大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだま。大好評「おしまいの地」シリーズの不定期連載。人も自然もまっすぐ生きるこの場所で起きた、悲喜こもごもの出来事をお届けします。今回は、例の「せいちゃん」のライブに、こだまさん、ついに潜入です!
とうとうこの日がやって来た。以前この連載で話題にした下北沢の「せいちゃん」のライブに潜入する日だ。せいちゃんは私の従兄弟。現在は主に都内で歌手活動をしている。私は本人のサイトから偽名でチケットを予約していた。二十数年まったく交流がないのに、こっそり検索して近況を追っていたなんて知られたくなかった。そんなの気持ち悪いだろう。匿名とはいえ彼の話を書いたこと、そもそも物書きをしていること自体、知られたくない。自分の家族にも話していない。
長年会っていないとはいえ、子供の頃よく遊んだ仲だ。私の顔を見た瞬間に気付くかもしれない。念のため変装用の黒縁眼鏡に帽子、大きめのマスクを着用し、会場となる都内のバーに向かった。
梅雨入りが報じられた東京の街は日が落ちても熱を帯びていた。少し歩いただけで前髪が額に張り付く。道沿いのフェンスから紫陽花が身を乗り出していた。
果たして身元を伏せる必要があっただろうか。堂々と名乗り、再会を喜べばいいではないか。会場への道すがら、まだ私は迷っていた。いや、ささやかな弾き語りライブにわざわざ遠方から参加するのは不自然だ。気軽に東京へ来ていることを悟られたくない。せいちゃんに知られると、彼の母であるアツコおばさんの耳に入る。私の母の姉だ。アツコおばさんはとんでもなくお喋りで、毒気も強い。すぐ母に伝わるだろう。いつ危篤になってもおかしくない病床の父を置いて東京に来た後ろめたさもある。やはり身元は隠そう。大胆なのか気弱なのか自分でもわからなくなる。
せいちゃんはデビューした頃が全盛期だった。当初はバラエティー番組で曲が使われ、ラジオ番組も持ち、親戚一同「おお、身内が芸能界に」と色めき立ったものの、その興奮は長く続かなかった。念願のアルバムが完成した頃には翳りが見えていた。ラジオが終了し、事務所を退所。表舞台から姿を消した。半強制的に加入させられていた地元の応援団もいつの間にか消滅してしまった。
せいちゃんはまだ歌っているのだろうか。私は彼の名前を検索しては、たまに更新されるブログを読んでいた。どの記事にも数人の熱心なファンがコメントを残していた。せいちゃんは中年だが、異常なまでにきらきらした美少年風のアバターを使っていた。顔文字や恥ずかしくなるような駄洒落を多用し、まめに返信していた。所謂「おじさん構文」の使い手だった。曲は作っているが発表の場はないらしい。「またライブやってください」「いつか必ずやりますよ」そんなコメント欄までしっかり読み漁るのが私の密かな趣味となっていた。
ある日いつものように彼の名前を打ち込むと目がちかちかするブログは消え、スタイリッシュなサイトが出現した。かなりアーティストっぽい。何か心境の変化があったのだろう。動画やライブ情報まで載っている。ついに活動を再開するらしい。「思う」を「想う」と書くんだな、「夢」や「愛」や「希望」が多いな、自然の声に耳を傾けるエピソードも多いな、スピリチュアルな商売をするファンと強くつながっているな、などとこれまで本心ではせいちゃんのことをどこか痛々しく思いながら眺めていた。「いつか必ずやりますよ」なんて口先だけだろうと思っていた。でも、本当に叶えたのだ。すごいな。ライブに行ってみたい。迷わずそう思った。チケットを予約するには氏名とメールアドレスを記入しなければならなかったので「斉藤」という偽名を使った。
おそるおそるバーの扉を開けると、数人の女性が立ち話をしていた。私よりも少し上の世代に見える。夜会のような光沢のあるドレスをまとった人もいる。こんな着飾って来る場だったのか。できるだけ印象に残らないよう地味な身なりを心掛けたのだが、これじゃ逆に浮いてしまう。
奥に小さなステージがあり、客席は二十席ほど用意されていた。想像していたよりも小規模だ。ステージと距離が近い。これでは客の顔を簡単に見渡せてしまう。死角も少ない。店の利点が、ことごとく私にとって不利だ。とんでもないことになったぞ。動揺を悟られないよう一番隅の席に座った。隣に大きなスピーカーや機材がある。ここなら身を隠せそうだ。ひと安心していると、巻き髪の女性が近付いてきた。
「斉藤さんですよね?」
いきなりバレた。そんなことあるんですか。
「斉藤さんが来ること、せいちゃんとても喜んでいたんですよ。新しい人って珍しいもん。私たちもわくわくしてたんです」
なんてことだ。「私たち」ってことは、ここにいる人はみんな知り合いなのか。私の情報が共有されてしまっている。こんなに口が軽くていいのだろうか。
「斉藤さんってどんな人だろうねってみんなで噂してたんですよ」
叫びそうになった。非常にまずい。常連の中に飛び込む覚悟は出来ていたが、想像を超える距離の詰め方である。まだ会場に入って五分も経っていない。終了時にはどうなっているんだろう。身震いした。
いや、でもこれは同じ歌手を応援する者同士の親近感だろう。本人と間近で話すわけじゃないから大丈夫。そう自分に言い聞かせていたときだ。脇の通路から平成のバンドブーム期を彷彿とさせる鋭利なウルフカットの男がぬるっと現れた。巻き髪が駆け出し、挨拶を交わしている。「斉藤さん」というワードが頻繁に聞こえる。もうやめて。私のことはそっとしておいて。嫌な予感しかしない。虫のような機敏な動きでスピーカーの陰に身を潜めた。
「せいちゃん、こっち! 斉藤さんだよ!」
巻き髪が呼ぶ。おい、教えるな。勘弁してくれ。彼がこちらに向かって来る。勿体振るようなゆったりとした足取りだ。あんたアーティストだろ。開演前に客席をうろちょろするんじゃないよ。私はマスクを目の下ギリギリまで引き上げた。もう終わりだ。私の親の耳にも入るだろう。終わった。
せいちゃんが「どうも」と私の顔を覗き込むように挨拶してきた。認めたくないが私たちは顔が似ている。せいちゃんとアツコおばさんは骨格や加齢による目の窪み方まで瓜二つで、アツコおばさんと私の母も双子のように似ている。そして残念ながら母と私も同じ顔なのだ。そうなると、せいちゃんと私は等式記号、どんなに否定したところで「ほぼ等しい」の近似値。こんなの逃げようがないじゃないか。ウルフの血が濃すぎる。私は目を伏せ、この時間が過ぎるのをじっと耐えた。
緊迫感が高まる私をよそに、せいちゃんと巻き髪は別の印象を抱いたらしい。
「やだ、斉藤さんめっちゃ照れてる。かわいい」
巻き髪が歓声を上げた。せいちゃんは満足気に「ふふん」と鼻で笑った。なんだこの展開は。これはこれで耐え難い。
「僕のこと、どういう経緯で知ってくれたんですか?」
「動画を観て興味を持ちました」
通常なら従兄弟が従兄弟に対して絶対しない質問だ。そう思ったら少し面白くなってきた。「楽しんでいってくださいね」とせいちゃんは笑顔を見せ、舞台袖に戻っていった。何も気付いていないと確信し、胸を撫で下ろした。巻き髪に「前の席に行こう」と誘われたが「隅の方が落ち着くんです」と再び虫の心境で答えた。
ここならせいちゃんの視線がまっすぐ届かない。安心して歌を聴けそうだ。往年のファンらしき女性たちで席がほぼ埋まった。巻き髪は私の隣に座った。新参者が心細くならないよう気を遣ってくれたのだろう。
「さっき緊張したでしょ?」
「はい、すごく緊張しました」
ずっと嘘偽りない気持ちで答えている。すれ違いコントのようなやりとりが続く。この一言一句も「斉藤」の人物像として加味されてゆくのだろう。せいちゃんを間近で見て硬直する新規ファンの斉藤。絶対にせいちゃんと目を合わせない斉藤。赤面してスピーカーの陰にさっと隠れる斉藤。
「わかる。私も最初そうだったもん。歌を生で聴いたらもっとびっくりすると思うよ」
彼女はもう二十年近く追っかけをしているそうだ。あのブログにコメントしていたひとりかもしれない。ライブにどれだけ足を運んできたか、とても嬉しそうに話してくれた。
「なんと本日は初めてのお客さんが来てくれました! みなさん拍手!」
せいちゃんの一言でスポットライトがパッと私に当たった。照明担当まで余計な気を利かせる。全員の注目が集まる。巻き髪は「よかったね」と微笑んでいる。もうなるようになれ。私は新規ファン斉藤として初めてのライブを心から楽しむことにした。
せいちゃんは新旧ヒット曲のカバーを中心に、持ち歌も織り交ぜて披露した。巻き髪の言う通りだった。声に深みがあって良い。音程も外さない。この連載の担当編集者Fさんに以前せいちゃんの動画を観ていただいたところ「確かに歌はうまいですね」と実に的確な一言をくださった。そうなんだよ。歌はうまいのだよ。自作の歌詞がむず痒くて聴くに堪えないだけなのだ。独特な土地で、独特な親や親族に囲まれて育ったのに、どうして平凡な歌詞を書くのだろう。あの辺鄙な地から上京した彼にしか書けない思いがあるはずなのに、どこかで聞いたような照れ臭くなるフレーズばかり繋ぎ合わせるのだ。だから歌詞の優れた曲をカバーすると、せいちゃんの歌唱力が引き立った。変な汗をかくことなく、その世界観に入り込める。せいちゃんは時おり目を閉じ、自分の声に、この夜に、この出会いに、うっとりしているようだった。降りしきる雨に両手を広げるような素振りをする。指の隙間からこぼれ落ちる雨が見えた。
そう言えば昔から変にかっこつける癖があった。デビュー時のポスターもそうだ。バーのカウンターで片肘を付き、軽く握った手を顎に当て、物憂げな瞳で遠くを見ていた。ピチピチの黒い皮のパンツ、胸元が見えるほどボタンを外したシャツ。顔のラインに鋭角を張り付けたようなウルフカット。精一杯さりげなさを装っているが、不自然さは拭えない。いったい何をしたいのか。誰の案なのか。薄暗いバーでウルフは何を思っていたのか。
紆余曲折あったものの、当時から応援してくれる人がいる。誰の目も気にすることなく今も昔も堂々とかっこつけている。せいちゃんもファンもとても幸せそうだった。血のつながりはあれど、画面越しに冷笑し、偽名でこそこそ聴きに来るような私こそ恥ずかしい人間なのだった。
打ち上げに誘われたが丁重にお断りした。もう充分楽しんだ。これ以上、追及されないうちに帰らなきゃ。そう足早に立ち去ろうとした時だ。
「ほら、せいちゃんとツーショットで撮ってもらいなよ」
巻き髪たちが囃し立てた。
「いやいや、いいです」
ほんとに無理だから。やめてくれ。これを遠慮だと思わないでくれ。とある逃亡犯が潜伏先の職場で写真を拒み続けたというエピソードが頭をよぎった。その通りだ。写真は確かな痕跡となり、人々の記憶にも残りやすい。
「こんな機会なかなかないよ。いいよね? せいちゃん」
「斉藤さん、ぜひ撮りましょう」
もちろん乗り気だ。ぜひ、じゃないんだよ。
もう逃げられないと悟った私は「じゃあ、みなさんも一緒に」と声を掛けた。この判断は我ながら妙案であった。ツーショットだと大きく写るが、その場にいた六人で撮れば顔の面積が自然と小さくなる。そっと後列に移動しようとした私を巻き髪がぐいっと前列中央に押し出した。せいちゃんの隣だ。まずい、同じ系統の顔がふたつ並んでしまうじゃないか。今はみんな高揚していて気付かないけど、あとで見返したら「なんか似てない?」って思うよ。生きた心地がしない。ぐっとマスクを引き上げ、できるだけ膝を曲げて身長を誤魔化し「はい、チーズ」の瞬間、目をしっかり閉じた。よくやった。賢い。これで回避できた。すると撮影者がスマホをチェックし「あー斉藤さん目つぶっちゃってます。もう一回お願いします。次は連写で」と言った。常連たち、どこまでもぬかりない。新規ファンの記念の一枚を最高のものにしてあげようという心遣いだ。私はこの人たちの厚意を何度裏切る気なのか。観念し、できるだけ目を細めた。せいちゃんのシャツのボタンは昔と変わらず胸元まで開いていた。
あれから何度か、せいちゃんからメールが来ている。次のライブのお知らせと、来てくれた感謝の思いと、LINE交換しませんかという誘いだった。平伏してお願いする顔文字が添えられている。どうやら斉藤としてやっていけそうだ。あれほど会場から逃げ出したい思いに駆られたのに、私は冬に開催されるライブのチケットを予約した。
筆者について
エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。