不機嫌に母の腕を振り払う様子が双眼鏡で確認できた。幼い子が「イヤッ」と身体をくねらせ反抗するような仕草だったので笑ってしまった。母の怒りがレンズ越しに伝わってくる。
そんな滅多に立ち入れない場所で喧嘩するなよ。長女が一部始終を上から見てるんだよ。険悪になった親の顔を双眼鏡で観察する機会なんてもうないかもしれない。思わずズームにしてじっくり見てしまった。私たちは何をしているのか。
到着口で出迎えると、ふたりは何もなかったような顔で笑っていた。近未来的なゴーグルを装着した父はシャツと靴下が血だらけだった。唇も切れている。ゴーグルのせいで、戦を終えた兵士みたいだ。どう見ても、さっきのよろけたレベルの怪我ではない。
「エレベーターまで歩こうって言ったのに、お父さん勝手にエスカレーターに乗っちゃうんだもん」
向こうの空港のエスカレーターで足を踏み外して転倒したらしい。どうやら搭乗前から揉めていたようだ。「イヤッ」と振り切る父の姿がすんなり浮かんだ。
父が転んだのは二度目だ。前回も賑わう空港のエスカレーターから転げ落ちたばかりだった。咄嗟にまわりの人たちがエスカレーターを停止させたり、介抱してくれたり、手を貸してくださったらしい。帰宅してから補聴器を紛失していることに気付き、あわてて空港に電話をしたら、スタッフが防犯カメラを見直し、エスカレーターのそばで発見してくださった。その人は父が情けなく転げ落ちる映像を見たのだろう。その録画、私も見たかった。
「都会で出会う人みんな、ものすごく親切でびっくりしちゃったよ」
母は感激し、ますます通院の付き添いが好きになった。その横で父は「おまえ、まだ現金で買い物をしてるのか。俺は全部スマホだぞ」と覚えたての分際で私に自慢した。嫌なじじいである。頼むから母さんの言うことを聞いてくれ。二度とエスカレーターに乗るな。血だらけで帰ってくるな。
治験の経過は横ばいで、まだわかりやすく効果は出ていない。しばらく通院は続きそうだ。
「通院が終わっても、終わらなくても、夏にお父さんとサーカス観に行くんだ。もうチケット取っちゃった」
いつもの街に、病院以外の目的で行こうとしている。せめてその日まで生きていてほしい。
筆者について
エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。