宗教2世(エホバの証人2世)として過酷な幼少期を経験し、現在、宗教2世のために自助グループの運営にも尽力する文学研究者の横道誠が、宗教1世(自らカルト宗教などに入信した人)と宗教2世10名にインタビュー。その証言や、幻想文学、そして自身や自身の母親の経験をもとに、「他人」としてではなく、「当事者」として、また問題に深く関心を持つ味方「共事者」として、「狂信」の内側に迫る『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』が、2023年11月28日に刊行された。そこで、本書の一部を全6回にわたって公開。
宗教1世と宗教2世
「「現代用語の基礎知識」選2022ユーキャン新語・流行語大賞」で、ベストテンにランクインした「宗教2世」。しかし残念ながら定義として確立したものはない。そこで私は便宜的に、本書のための定義を設定しておきたい。
一般的には特定の宗教(新宗教のことが多いけれど、伝統宗教のこともある)を信仰する家庭に生まれ、宗教教育を施された信者が、宗教2世と呼ばれる。場合によっては3世信者、4世信者、5世信者なども含む。宗教1世はその親信者のことで、その宗教にみずから入信した人たちだ、と理解されている。
本書では、その通念を少しだけ変形させたい。宗教2世問題は、2世信者として宗教被害を受けたと感じている人たちが、声をあげることで世間に認知された。正確には、そのように声をあげる人たちは以前からたくさんいたのだが、それが社会問題として広く可視化された。だから私は、宗教1世や宗教2世という語を、宗教被害を受けたと考える脱会者に限定するのが適切ではないかと思う。宗教被害を受けたと考える脱会済みの1世信者と2世信者。これが本書での宗教1世と宗教2世だ。
また本書での宗教1世については、範囲を拡張している面もある。子信者たる宗教2世の親でなくても、宗教にみずから入信した人を本書では宗教1世と呼ぶ。つまり子どもがいるかどうかは問わない。実質的に本書での宗教1世は、これまで「カルト脱会者」と呼ばれていた人々と同一となる。なぜカルト脱会者と表現すれば済みそうな、子どものいない元信者まで宗教1世と呼ぶのか。それは私が本書で宗教2世のひとりとして、みずからの宗教2世の体験世界を軸として、宗教1世の体験生活を「共事者研究」の対象にしたいと考えているからだ。
共事者研究とは何か。だがそれを説明する前に、本書のねらいを示しておかなくてはならない。
内側からの狂信論
本書は宗教1世や、それにつうじる体験を経た宗教2世、つまり2世信者として子ども時代を過ごしたものの、自発的かつ活発に宗教活動にのめりこんだ時期がある2世の体験世界に迫る試みだ。彼らの内側からの感覚をいくつかの項目ごとに切りわけて語り、それを一冊にまとめることで、宗教1世たちの体験世界の集合体──「宗教1世的な世界観」と呼びうるもの──を読者に追体験させることをめざしている。
世間から問題があるとされる宗教に入信する動機については、マインドコントロールの方法に関する本などが出ているが、「内側からの体験世界」はいまなお充分に知られていないように思われる。信者の体験談などを聞いても、「なぜ?」という疑問が解けない人が多いのではないだろうか。そこで本書では、私自身の体験と知識を駆使して、さらには宗教1世や宗教2世たちへの聴きとりをつうじて、あなたが宗教1世になるとしたら、どのような内発的かつ外発的契機によってなのか、ということを説明していきたい。
のちにじぶんは宗教被害を受けたと考えるようになる宗教団体に一時はすがり、夢中になり、やがて冷めてゆく過程は一様ではなく、複層的に絡みあっている。宗教学や心理学の専門家は、その過程を料理を完成させていくかのように、順序立てて客観的に、見事に解説できるかもしれないが、そのような説明では読者はどうしても安全地帯から他人事として眺める、という具合になってしまう。宗教1世たちを「愚かでかわいそうな人たち」と位置づけて終わってしまうだけになりかねない。
さまざまな事情を重ねあわせながら説明することで、初めて立ちあがってくる「当事者」の重層的な体験世界がある。線形的な因果関係や論理関係を解体することで、読者はさまざまな事情を頭のなかで再構築することができるだろう。それによって、宗教問題をつうじて、私たちが住まう世界の全体性に対する展望をももたらしたい、というのが本書の目標だ。
『あなたも狂信する』という書名は、世間一般で新宗教やカルト団体の信者になる人は狂信的で、じぶんには無関係だと顔をそむける人が多いことを、念頭に置いたものだ。無関係だと思っているあなただって「狂信」する可能性がある。入信した人には、みんなその人なりの信念や理屈、事情や背景などがしっかりあったということを訴えたいために、この書名を本書に冠することにした。
個々の記述を分断しながら配置したことによって、本書の様式は必然的に断章群の形をとった。断章群の多くはそうだが、おそらく読者は本書から詩的な印象を受けると思われる。その詩的なバラバラな情報を同時に成立させようと、読者には頭のなかで奮闘していただきたい。そうすることで当事者たちの世界を主観的に追体験する、ということが可能になる。
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※この続きは、現在発売中の横道誠・著『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』にてお読みいただけます。
筆者について
よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)、『あなたも狂信する――宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。