お口に合いませんでした
第6回

町でいちばんのうどん屋

暮らし
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ふやけて崩れたハンバーガー、やる気のない食堂の冷たいからあげ、サービスエリアの伸びきったうどん……。おいしくなかった食事ほど、強く記憶に残っていることはありませんか。外食の「おいしい」が当たり前となった今、口に合わなかった食事の記憶から都市生活のままならなさを描く短編小説連載。

 これはどう考えても、他人をもてなすために出していい料理じゃ無いだろう。汚れたコップ一杯の茶をひといきに飲み干し、こみ上げる吐き気をどうにかおさえてわたしはぎりぎり笑顔をつくった。

 帰りたい。

 師走師走というけれど、うちの会社が忙しいのはどちらかというと年度末にあたる3月のほうで、12月はもう月の半分を越えると一気に店じまいモードだった。一年のうち、この呑気なシーズンにさしかかると営業所にもまったりとした空気が漂いはじめて、いつもはどうでもいいことで文句をつけてくる部長も呆けた顔で、日の当たるデスクでのんびりと経済新聞をめくっている。

 要するにヒマなのだ。やることといったらお歳暮の在庫確認に、会社名義で取引先に送る年賀状兼DMのレイアウト、それから忘年会の店選びくらいだ。今年は年内で退職する人も特にいないから送別会を兼ねる必要もないし、部長の好きそうな日本酒の店でもチョイスしておけば間違いないだろう。食べログで目星をつけた店の候補のいくつかのURLをコピーして、係長にメール送信する。「件名:忘年会のお店候補につきまして」。こんなことをしているうちに午前中が終わるのだ。

 昼めしの牛丼をかっこみながら、片手でSNSを開けばシャンパンにアフタヌーンティーにホテルのプロポーズと、学生時代の友人たちの派手な遊びの近況がばらばらと流れてくる。同じゼミだった女子のアカウントの、箱が横にパカッと開くタイプの超・高級婚約指輪の写真とともに添えられたタイトル「ご報告」に、おまえは一般人だろうが、と内心毒づきながらいいねを押しておく。じぶんの手元にあるのは、アルミの蓋が上下にパカッと開く紅しょうがの容器だけ。胸のあたりがなんだかむずがゆくなって、蓋を無駄にパカパカやって残り半分になった牛丼を紅しょうがで味変してたいらげる。係長から、昼前に送ったメールの返事が来ていた。「Re:忘年会のお店候補につきまして」。どうやら候補はどれも問題ないらしい。では、午後は忘年会の出欠確認に、のんびり明日の出張準備でもして帰るかな。

 新卒で入社して7年目。もう三十路になるというのに、小さな営業所の中では、わたしはまだまだかわいい若手だった。じぶんのやっていることは、新興のIT企業やマスコミでばりばり働いている友人たちと比べたら隔世の感がある。すでに2回や3回転職しているやつもいれば、ディレクターだとかチーフだとか、よくわからないけどもうちょっとした役職に就いているデキるやつもいる。同じ東京で働いていたって、時間の流れるスピードはそれぞれ全然違う。彼らに会うたび「残業少なくてホワイトでうらやましい」と口をそろえて言われるけれど、それはそれとして、彼らが各々社会にコミットして、日々揉まれながらもじぶんの職業に誇りを持っていることのほうがわたしにはうらやましく思えた。彼らと同じように、オレらで日本を動かしています風な顔をわたしもしてみたいものだと思う。

 今の若者はもっと競争をしないとダメだと、テレビで経済評論家のジジイが口角泡を飛ばしていたけれど、それは本当におっしゃる通りなんでしょうねと自嘲する。この国のGDPを下げているのはわたしのようなお気楽人間でーす、ごめんなさいねー、と画面に手を振った。リモコンのボタンを押して接続をぶつりと切ればジジイの顔も同時に消滅する。

 翌朝は少し早めにマンションを出て社用車を取りに社へ寄り、そのまま出張先へ。年末の出張は気楽でいい。昨日の午後、形式上こしらえた簡単な新商品の資料とサンプルを持参しつつ、お歳暮の菓子折りを配りに行くだけの楽な仕事だ。同じ都内にある取引先はすでにだいたい回り終えていたから、今週からは数社ほど担当している、他県の取引先への挨拶回りが主だった。どこも会社から特急列車を使えば1時間の地方都市にあったけれど、荷物もかさばるし、誰も使っていない日は社用車を使うことにしている。多少早起きする必要はあっても車を運転するのは好きだし、じぶんひとりの出張はいい気分転換だった。まだ人もまばらな営業所で荷物を整理し、ホワイトボードの予定表に取引先の名を走り書きして出かける。今日はほとんど休みみたいなものだ。

 取引先とのアポイントは13時。平日の昼間とはいえ多少警戒していたものの、高速道路は思いのほか空いていて、1時間近く早く着いてしまいそうだった。視界の左半分に流れてくるグリーンの案内表示をちらと見れば、数キロ先に比較的大きなサービスエリアがあるようだった。いったんここらで休憩しよう。

 駐車場を占めているのは大型トラックがほとんどで、サービスエリアの中にあるおみやげコーナーなんかはさすがに閑散としていた。コーヒーでも買って車の中で休むかと思ったけれど、おみやげコーナーの先にある、フードコートのような食堂のにぎわいが少し気になって足を止める。学食に似ただだっぴろい、長机がどっかりと並ぶその空間には、トラック運転手らしき体格のいい男たちが一心不乱にぞろぞろとそばやうどんをすすっていた。カウンターの奥は厨房になっていて、白い三角巾を頭に巻いたおばちゃんたちが湯気の向こうでテキパキと働いているのが見える。それはまさに、労働者の食事場というにふさわしい神聖な光景だった。まだ昼前の時間だったが、彼らの姿を見ているとなんだかお腹がすいてくる。昼食は取引先への挨拶を終えてから食べようと思っていたけれど、早めに済ませたっていいだろう。

 迷わず買った食券をカウンターへ渡せば、速度をゆるめることなくテキパキと手渡されるカツ丼。衣は薄くさっくりと揚げたてだし、ちょっと甘辛いタレも後を引くうまさだ。肉も米も地元のブランドを使っているとも書かれていた。地物と聞けばそれだけでうまいように感じるめでたい舌なのでありがたくいただく。じぶんが子どもの頃はサービスエリアの食事なんてもっと適当で、インスタントな感じの料理しか出てこなかった気がしたけれど、いまどきこんなところでも地産地消を意識しているんだ。たいして競合もなさそうだしもっとあぐらをかいたっていいはずなのに、まさに企業努力ですね。と、脳内でいつか見た経済評論家のジジイの口調をまねしながら残りをたいらげる。おみごと。目的地までの通過点でしかないサービスエリアで出される、通過点の郷土食。でもなんとなくその土地の名前は記憶に残った。

 こうなるともう旅行気分であるが、さすがにこれ以上気をゆるめないように、カップコーヒー自販機の、クリーム砂糖抜きブラックのボタンを押す。生中継だか録画だかいまだにわからない抽出映像に合わせてルルルルンルンルンルルルルンと流れてくるコーヒールンバを聞きながら、持ってきた提案資料の内容をおさらいした。毎度同じことの繰り返し。4ヶ月前にも似たような出張に出かけたはずだ。あれはお中元の挨拶回りだった。この生活を何回か繰り返せば係長、さらに何十回か繰り返せば課長のできあがり。終身雇用なんて古い考えだと言われようとも、それが弊社のスタンダードなんだから他人に文句を言われる筋合いはないのだ。とはいえオンライン会議も導入していないような遅れっぷりで、うちの会社が数十年後も生き残っていられるかは甚だ疑問だったが。

 高速道路を2時間、大した道のりじゃあないが視界の先には山々が連なり、景色はすっかり地方都市のそれだ。きっかり13時に取引先へ到着すると、いつもの担当者と一緒に、なんと営業部長まで出てきてくれたのでちょっとおののく。年末で暇なのはお互い様ということだろうか。急ごしらえの提案資料をやけに興味深そうにぺらぺらめくってくれるので、こちらも多少熱をこめてプレゼンもどき。すっかり油断していたけれども、お暇な我が営業所の部長へのみやげに何か儲け話でも持って帰れたら出張の甲斐があるってもんだ。営業部長はわたしの話を最後まで聞くと、担当者とぼそぼそ話し、提案書に書いた新商品のうちいくつかの見積もりをざっくりでいいから教えてくれと言ってきた。そりゃあもう、ぜひに。

 いやあ今日こんなお話させてもらえると思いませんでしたよう、と出された茶をすすりながら軽口を叩けば、営業部長は腕時計をちらりと見て「お昼、まだでしょう。東京からわざわざ来てもらっちゃったし、どう、近所にうまいうどん屋があるの」とニコニコしながら言った。さっきも通過点の郷土カツ丼を食ったところだったが、まだまだ食べ盛りの三十路、どうってことはない。そりゃあもう、ぜひにぜひに。  

 営業部長と担当者とわたし。3人連れ立って、取引先の社屋から歩いてすぐの場所にうどん屋はあった。さほど大きくはないが立派な構えで、入口の暖簾にはちょっと色褪せた文字で「うどんそば」と書かれている。どうやらこの街では有名な老舗らしく、がらりと引き戸を開けてくぐると、すぐの壁には芸能人のものらしきサイン色紙がびっしりと飾ってあった。それぞれの名前にあまり見覚えはなかったが、まあ、ローカルタレントか何かなんだろう。店はランチのピーク時間帯を過ぎたのか混んではおらず、手前の席で5、60代くらいのおばさんが茶を飲みながら壁掛けのテレビでワイドショーを眺めているだけだった。天井が高いせいか、いやにひっそりとしている。中へ進むと、石油ストーブの独特のにおいが鼻をかすめた。他人の家に上がり込んだような奇妙な感覚があった。

 店の人はいっこうに出てくる気配はなかったが、営業部長はいつもの定位置でもあるのか、真ん中の四人掛け席にどっかりと勝手に腰掛ける。さすがに店の人は、と思ってきょろきょろ見回していると、さっきテレビを眺めていたおばさんがおもむろに立ち上がり、「いらっしゃ〜い」とやる気なさそうにお茶のポットと品書きをわたしの目の前にどんと置いてきた。店の人だったのかよ。てっきり先客だと思ったので少し面食らったまま、卓に備え付けられたコップに茶をそそぐ。コップは印刷のかすれたハローキティの絵柄で、ふちを触るとギリギリ気になるか気にならないか絶妙なラインの汚れが付いていた。店の中をよく見れば、目に付く範囲のそこらじゅうに、段ボールや古い什器が積み重ねられている。これもギリギリ気になるか気にならないか絶妙なラインである。うん、なんというか、他人の家みたいだ。

「この辺でうどんといったらこの店だよ。ま、他に昼飯食えるとこなんてないんだけどね。アハハ。僕はねえ、いつもごぼ天うどん」と、営業部長はコップの汚れなどおかまいなしに、品書きを指差してあれこれ説明してくれる。すでに若干接客態度と衛生面が気になっていたが、地元の名店というんならそうなんだろう。郷に入っては郷に従え。それに、品書きに書かれていた豊富なメニューのどれもが驚くほど安かった。天ざるにご飯と漬物のセットを付けたって1000円でおつりがくる。これは近所にあったら重宝するかもしれないな。

 じゃ、わたしもごぼ天うどんにしますと言うと、うなずいた営業部長は厨房に向かって、おぅ〜い! とばかでかい大声で叫んだ。急に大きな声を出されておどろいている間に、奥からはさっきとは別のおばさんBが、割烹着の裾で手を拭きながらよたよたと出てくる。「えーっとネ、ごぼ天うどん2つに、お前はなんにすんの、卵とじ?うどんのほうね。ウン、じゃそれで。あと灰皿ちょうだいね」営業部長はやけに横柄な態度で痩せぎすのおばさんBに注文をつけたあとで、さっきの提案書の話をもう一度繰り返す。年度内の予算がまだ少し消化しきれていないというのが実情らしかった。なるほど、それはぜひおこぼれにあずかりたいというところ。じゃ、お見積りは明日にでもお送りしますねいと元気に返事をしたところで、3人分のうどんが運ばれてくる。今度は茶を出しに来たおばさんAとも、注文を取りに来たおばさんBとも違うおばさんCだった。どうやらこの店は以上の3人で切り盛りしているらしい。皆同年代くらいにも見えたが、家族なんだろうか。学生時代に見た『三婆』という有名な喜劇のことを思い出す。ここが舞台セットだとしたら、おあつらえ向きのいい店構えだ。

 ハイ、ごぼ天うどん、卵とじうどん、それからたぬきうどんね。いつもありがとう。おばさんCは愛想よくビッグサイズのどんぶりを3人分テーブルに並べていく。思ったよりもビッグサイズである。というか、待てよ。明らかにわたしの注文を間違えられている。注文した覚えのないたぬきうどんが目の前に。ごぼ天うどん2つ、と確かに営業部長は注文してくれたけれど、おばさんBはメモを取っているそぶりがなかったし、聞き間違えたんだろう。営業部長はすかさず気がついてまた厨房へ向かって叫ぼうとしてくれたが、いえいえ、たぬきうどんと迷ってたんで全然大丈夫でいす、と返しておく。またあの横柄な態度を目の前で取られては、居心地が悪くなりそうだったのだ。

 割り箸をぱきりと割って、さああったかいうちに食べましょう、わあおいしそう、と言いかけた口を思わず閉じる。目の前のたぬきうどんとやらは、見るからに油をたっぷり吸い込んだ揚げ玉で汁が見えないほど覆い尽くされていた。つゆの香りの前に、ツンと鼻をつく油のにおいが邪魔をする。くさい。なんだか本能がこれを食べることを拒否しているような気がしてきた。箸をどんぶりに突っ込み、麺をひっぱり出す。ひっぱり出すという形容のほかに適切な単語が見当たらないほど、どんぶりの中では麺と大量の揚げ玉が絡み合っていた。なんとか引き上げた麺を一口含むと——やわらかい。しかも、箸で持ち上げるだけでぶつぶつと切れてしまうほどやわらかい。別に讃岐うどんを信奉しているわけではないし、郷土料理でよくあるやわらかいうどんも好物ではあったが、これはなんというか次元が違った。あえてやわらかいのではなく、結果的にやわらかくなった、というようないい加減さがある。ぜったいに茹でおきのうどんだろう。麺の太さがバラバラなのも気になった。バラバラということは手打ちなんだろうけど、手打ちまでしておいてこうもひどい味になるのはなんだか納得がいかない。もうちょっとこう、やりようってものがあるだろう……。

 そこまできて、はっと我に返って顔を上げる。営業部長はわたしを見つめて、どう?と自慢げに眉を上下させていた。ヤバい。ええと、いやすんごいボリュームですね! ええと、あつあつだし、手打ちの温もりがなんか、ありますねハハハ。あつあつだし。と大声で返す。ちょっと冗談じゃないけどうまいとは言えない。つゆだって明らかにべったりと甘く、スーパーで売ってる安いめんつゆと同じ味がする。だが、営業部長はわたしの返事を聞くと満足げにごぼうの天ぷらをザクザク咀嚼した。それも見るからに天ぷらの衣が分厚くて岩でも齧っているようだったが、どうやら彼は本気でここのうどんをうまいと思っているらしい。隣の担当者も同じように、あったまりますよねえ、とのどかな表情を浮かべながら、ほとんど生のようにも見えるプルプルの卵をどんぶりの中でかき回している。ばっかじゃねえの、と思ったが、地元の名店という言葉がよぎる。もしかしてわたしの味覚だけがズレているんだろうか。さっきまで言葉の通じていた商談相手が、急に宇宙人に姿を変えたかのようなおそろしさがあった。営業部長の唇が天ぷらの油でぬめっと光る。

 なんにしても、連れてきてもらった店で残すわけにはいかない。腹の下にぐっと力を入れて、懸命に手も口も動かしてみたけれども、おそろしいことに食っても食っても漆黒のつゆの奥底から麺と油にまみれたカスがどんどん出てくる。ほとんど生ゴミに近かった。なくならないというか、むしろ増えている。『ドラえもん』に出てくる「バイバイン」という、物が2倍に増えるひみつ道具のことを思い出して気持ち悪くなった。助けてドラえもん。このどんぶりごと宇宙空間へ放り出して廃棄したい気分だった。おまけにいつの間にか三婆たちはわたしたちの斜向かいの座席に陣取って、ほかに客がいないのをいいことに保険会社の悪口とリウマチと芸能人の不倫についてべらべらと井戸端会議を繰り広げている。婆Bがやけに口を開けたり閉じたりしているので、どうかしたのかと思ってよくよく見ていると、なんとしゃべりながら指を口に突っ込んで入れ歯をはめているではないか。おいクソババア、と立ち上がって罵りたくなる衝動をなんとか押さえる。まさかさっきからその手で……いや、考えるのはよそう。

 しかしこれはどう考えても、他人をもてなすために出していい料理じゃ無いだろう。安いといったって、こんなものにはびた一文も払いたくはなかった。仮に奢ってもらうとしてもごめんだ。汚れたコップ一杯の茶をひといきに飲み干し、こみ上げる吐き気をどうにかおさえてわたしはぎりぎり笑顔をつくった。

 帰りたい。

 入れ歯のシーンを目撃したことで食欲が一気に落ちてしまったものの、結局どうにかこうにか卓上の七味唐辛子と胡椒をフル活用して味変したり、お茶を何杯もおかわりしたりして、わたしはあの暴力的なうどんを完食することに成功した。食べ盛りの三十路でよかったです。先方の2人に見送られたのち、社用車の中で盛大にため息をつく。普通に吐きたい。シートベルトすら苦しくて装着したくない気分だった。

 ショートメールで係長に手短に出張報告を済ませ、西日のきつい高速道路を下る。脇にそびえるお城みたいなラブホテルのネオンがだんだんと点りだすころだった。ばっかじゃねえの。と、じぶん一人の社用車で今度は声に出す。声に出したらすっきりしてきて、そのままべらべらとワンマン悪態ショーを繰り広げながらアクセルを踏んだ。食べ始めたときはがっかりしたのに近い気分だったが、今は猛烈に怒りがわいてくる。なんなんだ、あの店は。というか、それを自慢げに紹介してくる営業部長もなんなんだ。「ま、他に昼飯食えるとこなんてないんだけどね。アハハ。」三婆ども、そんな環境にあぐらをかいていては、今朝出会ったあの神々しいサービスエリアの食堂に失礼ではないか。テキパキと働くあの三角巾の女性たちを思い出す。こんなに腹立たしい気持ちになったのは久しぶりだ。

 車のFMラジオからは、リスナーからのお悩み相談に答える、ベテランパーソナリティの渋い声が途切れ途切れに聞こえてくる。

《あなたらしく生きていればそれだけで十分。周りの人のことなんて気にせずどうかリラックスして。さあそんなあなたに贈るナンバー、どうぞお聞きください、ウルフルズ『ええねん』……》

 あかんねん。やはり適度な競争は人間社会の維持形成にとって必要だと思いまっせとトータス松本に言い返したくなってラジオを消す。誰とも接続しなくていいという環境は、どうしたって怠けが発生するものなのだと今、身をもって体感してしまった。

 競争。確かにもう少しやりがいのある仕事ってやつを経験してもいいのかもしれない。かばんの中にしまわれた適当な提案書の存在を思い出す。三婆のうどんは、似たようなことの繰り返しで形成されるであろうこの会社でのわたしの未来を暗示されたような気にもなった。転職しようかなあとぼんやり考えつつも、ひとまずこのエピソードは正真正銘のみやげ話として、今年の忘年会でぜったいに披露しようと心に決めたのだった。

第7回につづく

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筆者について

イマジナリー文藝倶楽部「オルタナ旧市街」主宰。19年より、同名ネットプリントを不定期刊行中。自家本『一般』『ハーフ・フィクション』好評発売中。『代わりに読む人』『小説すばる』『文學界』等に寄稿。

  1. 第1回 : ゴースト・レストラン
  2. 第2回 : ユートピアの肉
  3. 第3回 : 愚者のためのクレープ
  4. 第4回 : 終末にはうってつけの食事
  5. 第5回 : メランコリック中華麺
  6. 第6回 : 町でいちばんのうどん屋
  7. 第7回 : 冷たいからあげの福音
  8. 第8回 : フライド(ポテト)と偏見
  9. 最終回 : いつもの味
  10. 特別編 : ぺらぺらの肉寿司、配偶者を「嫁」と呼ぶ同級生……おいしくないけど忘れられない“憂鬱グルメ”を描く異色小説『お口に合いませんでした』先行公開
連載「お口に合いませんでした」
  1. 第1回 : ゴースト・レストラン
  2. 第2回 : ユートピアの肉
  3. 第3回 : 愚者のためのクレープ
  4. 第4回 : 終末にはうってつけの食事
  5. 第5回 : メランコリック中華麺
  6. 第6回 : 町でいちばんのうどん屋
  7. 第7回 : 冷たいからあげの福音
  8. 第8回 : フライド(ポテト)と偏見
  9. 最終回 : いつもの味
  10. 特別編 : ぺらぺらの肉寿司、配偶者を「嫁」と呼ぶ同級生……おいしくないけど忘れられない“憂鬱グルメ”を描く異色小説『お口に合いませんでした』先行公開
  11. 連載「お口に合いませんでした」記事一覧
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