縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム
第12回

空飛ぶ円盤と日本の危機

学び
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1950年代、米ソ冷戦下で核戦争の脅威が語られ、アメリカでは終末論的な予言と共にUFO目撃事件が多発した。呼応するように1960年代、日本のカウンターカルチャーは超自然的現象を探求するオカルトとも接続する。現代文明に対する懐疑の上に構築された空飛ぶ円盤言説は、古代に対する誇大妄想と結びつく。

カウンターカルチャー 

1960年代の日本では、若者を中心にカウンターカルチャー(対抗文化)の台頭が見られた。一部の若者は、既成権力や親世代の価値観(結婚・安定した職)を疑い、産業社会の豊かさに背を向けた。主流文化からのドロップアウトは、合理主義や科学への懐疑を促し、理性よりも感性の解放へと向かった。

アメリカでは1962年にキューバ危機が起こり、米ソによる核戦争が現実のものとして語られた。1963年にはケネディー大統領が暗殺され、アメリカはベトナム戦争への本格的軍事介入を進めていった。

このような過程で、若者たちは既存の近代文明に対する抵抗をはじめ、それが一連の文化現象として現れた。

反戦、デモ、ボイコット、ロック音楽、ドラッグ、コミューン、フリーセックス、東洋哲学、神秘思想、ネイティブ・アメリカン、サイケデリック、長髪、ひげ、ジーンズ、サンダル、ヒッチハイク……。

彼らは近代が疎外してきたもののなかに積極的価値を見出し、オルタナティブな世界のあり方を模索した。この潮流が、プリミティブなものに対する再評価を促し、自然と共生する縄文コミューンへの憧憬へとつながった。

カウンターカルチャーは、超自然的現象を探求するオカルトとも接続した。世界の危機が叫ばれると、オカルトは現状に対する否定的なモメントを吸収し、破滅的未来への想像力を搔き立てた。カタストロフィ(大惨事)を求める心性は、一方でそこからの救済と解放を希求するユートピア幻想も加速させた。

そこで出てきたのが、空飛ぶ円盤(UFO)言説である。1950年代、米ソ冷戦下で核戦争の脅威が語られ、不安が広がると、アメリカでは終末論的な予言と共にUFO目撃事件が多発し、そのなかから宇宙人との遭遇を語る者が出て来た。いわゆる「コンタクティ」の登場である。

宇宙人との会見

1953年、アメリカで『Flying Saucers Have Landed』と題した本が出版された。著者はジョージ・アダムスキーとデスモンド・レスリー。このなかで、アダムスキーは金星人と出会ったと告白し、宇宙人のスケッチと足形を公表した。また、別の機会に彼が公開した円盤の写真は「アダムスキー型円盤」と言われ、UFOのイメージを今日まで決定づけることになった。

ジョージ・アダムスキー、デスモンド・レスリー『Flying Saucers Have Landed』1953年、The British Book Centre and Werner Laurie

アダムスキーとは、いったい何者なのか。

彼は、1891年にポーランドで生まれ、幼少期に両親と共にアメリカに移住。生活は貧しく、十分な教育を受けることは出来なかった。1913年にはアメリカ陸軍に入隊したものの、6年ほどで除隊し、以後、職を転々とした。その過程で、神智学を基礎とする「宇宙哲学」を説き始め、「王立チベット教団」という団体を創設。ここで独自の出版活動、通信教育を行い、団員とのコミューンを形成した。

アダムスキーが初めて空飛ぶ円盤を目撃したのは、1946年のことだった。以来、空飛ぶ円盤に関心を持ち、「何とかして真実を知りたいと思うようになった」[アダムスキ1974:182]。空飛ぶ円盤の観察を重ね、写真撮影に成功。しかし、アメリカ空軍はこれになんの反応も示さないまま、時が過ぎた。

1952年11月20日、アダムスキーは、遂に「宇宙人との会見」を果たした。場所はアリゾナ州パーカー。砂漠地帯での撮影に挑んでいると、目の前に「宇宙船」が現れた。「どうしてもあの美しい円盤の搭乗員に逢いたいという願望」を強く持っていると、ふいに「一人の男」が近づいてきた。男は「今まで見たこともないほど美しい」姿をしており、27、8歳ぐらいに見えた。額は広く、顔は丸い。目は暗緑色で、頬骨は幾分とがっていた。男は手を伸ばし、握手を求めた。手を握ろうとすると、男は笑って首を振り、互いの掌をわずかに触れさせた。[アダムスキ1974:210-213]

しばらくの沈黙のあと、アダムスキーは思い切って「何処から来たのですか」と尋ねた。しかし、言葉が通じず、相手は「全然見当がつかないといった表情」を浮かべた。アダムスキーは「頭の中で或る天体を出来るだけはっきり描き、それから空中を指した」。すると、意味が通じたようで、金星から来たという返事があった。

彼は色んな身振りや表情で、彼の地球訪問は極めて友好的なものであることを示した。彼は何度も私が彼のいわんとする意味を了解出来たかどうかを確かめながら話を進めた。そして、直截の動機は、地球から発生している放射線(?)を調査するためだといった。

[アダムスキ1974:217]

「原子爆弾の爆発」に放射線の原因があるのではないかと質問すると、男ははっきりとうなずいた。そして、地球が放出する放射線が、宇宙全体に影響を与えていることを示唆した。アダムスキーの胸には「日本の原子爆弾の報道」が去来したという。さらに男は、原子爆弾の爆発のために、地球がすべて破壊されつくされる危機にあることを伝えた。[アダムスキ1974:217]

アダムスキーは写真を撮ることを試みたが、男は拒否し、カメラのネガフォルダーを回収した。空飛ぶ円盤に搭乗させてほしいと頼むと、これも拒否された。そして、まもなく機体は空中に浮かびあがり、飛び去って行った。

これがアダムスキーの記した宇宙人との会見の内容である。真偽はともかく、空飛ぶ円盤の飛来が、原子爆弾の問題と密着して理解されていることが重要である。

科学技術の悪用によって地球は危機的な状況にあり、それが宇宙に悪影響を与えている。宇宙人は放出される放射線の調査を行っており、地球の危機を伝えに来ている。

空飛ぶ円盤の飛来は、存亡の岐路に立つ地球への警告として理解され、現状を打破する救世主願望と連動して展開した。核戦争による破滅的未来への不安と共に、そのような状況を生み出す国際秩序への批判的・否定的見方が、空飛ぶ円盤言説となって表れたのである。

超古代史へ

この本には、アダムスキーの体験記と共に、デスモンド・レスリーの「研究成果」が記されている。

レスリーは、空飛ぶ円盤の解明と古代史研究が連続することを強調している。彼は「古代の記録」のなかに、宇宙船の記述が見られるといい、古代が現代を凌駕する文明社会だった可能性を示唆する。

数万年も昔に、現在の私達よりも技術的にもっと進歩した民族がこの地球上に存在したのである。そして、恐らく、他の宇宙間の天体へ旅行することさえ出来たのであった。

[アダムスキ1974:107]

レスリーは古代インドのヴェーダ文典に注目する。そこに記された「或る種の自然科学」は、「現代の我々よりも進んでおり、偉大で賢明で、より道徳的」だったとする[アダムスキ1974:96]。ヒンドゥー教の叙事詩『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』には、「あらゆる形態・大小とりまぜた航空機の記述に満ちて」おり、「巨大なものから、小さいもの、ジェット推進力をもったもの、我々の理解出来ない一種の原動力をもったもの」が登場する[アダムスキ1974:109]。他の古典籍にも、ヘリコプターを凌駕する飛行体が記されており、「これらは空飛ぶ円盤の性能でもあると考えられる」。[アダムスキ1974:118]

地球上の今は忘れ去られた或る文明が、嘗て空飛ぶ円盤の初歩的な形を作り出す方法を知っていたとしたら、彼等が宇宙の天体を訪れたり、或いは他の天体から地球を訪れたりした可能性が無いとはいえないだろう。

[アダムスキ1974:118]

現代文明に対する懐疑の上に構築された空飛ぶ円盤言説は、古代に対する誇大妄想と結びついた。古代人は宇宙人と交流を持ち、宇宙空間を自由に行き来していたと見なされた。1960年代の日本では、この海外のコンタクティの言説から影響を受ける形で「宇宙考古学」が出現し、縄文に新たな神秘的イメージが付与されることになる。

日本空飛ぶ円盤研究会と三島由紀夫

アダムスキーとレスリーの本は、1954年に『空飛ぶ円盤実見記』というタイトルで翻訳され、高文社から出版された。この本は日本でもあっという間に話題になり、ベストセラーとなった。これに影響を受ける形で、1955年、日本初の全国的なUFO研究団体「空飛ぶ円盤研究会」(翌年、「日本空飛ぶ円盤研究会」と改称)が設立された。

この団体の代表は荒井欣一。大東亜戦争中は学徒出陣でレーザー整備に当たり、復員後は大蔵省印刷所に勤務した人物である。荒井をサポートしたのが作家の北村小松で、団体の顧問を務めた。そして、会員には著名な文化人が名前を連ねた。

三島由紀夫、石原慎太郎、黛敏郎、徳川夢声、糸川英夫、星新一、黒沼健、森田たま……。客員会員には荒正人、新田次郎、平野威馬雄などがいた。

三島がUFOに関心を持ったのは、フランスの新聞記者エイメ・ミッシェルの著書『空飛ぶ円盤は実在する』(高文社、1956年)を読んだことがきっかけだった。この本を読み、UFOの存在は間違いないと確信すると、一度、自分の目で見てみたいと思うようになった。夏になると双眼鏡をもって自宅の屋上に上り、UFOを探した。

1960年の初夏、顧問の小松から連絡があり、5月23日の午前5時ごろに、東京の空にUFOが現れるという情報を得た。三島は夜中に原稿を執筆するのが日課となっており、午前5時はちょうど床に入る時間だった。

その日の午前4時半になると、いてもたってもいられなくなり、妻を起こして屋上に向かった。そして、小松から聞いていた方向を注視した。

三島の住まいは大田区南馬込にあった。西の方角には池上本門寺がある。5時25分になったころ、北から急に黒い雲が現れ、西に棚引いていった。池上本門寺の五重塔のあたりまでのびたとき、西北の黒雲の帯の上に白いものが現れた。形は薬のカプセルのようなもので、左側が少し持ち上がっていた。慌てて双眼鏡をのぞいたものの、なかなか焦点が合わない。白い物体は5、6秒ほどで雲の中に隠れてしまい、そのあと姿を現すことがなかった。

後日、彼はさらにはっきりとUFOを見たいと思い、機会を見ては熱心に観察を続けた。しかし、再び円盤は現れず、宇宙人との出会いの機会にも恵まれなかった。

三島由紀夫『美しい星』2003年、新潮文庫

三島は1962年に『美しい星』という小説を書いた。この作品は宇宙人の一家が素性を隠し、核兵器による地球存亡の危機に立ち向かう姿を描いている。登場人物は「宇宙友朋(UFO)会」を設立し、全国で講演を行う。

三島は「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して」と題したエッセイのなかで、次のように述べている。

この小説を書く前、数年間、私は『空飛ぶ円盤』に熱中していた。北村小松氏と二人で、自宅の屋上で、夏の途中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに 努力しても、円盤は現はれない。少なくとも私の目には現はれない。そこで私は、翻然悟るところがあり『空飛ぶ円盤』とは、一個の芸術上の観念にちがいないと信じるようになったのである。

そう信じたときは、この主題は小説化されるべきものとして、私の目前にあった。小説の中で円盤を出現させるほかなく、しかもそれは小説の末尾の末尾に、人間の絶望の果ての果てにあらはれなければならなかった。

[三島2003:469]
『決定版三島由紀夫全集』32巻、2003年、新潮社

三島は『美しい星』を書くにあたって、ある団体の活動をモデルにしている。それが日本社会を大きく揺るがしたCBA(宇宙友好協会)である。

CBA(宇宙友好協会)と地球の危機

CBAは「コスミック・ブラザーフッド・アソシエーション」の略称で、1957年8月に設立された。

設立の中心を担ったのは松村雄亮(まつむら・ゆうすけ)。彼は、スイスの航空雑誌『インタラビア』の日本代表を務めていた父を継ぎ、航空ジャーナリストとして活躍した。この過程でUFOに関心をもち、1956年ごろに「UFO研究グループ」を結成。日本空飛ぶ円盤研究会の荒井らとも関係を強めたが、徐々に立場の違いが鮮明になっていった。

荒井らは、アダムスキーをはじめとする「コンタクティ」に懐疑的な立場をとっていた。これに対して松村は、異星人とのコンタクトに積極的な意味を見出し、宇宙人との友好関係の構築を目指した。

これに共感を示したのが、久保田八郎だった。彼は慶應義塾大学文学部を卒業後、島根県益田市で英語教師を務めていた。1953年にアメリカで話題になっていた『Flying Saucers Have Landed』(『空飛ぶ円盤実見記』)を英文で読んで感銘を受け、アダムスキーと文通をスタートした。また、月の向こう側のクラリオン星の宇宙人と会見した(と称する)トルーマン・ベラサムとも文通し、彼の著書『空飛ぶ円盤と宇宙』の翻訳を出版した。

ほかにも橋本健、桑田力、小川定時といった「生長の家」のメンバーや小川昌子が加わり、CBAが結束された。このメンバーは「空飛ぶ円盤の飛来によって新時代の到来に目覚めた六名」とされる。CBAは「でき得れば宇宙人とも友好関係に入り、地球上に新時代を築こうとして集まった」団体で、宇宙人とのコンタクトを目指した[地球ロマン編集部1976:161]

CBAは松村を中心に円盤観測会を開催した。そして1959年6月、筑波山山頂でUFOへの呼びかけ(テレパシーコンタクト)に成功し、宇宙人とのコミュニケーションが始まった。

7月に入ると、松村がテレパシーの誘導によって宇宙人と会い、長さ数千メートルの巨大母船に招かれたという。そこで「宇宙連合」の長老と会見し、次のことを告げられた。

1.地球の大変動が極めて近い将来に迫っている。そのため常時地球の観測を行っているが、その正確な期日は宇宙人にもわからない。あなたはその準備のために選ばれたのである。

2.われわれとしては、将来の地球再建のために1人でも多くの人を他の遊星に避難させたい。

3.決して混乱をまねかないよう慎重にやりなさい。

[地球ロマン編集部1976:161-162]

松村は、地球の大変動から人類を救済する任務を与えられた。彼は情報をCBAのなかで共有し、外部に対しては秘密裏に対応に当たった。

1959年8月、松村はスタンフォード兄弟の『地軸は傾く! 宇宙人から地球人への指針』を翻訳出版した。ここには1960年に地軸が傾き、大変動が起きると記されていた。この内容と宇宙人との会見が連動し、CBA内部では地球の危機に直面しているという切迫感が共有された。

1959年暮れには、CBA会員の徳永光男が会員に秘密文書を配布した(「トクナガ文書」と呼ばれる)。徳永は次のように言う。

1960年もしくは62年に地軸が急速に傾き、「全地球をおおう大洪水」が発生する。宇宙人は地軸の変動を常に計測しており、危機の到来直前に救済に来てくれる。日本では東日本と西日本の2か所で、大災害の直前に具体的な場所は知らされる。大災害は10日前に電報で知らされる。電文は「リンゴ送れ、シー」で、これを受け取るとすぐに指定の場所へ移動しなければならない。助けられた一部の人間は、母船に乗って他の惑星に行き、再教育を受ける。そして数年後に地球に戻り、宇宙人と共に「この地球に輝かしい黄金時代をつく」る。[地球ロマン編集部1976:155]

CBAでは、このような地球の危機と共に宇宙人を救世主と捉える見方が共有された。そして、宇宙人と友好関係を構築する自分たちこそが、地球にユートピアを建設する救世主となって帰って来るという構想が浸透した。

彼らは、大災害をCatastropheの頭文字をとった「C」という略暗号で表し、「C」の公表は厳禁とされた。しかし、この情報はメディアによって公開されてしまう。1960年1月29日、『産経新聞』「話題のパトロール」欄が情報を報道し、CBAは無根拠な危機を煽る集団として、様々な批判を受けた。

この責任を取って、松村は代表を辞任し、代わって久保田が代表を務めることになった。しかし、この体制も長くは続かず、小川定時代表を経て、1961年秋には、再び松村が団体を率いるようになった。

ここで出てきたのが宇宙考古学である。

【参考文献】
ASIOS 2019 『昭和・平成オカルト研究読本』サイゾー
アダムスキ 1974 『空飛ぶ円盤実見記』高文社
新戸雅章 1996 「60年代のハルマゲドン騒動―UFO教団CBAの興亡」ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書-大事件に影響を与えた裏文書たち』ジャパン・ミックス
太田俊寛 2013 『現代オカルトの根源』ちくま新書
地球ロマン編集部 1976 「ドキュメントCBA」『地球ロマン』復刊2号
原田実 2012 『オカルト「超」入門』星海社
原田実 2017 「三島由紀夫と宇宙友好協会」『新潮45』36巻 6号
平野威馬雄編 1960 『それでも円盤は飛ぶ!』高文社
三島由紀夫 2003 『決定版三島由紀夫全集』32巻、新潮社
吉永進一 2006 「円盤に乗ったメシア」、一柳廣孝『オカルトの帝国―1970年代の日本を読む』

*   *   *

*中島岳志『縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム』次回第13回は2023年2月24日(金)17時配信予定です。

筆者について

中島岳志

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。なかじま・たけし。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『パール判事』、『秋葉原事件』、『「リベラル保守」宣言』、『血盟団事件』、『岩波茂雄』、『アジア主義』、『下中彌三郎』、『親鸞と日本主義』、『保守と立憲』、『超国家主義』、『保守と大東亜戦争』、『自民党』、『思いがけず利他』などがある。

  1. 第1回 : 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの
  2. 第2回 : 岡本太郎の縄文発見
  3. 第3回 : 岡本太郎「縄文土器論 四次元との対話」
  4. 第4回 : 岡本太郎 対極主義と伝統
  5. 第5回 : 縄文とフォークロア
  6. 第6回 : 民藝運動と縄文
  7. 第7回 : 濱田庄司の縄文土器づくり
  8. 第8回 : 最後の柳宗悦
  9. 第9回 : 島尾敏雄の「ヤポネシア」論
  10. 第10回 : 吉本隆明『共同幻想論』と「異族の論理」
  11. 第11回 : ヤポネシアと縄文
  12. 第12回 : 空飛ぶ円盤と日本の危機
  13. 第13回 : 宇宙考古学 遮光器土偶は宇宙服を着ている?
  14. 第14回 : 原始に帰れ! ヒッピーとコミューン
  15. 第15回 : 縄文回帰とスピリチュアル革命
  16. 第16回 : 偽史と革命
  17. 第17回 : 太田竜――「辺境」への退却
  18. 第18回 : アイヌ革命論
  19. 第19回 : 自然食ナショナリズムとスピリチュアリティ
  20. 最終回 : 陰謀論と縄文ナショナリズム
連載「縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム」
  1. 第1回 : 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの
  2. 第2回 : 岡本太郎の縄文発見
  3. 第3回 : 岡本太郎「縄文土器論 四次元との対話」
  4. 第4回 : 岡本太郎 対極主義と伝統
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  20. 最終回 : 陰謀論と縄文ナショナリズム
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