「カルチャー ×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、デビュー作『世界と私のA to Z』が増刷を重ね、新刊『#Z世代的価値観』も好調の、カリフォルニア出身&在住ライター・竹田ダニエルさんの新連載がついにOHTABOOKSTANDに登場。いま米国のZ世代が過酷な現代社会を生き抜く「抵抗運動」として注目され、日本にも広がりつつある新しい価値観「セルフケア・セルフラブ」について語ります。本当に「自分を愛する」とはいったいどういうことなのでしょうか? 一緒に考えていきましょう。
資本主義的なセルフケアから距離を置く
セルフケアは、常に他者から見たときに見栄えがするようなオシャレなものや、心地よいものばかりではない。持続可能な生活を維持するために、自分を律する行為や、将来的な自分の幸福を守るために、たとえ今は心地が悪かったとしても、自分を傷つけてくる人とはっきりと距離を取ることなども、セルフケア・セルフラブを習慣づけるための大切なピースとなってくる。
例えば、気分が落ち込んでいて不安に陥っているときに、部屋に閉じこもって布団の上でスマホをスクロールし続けることで現実逃避をしたくなってしまうということはよくある。しかしそういうときに、もし自分を本当の意味で大切に扱いたいのであれば、一時的には多少無理やりだと感じたとしても、いったん外に出て散歩をして太陽の光を意識的に浴びることで、30分後には少しでもすっきりとした気持ちになれるかもしれない。自分を客観的に観察しながら小さいことの積み重ね「ケア」を続ける。部屋に置いてある観葉植物の状態を観察して、水が必要なのか、もっと日当たりの良い場所に置いた方が良いのか、などと考えるように、自分を大切なものとして扱うことが大事になってくる。
セルフケアは長期的な視点で
健康的で規則正しい生活……というのは多くの人にとってハードルが高いものに感じられるかもしれない。実は私も苦手だ。これだけセルフケア・セルフラブをテーマに様々な執筆をしているのに、グダグダと昼くらいまで寝たり、社交の場で酒を飲みすぎたり、日中の眠気を物理的に遮断するためにカフェインを過剰摂取することも多い。しかしその中でも、できる限り自暴自棄にならず、食事では野菜を多く摂るようにしたり、水分を忘れずに補給できるようにマイボトルを持ち歩くようにしたり、平均よりも圧倒的に睡眠時間を要する自分の体質と折り合いをつけて、長めに寝られるように睡眠時間を中心にスケジュールを決めたりしている。決してアウトドア派ではないので、毎回「めんどくさいし嫌だなー」と思いながらも、アップルウォッチを(見た目がダサくても)装着して、外に出て散歩をするなりジム行って運動をするなり、座りっぱなしにならないように定期的に立ってリビングをうろつくなどを心掛けている。
ここまでの話を見ると、単なる一般的な健康法に見えるかもしれないが、「セルフケア」には、行動だけではなく「意識」が重要になってくる。「自分は大切に扱われるべき価値ある人間である」と、そのフレーズ自体が取ってつけたように感じたとしても、萎れた観葉植物を放置しなかったり、大切な友人が家に遊びにきたら部屋の環境をできる限り整えるのと同じで、自分の体や精神に対しても客観的な目線からケアを与える習慣をつけることこそが、「セルフケア」の根幹である。「セルフケアといえば自分へのご褒美、といえば豪華な食事やオシャレなおやつ」といったような「甘やかし」とは異なる、「地道に健康であり続けるための習慣」なのだ。
日本では「長寿の心得」のようなティップスが巷に溢れていて、健康法に詳しい人がアメリカよりも圧倒的に多い。安価で定期検診を受けることができたり病院に通えたり、コンビニや薬局でたくさんのサプリや滋養剤が簡単に購入できたり、マッサージや整体を手軽に受けられたりするのも特徴だ。一方アメリカでは、極端にウェイトリフティングにばかりフォーカスしたジム通いが「運動」だと思われがちだったり、そもそも外で歩けるような歩道があるとは限らない車中心社会であったり、治安の問題で外を意味もなく散歩することが習慣づいていない。だからこそ「セルフケア」という形で、マインドフルネスやセラピーなどの「精神的なケア」と並行して、意識的に行う身体的な健康維持方法も語られるようになったのだ。
日本において「自分へのご褒美」や「ご自愛」という文脈で語られがちなセルフケア・セルフラブは、お金を支払うことで(買うことで)すぐに、かつ目に見える形で実現することが魅力であり、メディアなどで扱われやすく、「分かりやすい」。しかし、本来的なセルフケア・セルフラブは、すぐにできるものばかりではない。将来の自分に向けて「今」責任感を持った行動をとることや、長期的なメンタルヘルスの維持を見据えて人間関係においてバウンダリー(境界線)を引くことなど、最初は不快に感じられたり摩擦を生んだとしても、「自分のためを思って自分を大切にする」には重要な行動だ。例えば、いつも自慢話や他人の悪口ばかりを言い、自分に対しても傷つけるような発言をする「友達」に嫌われるのが怖くて、なかなか自分の意見を主張したり、誘いを断れずにいる場合、それは自分を傷つけるような行為だと言っても過言ではない。一時的に「嫌われる」ことや「距離を置く」ことは、普段周りの人々のペースに合わせることに慣れてしまっている人にとっては苦痛かもしれないが、長期的に見たら自分を「守る」行為である。
もちろん「買う」という行為を通じたセルフケア・セルフラブが絶対的な悪であるわけではない。まるで大切な人のために良いものを買ってプレゼントするように、自分も「価値のある存在」として商品やサービスにお金を払うという行動の根源に、「自分を大切にしたい」という思いが込められているのであれば、それも立派なセルフケア・セルフラブの形だ。しかし、モノとして残らずとも、例えば自分を大切に思ってくれる友人や家族と繋がりをもち、定期的に連絡をすること、人生にポジティブな影響を与えてくれる人を周囲に置くこと、自分の感情を抑圧せずにマインドフルであること、今あるものに感謝することなど、行動や精神的な構え方なども、日常的な積み重ねでできるセルフラブ方法だ。
様々な要因で常に忙しさを感じている現代人にとって、セルフケア・セルフラブがまた一つ課せられた「タスク」のように感じてしまったり、「生産性のためのツール」として利用されてしまったりしては、本末転倒だ。向き不向きも当然ある。綿密なプランを立てて、毎日早起きして瞑想してジャーナリングをして……という習慣を守ることはもちろん大事なことではあるが、その習慣自体が大きなストレスになってしまっては意味がない。そういうときには、これは自分に合ったセルフケア方法ではない、として見切りをつけることも大切なのではないだろうか。
お金を使ったり、目に見える形のものだけではなく、感情面でのセルフケア、人間関係におけるセルフケアなど、生活のあらゆる側面でいかに自分を「大切に育てられるか」に着目することで、できる「ケア」の形はどんどん増やしていくことができる。「自分は大切に扱うべき存在である」という認識を持つことで、日々の生活における様々な些細な行動が、「ケア」へとつながっていくのだ。
〈お金をかけずに実践できるセルフケアの例〉
●散歩をする
●マイボトルを持ち歩いていつでも水分補給できるようにする
●十分な睡眠時間を確保する
●自分を大切にしてくれる友人や家族に連絡する
●人生にポジティブな影響を与えてくれる人を周囲に置く
●自分の感情を抑圧せずにマインドフルである
●自分を大切にしてくれない人とは距離を置く
●嫌なことに勇気を出してNOと言う
●日記をつけて自分の感情を知る
●自分の権利を主張する
次回は、1月10日(水)17時更新予定。
筆者について
たけだ・だにえる 1997年生まれ、カリフォルニア州出身、在住。「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、リアルな発言と視点が注目されるZ世代ライター・研究者。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。著書に文芸誌「群像」での連載をまとめた『世界と私のA to Z』、『#Z世代的価値観』がある。現在も多くのメディアで執筆中。「Forbes」誌、「30 UNDER 30 JAPAN 2023」受賞。