1994年『漫画ゴラク』にて連載を開始し、現在単行本54巻を数え、累計発行部数800万部を記録するラズウェル細木の長寿グルメマンガ『酒のほそ道』。主人公のとある企業の営業担当サラリーマン・岩間宗達が何よりも楽しみにしている仕事帰りのひとり酒や仕事仲間との一杯。連載30周年を記念し、『酒のほそ道』全巻から名言・名場面を、若手飲酒シーンのツートップ、パリッコとスズキナオが選んで解説する。酒場で蘊蓄を語る苦労。飲兵衛にとって縁起のいい初夢とは。
「図鑑で知識を仕入れ、店に入荷を確認し、みんなをそこに誘って、さりげなく注文する。うんちくを語るのも骨が折れるワ」
冒頭、宗達は「魚一」という店に電話をかけ、「今日はホヤは入荷していますか?」と確認する。さらには机の上に本を広げ、「さァもう一度復習だ」と何やら意気込んでいる。
その日の夜、会社の同僚たちと宗達が飲みに来たのは、事前に電話をかけていた「魚一」。「お ホヤがあるぞ」と、今気づいたかのようにホヤ料理を注文する。珍味の新鮮な味わいに舌鼓を打つ一同だが、そうなれば自然と「でも何なんですかホヤって?」と、その謎めいた生態が話題に上がる。
「ホヤはたしか原索動物だったかな」「カラダの中に脊椎の原型である脊索というものを持つ動物のことさ」と、ここからほぼ1ページ丸ごと、宗達の知識がすらすらと語られる。その博識ぶりに、「勉強になりましたわ」「さすが岩間さん物知りですねェ」と感嘆する一同。宗達はそれを「なーにどうでもいいんだよそんな知識は、大事なのはウマいかどうかってことでさ」と笑い飛ばして酒を飲む。
ひとりになった帰り道、「水の生物」という図鑑を図書館の夜間返却口に返した宗達がつぶやくのがこのセリフ。普段なかなか見えてこない宗達の陰の努力が垣間見える貴重なエピソードである。それにしても、きっと毎日こんなことばっかりしてる宗達は、ちゃんと会社で仕事をしているんだろうか……。
「一富士、二鷹、三なすびだよな、縁起のいいのは。つまんねーなそんな夢、オレなら一酒、二麦酒、三焼酎だね」
新年を迎えた宗達が、ひとり、初夢について語っている。古くから縁起がいいとされてきた「一富士 二鷹 三なすび」ではなく、「オレなら一酒 二麦酒 三焼酎だね」と言う。もはや宗達をよく知る我々読者にとっては「まあ、あなたなら、そうでしょうね」と真顔でスルーしてしまいたくなる発言だが、酒に対する限りない愛がここにも表れている。
そこから「せっかくならいい夢見たいもんだ」「たしか七福神の乗った宝船の絵を枕の下に入れとくんだったっけ」と、物知りかつ、ちゃんとそういうことを実践してみるところが素敵である。しかし宗達が描いたのは七福神の乗った宝船ではなく、“宝船に乗った七つの珍味”であった。
それを枕の下に敷いて寝た宗達が見る夢が最高だ。立ち飲み屋のカウンターから押し出され、なぜか巨大な穴に落ちてしまう夢。ちょっと高級そうな雰囲気のあるダイニングバーで金額を気にしながら飲んでいると、目の前に運ばれてきた「酒肴珍味七点盛り」がタイムアップだとかで店員に持っていかれてしまう夢……。
目覚めるなり「勘定なんか気にしないでサッサと食っとけばよかったんだっ」と頭を抱える宗達は滑稽だが、同時に、小さなことに一喜一憂しながら毎日を楽しんでいこうとする姿勢が伝わってきていいなと思う。
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次回「小さなシアワセの見つけかた『酒のほそ道』の名言」(漫画:ラズウェル細木/選・文:パリッコ)は8月23日(金)17時配信予定。
筆者について
1956年、山形県米沢市生まれ。酒と肴と旅とジャズを愛する飲兵衛な漫画家。代表作『酒のほそ道』(日本文芸社)は30年続く長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』(婦人生活社)、『美味い話にゃ肴あり』(ぶんか社)、『魚心あれば食べ心』(辰巳出版)、『う』(講談社)など多数。パリッコ、スズキナオとの共著に『ラズウェル細木の酔いどれ自伝 夕暮れて酒とマンガと人生と』(平凡社)がある。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。米沢市観光大使。
(撮影=栗原 論)
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。