宗教2世(エホバの証人2世)として過酷な幼少期を経験し、現在、宗教2世のために自助グループの運営にも尽力する文学研究者の横道誠が、宗教1世(自らカルト宗教などに入信した人)と宗教2世10名にインタビュー。その証言や、幻想文学、そして自身や自身の母親の経験をもとに、「他人」としてではなく、「当事者」として、また問題に深く関心を持つ味方「共事者」として、「狂信」の内側に迫る『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』が刊行された。ここでは、本書の一部を全6回にわたって公開中。第4回は、創価学会や親鸞会で元信者がハマった、「真理」や「人間性」の追求について。
創価学会で人間性を鍛える
創価学会2世のネギトロさんは、20代で信仰を持った父母のもとに生まれた。ネギトロさんは現在も脱会してはおらず、学会員たちと最低限の連絡を取りあっているが、もはや本尊に祈ることはない。子どものとき、クラスメイトに学会の関係者はいなかったから、「うちはふつうと違うんだな」という疎外感があった。とはいえ、宗教2世ということで不快な目に遭ったこともないという。創価大学を卒業し、28歳までは熱心な信者だった。それから3、4年が経つ。
ネギトロさんは、世の中は自己責任論などが強く、厳しい社会だと感じる。創価学会に入れば、「絶対的な幸福境涯」を築くことができると約束されている。ネギトロさんが求めたのは、「真理」を知って、優れた「人間性」を獲得することだった。
横道 どうして「真理」や「人間性」を求めたんですか。まじめだからですか。
ネギトロ 彼女がほしかったからです。
横道 目的がはっきりしていたんですね。
ネギトロ 現実的な欲望と空想的な発想が混じりあっていたってことは、当時からわかっていました。でも、「まわりまわって縁が生まれる」ことはあるって思ったんです。
横道 彼女はできましたか。
ネギトロ できませんでした。
ネギトロさんは、信者集団もありがたいものだと考えた。人当たりの良い人が多い。しかしネギトロさんを別の「真理」が捉えるようになった。日本の多くの宗教団体と同じく、創価学会では一般社会以上に少子高齢化が進んでいる。「この共同体に未来はないのでは」と、ネギトロさんは考えるようになった。きっかけはコロナ禍だ。それまでのような活動ができなくなったことで、いままでとは異なる芸術系のコミュニティと出会うことができた。友人ができて、自信が湧いた。自由な発言をして、何を言っても許されるのは、同じ方向を向いてともに歩んでいく宗教団体ではありえないことだった。創価学会では同調圧力が大きく、明文化されていないルールに縛られてしまう。他人と意見が違っていてもいいんだという安心感に満たされた。非宗教の共同体では、じぶんの意見が尊重されていると感じ、心地よい。ためらいながらも、噓をついて創価学会での活動を停止した。
親鸞会で人生の意味を考える
親鸞会1世のウリウさんは発達障害と診断されている。私自身がそうだったように、社会に居場所を発見するのが難しく、じぶんにぴったりの共同体を求めていた。親鸞会の人々はまじめで優しい人々だったから、ウリウさんの心が捉えられたのも無理はない。
まじめなウリウさんは、若い頃から「真理」を求めていた。大学に合格する前から路上で声をかけられて、「人生の目的について考えたことがあるか」と問われた。「親鸞の教えを伝える『歎異抄』を学ばないか」と誘われた。日本の古典の勉強をつうじて、人生の意味を考えるサークル活動なんだと理解した。大学に入ると、熱心に会合に通った。
ウリウ 大学に入る前から、この世の「真理」とは何か、ってずっと考えてました。究極の問題ではないでしょうか。真剣な問いです。それなのに、その問題に真正面から向きあってくれるような人は、私のまわりにはひとりもいませんでした。いちばん求めていたものを一緒に考えてくれる人たちに、ついに出会ったんです。
8月の合宿に参加して、正体は親鸞会という宗教団体だと明かされた。それまでは「宗教団体じゃない」と噓をつかれていたから、不誠実だと腹が立った。先輩から「はじめから明かしたら、入ってくれなかっただろう。こちらとしても苦渋の選択だったんだ」と説得が始まった。違和感は消えなかったが、ウリウさんは、信仰の継続を選んだ。親鸞をつうじて仏教の勉強をして、ぜんぜん悪くないじゃないか、と割りきろうとした。親鸞会が出している本を集中して読む生活は、充実していた。大学のなまぬるい授業に興味を失ってしまい、親鸞会の布教活動が生活のすべてになった。
ウリウさんはやがて、親鸞会の講師を務めるまでになっていた。全国を飛びまわって、布教に尽くした。それでも、この教団の正体隠しによる勧誘には釈然としない思いが消えない。方針にしたがって正体隠しはするものの、なるべく早い時点で親鸞会だと明かすことで、可能な限り新しい信者たちに誠実でいようと努力した。
筆者について
よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)、『あなたも狂信する――宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。