1994年『漫画ゴラク』にて連載を開始し、最新57巻が絶賛発売中! 累計発行部数800万部を記録するラズウェル細木の長寿グルメマンガ『酒のほそ道』。主人公のとある企業の営業担当サラリーマン・岩間宗達が何よりも楽しみにしている仕事帰りのひとり酒や仕事仲間との一杯。連載30周年を記念し、『酒のほそ道』全巻から名言・名場面を、若手飲酒シーンのツートップ、パリッコとスズキナオが選んで解説する。どんなお店でも美味しいお酒を飲むには。天ぷらは塩か天つゆか。
「自分たちがたのんだものが来てもずーっと他の店の食べ物の話 しかも予約のとりにくい店だの高級居酒屋だの サイテーだな…」

無粋な客に宗達が怒りをあらわにするエピソードである。庶民的な大衆酒場らしい風情ながら、旬の食材を仕入れ、しっかりと手をかけて料理してくれるような店でひとり飲んでいる宗達。
日本酒を飲み、お通しの「新わかめとシラス」の風味に目を細め、「シャコわさ」の肉厚でむっちりとした歯ごたえを堪能していると、隣のテーブルに座るふたりの客が、予約の取れない人気店の話をしているのが聞こえてくる。その店の和牛のタタキが絶品だったこと、価格は高級だが希少な食材を使っているらしい居酒屋に行ったことなどを、運ばれてきたお通しや自分たちが注文した料理には目もくれずにふたりは話し続ける。
それを横目に、宗達は「なんだよあいつら」「サイテーだな…」とつぶやく。常に目の前にあることを全力で楽しむのが、宗達の酒の飲み方である。どんな酒を揃え、どんな料理をメニュー表に並べているのか、店や店主の雰囲気がどんなふうか……酔いながらもできる限り感覚を鋭敏にして、その場から多くのことを詠み取ろうとするからこそ、その時間が忘れがたいものとなる。どこで飲んでいても、そこを切り盛りする人に敬意をもって真摯に接するのが宗達のスタイルなのだ。
「このまま塩が幅をきかせ続けていたら 天つゆは消滅してしまうんじゃないか」

前後編、2回にわたってまで“天ぷらの食べ方”が議論されるのが『酒のほそ道』の面白いところだ。天ぷらが評判の居酒屋にやってきた宗達と同僚たちは、マイタケ、イカ、キス、アスパラと早速色々と天ぷらを注文する。
しばらくして注文の品が運ばれてきたが、天つゆがない。すぐに宗達が店主に声をかけると、「ウチのお客様 ほとんど天つゆお使いにならないのでお出ししないことにしたんです」と意外な返事。天ぷらを塩で食べるお客さんが主流となり、天つゆは希望した客に飲み提供するようにしているらしい。
天つゆがないなんてと驚く宗達だが、同席の海老沢くんもかすみさんも、“塩があればそれでいい派“らしい。そこから議論が紛糾するのだが、宗達に言わせれば、塩との相性がいい天ぷらのタネも確かにあるが、天つゆのほうがいいものもある。そして塩と天つゆのどちらにも合うものなら、味付けを変える楽しみも生まれる。
「このまま塩が幅をきかせ続けていたら 天つゆは消滅してしまうんじゃないか」と目を見開く宗達が大げさに見えて笑ってしまいそうになるが、彼にとってこれは、大事な食文化が失われかねない危機なのである。
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次回「小さなシアワセの見つけかた『酒のほそ道』の名言」(漫画:ラズウェル細木/選・文:パリッコ)は7月11日みんな大好き金曜日17時公開予定。
筆者について
1956年、山形県米沢市生まれ。酒と肴と旅とジャズを愛する飲兵衛な漫画家。代表作『酒のほそ道』(日本文芸社)は30年続く長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』(婦人生活社)、『美味い話にゃ肴あり』(ぶんか社)、『魚心あれば食べ心』(辰巳出版)、『う』(講談社)など多数。パリッコ、スズキナオとの共著に『ラズウェル細木の酔いどれ自伝 夕暮れて酒とマンガと人生と』(平凡社)がある。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。米沢市観光大使。
(撮影=栗原 論)
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。