1994年『漫画ゴラク』にて連載を開始し、現在単行本54巻を数え、累計発行部数800万部を記録するラズウェル細木の長寿グルメマンガ『酒のほそ道』。主人公のとある企業の営業担当サラリーマン・岩間宗達が何よりも楽しみにしている仕事帰りのひとり酒や仕事仲間との一杯。連載30周年を記念し、『酒のほそ道』全巻から名言・名場面を、若手飲酒シーンのツートップ、パリッコとスズキナオが選んで解説する。酒場の卓上の調味料と料理の味わいの関係性は? お酒とお金と翌朝の後悔について。
「こーゆー卓上の調味料や小物でね 店の善し悪しがある程度わかるんだよ」
居酒屋のカウンターやテーブルの上にはたいてい、醤油やソースなどの調味料、箸入れや爪楊枝入れなどが並んでいる。そういった細かい部分への気配りにこそ、その店のよさが現れるのだと、宗達は言う。たとえば、醤油さしを傾けても醤油が出てこない(醤油が乾燥して注ぎ口をふさいでしまっている)とか、ソースの入れ物がベタベタしているとか。大衆酒場をめぐっていて、そんな経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。たしかに、毎日の開店前に手入れやチェックを怠らない店であれば、そういったことは防げるのかもしれない。
しかしこのエピソードでは、冒頭の宗達の発言がすぐにひっくり返されることになる。調味料や小物類がきちんと整っていた店で食べたものは、どれもいまいちだったのだ。おそらく、マニュアルで管理されているからこそ手入れが行き届いていたのであり、肝心の料理もマニュアルに沿って調理されただけの、味気ないものだったのだ。落胆する宗達が海老沢に連れられていった2軒目は、醤油の蓋もゆるゆる、七味はすでに空、ソースは見当たらず、頼んでやっと出てくるといった状況。しかし……意外にも料理の味わいは抜群だった。宗達の唱える法則が絶対ではないのだと証明される、なんだか痛快な回だ。
「金なんざ残したところで面白くもなんともないもんな」
休日だろうか。宗達はかすみさんとふたりで東京・日本橋へと繰り出す。長年にわたって庶民に愛されてきた老舗洋食店で軽く腹ごしらえ、その後、敷居がそれほど高くない寿司屋に入って青柳に小肌、平目のえんがわなどをつまむ。寿司の傍らには徳利が描かれており、なかなかいいペースで飲んでいるようだ。
日が落ちかけた頃、ふたりは日本橋から銀座へとやってくる。日本橋に比べ、貨幣の鋳造所から発展して今ではすっかりセレブな街となった銀座は「なんか背すじがピンとなるような気がする」とかすみさん。しかし、そんな町でこそ宗達のガイドは頼もしい。路地裏に大衆的な酒場があることを知っていて、抜け目なくエスコートする。刺身盛り合わせ、焼きうど、新じゃがバターにアスパラと次々に料理を注文し、「おやじさんお酒 お酒!」といい調子の宗達に対し、かすみさんが言う。「でも岩間さん 金にも銀にも縁がないはずね」「いくら大衆的なお店を選んでもこれだけ飲んだり食べたりしてちゃお金が残るわけないわよ」と。それに対して宗達は「金なんざ残したところで面白くもなんともないもんな」と啖呵を切る。宵越しの金はもたないという言葉を地でいく豪快ぶりだが、宗達のことだから「昨日はお金使い過ぎたなぁ」と翌朝しっかり後悔していそうでもある。
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次回「小さなシアワセの見つけかた『酒のほそ道』の名言」(漫画:ラズウェル細木/選・文:パリッコ)は9月27日(金)17時配信予定。
筆者について
1956年、山形県米沢市生まれ。酒と肴と旅とジャズを愛する飲兵衛な漫画家。代表作『酒のほそ道』(日本文芸社)は30年続く長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』(婦人生活社)、『美味い話にゃ肴あり』(ぶんか社)、『魚心あれば食べ心』(辰巳出版)、『う』(講談社)など多数。パリッコ、スズキナオとの共著に『ラズウェル細木の酔いどれ自伝 夕暮れて酒とマンガと人生と』(平凡社)がある。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。米沢市観光大使。
(撮影=栗原 論)
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。