アイヌ解放を訴え、様々な闘争のなかで一貫して天皇制国家のあり方に抗ってきた「革命思想家」太田竜は、次第に日本原住民と神武天皇の連続性を強調する皇国主義ナショナリストへと変貌する。その転換のきっかっけとなったのが陰謀論への傾斜だった。
UFO製作と一神教批判
太田竜は『汐』1985年12月号に「UFO文明へのこころみ」と題した文章を発表した。これは約2年前の1983年9月13日に執筆されたもので、太田の重要な転換を示すものといえる。
彼はこの論考の冒頭で「UFOを作る国民運動を始めること、いま私は提起したい」と述べる。その目的は「人類自滅の危機解決の具体策に着手する」ためで、このプロジェクトに「日本国民の総力を結集」する必要があるという。[太田1985a:166]
自然食運動に傾斜した太田は、現代人が食品添加物に身体が犯されているという危機感を強く抱いていた。この思いは環境破壊に対する危機意識と連動し、さらに全面的な核戦争に対する懸念と接続していた。
1980年代以降の太田に見られるのは、人類の危機が迫っているという切迫感である。この状況を打破するためには、「化学的食品添加物の全面禁止」や「農薬・化学肥料の製造・使用の全面禁止」など、「足もとの生活革命の一つ一つの小さな問題から何千、何万項目というテーマを積み重ねていく」必要があるが、時間がかかる。人類の危機を乗り越えるためには、諸問題の中核にある事象を捉えなければならない。
では何か問題の核心にあるのか。それがUFOの問題だと太田はいう。そして、解決すべきイシューの「頂点」に、「『UFOをつくる』という宿題を設定したい」という。[太田1985a:166]
UFO製作こそが「地球上の人類間の相互絶滅的殺し合いの悲劇を終わらせ、地球人類の自治的連合(すべての中央集権的国家権力の死滅)の形成を可能ならしめる。
[太田1985a:166]
人類の危機は何によってもたらされたのか。
太田はその原因を、ユダヤ教・キリスト教という一神教の構造に見出す。太田の見るところ、人類は欧米の科学によって破壊の淵に立たされているが、これは「キリスト教的宇宙観」の問題が根本にあるという。
一神教の宇宙論の根本前提は、全知全能の唯一絶神の存在である。この唯一神が宇宙を創造した、創造主、つくり主である、というのである。
[太田1985a:170]
この一神教の構造が、なぜ問題なのか。
太田は「地球や太陽を宇宙空間の中で動かしている力」に注目する[太田1985a:169]。太陽系は銀河系に対して秒速数百キロで移動しており、銀河系星団自体も動いている。宇宙には強大な力が働いている。
太田はこれを「宇宙の究極的根源的エネルギー」と捉える[太田1985a:170]。そして、一神教世界は、このエネルギーを創造主である神のものと見なし、占有してきた。このことによって、万物から根源的エネルギーが抜き取られ、主体性が喪失されてきた。
一神教の呪縛の中に閉じ込められると、宇宙の万物万象は一切の主体性をはぎ取られた、純然たる対象、客体に転落してしまう。エネルギーを抜き取られた抜けがらと見なされるのである。
[太田1985a:171]
力は、神によって与えられるものであって、万物万象の中に内在するものではない、とされるのである」。
そして、この全知全能の神の力を代理するのが、国家権力である。王は神から主権を与えられ、絶対的な力を持つ。ヨーロッパの絶対王政は、王権神授という論理によって正統性(レジティマシー)を獲得してきた。これによって、王という権力者が神のエネルギーを一手に握ることになり、パワーの独占が顕在化した。
太田は、このロジックこそ、権力者の「願望」が作り上げたものだとする。一神教という「観念」は、支配者たちの権力欲が生み出した虚像であって、彼らの「願望」の産物に過ぎない。結果、一神教と結びついた世俗権力が、世界における破滅的な対立や戦争を引き起こし、自然を独占的に収奪する仕組みを作ってきた。この構造そのものを転覆しないかぎり、地球の危機に対応することはできない。
日本人の使命と宇宙計画
そこで太田が注目するのが、日本の存在である。太田は、日本こそが一神教に支配されたことのない存在であり、人類救済の使命を担っているという。
日本人は一神教(及びその変種としてのマルクス主義)を受け入れず、一神教に支配されなかった、唯一か、或いはそれに近い僅かな国の一つであった。日本列島の風土が、旧明治憲法下の絶対主義天皇制という、日本版一神教支配体制下の五十年を例外として、一神教をなんとしても根付かせなかったのである。
従って、日米戦争下の一億玉砕時代を別として、私たちの祖先は一神教的黙示録の終末感と無縁のまま、日本列島に生きてこれたのである。
[太田1985a:167]
太田は、一気にナショナリストの相貌を呈することになる。日本が一神教的世界観を退けて来た存在であることを理由として、世界に対する日本の優位性を説く。
太田は明治維新から日米戦争敗戦までの期間を、擬似的な一神教の時代として日本史の断絶と見ているものの、これまで繰り返し強調してきた「日本原住民の自治」と「天皇国家の支配」の断絶を論じていない。むしろ、日本の風土が一神教を退けてきた連続性を強調し、その歴史に一貫性を見いだそうとしている。
これは思想上の大きな転換と言える。
日本原住民である縄文人が、「外からの侵略者・征服者」である天皇に抹殺されたと主張してきた太田の議論が、ここで大きく修正されようとしている。日本人の原始からの一貫性が強調されることで、天皇は「外来の敵」ではなくなり、一神教を退けた日本人の中核と見なされている。
日本原住民と天皇国家が連続した存在と捉えられた時、太田にとっての「敵」は天皇原理に基づく日本の体制に対してではなく、西洋という外部に集約される。「宇宙の究極的根源的エネルギー」を一神教のロジックを使って権力者が独占してきた西洋文明こそ、日本人が一丸となって打倒すべき対象ということになる。
太田は、一神教の世界観に対して「力が宇宙の森羅万象の中にあまねく自生している、と見る立場」の重要性を強調し、これを「『自治』(みずから治める、自然に治まる、自然と共に治まる)と呼びたい」という。日本人はこのエネルギーを「気」「場」「間」という概念で認識しており、これこそが「空間物理学の内容を、直感的に表現する」ものである。ここに表現されてる「力」こそ「宇宙の究極的根源的エネルギー」に他ならない。[太田1985a:172]
そして、この力の発見と利用こそが、UFOの製作であるという。
「重力エネルギ-を応用する動力装置をつくる」ことこそ、UFO製作に他ならない。
現代物理学の応用としての各種の機械類(ジェット飛行機や宇宙ロケットを含めて)は重力(もっぱら地球の重力)に対決し、重力を打ち消し、克服しようとする。つまりは、自然の運行に逆行し、自然を征服し、自然を支配しようというのである。
これに対し、UFOのやり方は、より大きな重力(空間の歪曲)をつくることによって地球の重力エネルギーの方向を変化させることだと考えられる。
[太田1985a:174]
太田にとって、UFO製作は宇宙の原理への回帰であり、自然を支配してきた世界観からのパラダイムチェンジである。これは「地球人類が宇宙人に進化する、或いは宇宙のふるさとへ帰還するプログラム」であり、この「宇宙計画」を担う使命が日本人にはある。[太田1985a:175]
ここにおいて、日本人は宇宙的使命を帯びた地球上の選民と位置付けられ、世界を救済する主体と見なされる。
家畜全廃論とエコロジー運動
太田は1985年に『家畜制度全廃論序説 動物と人間は兄弟だった』(新泉社)を出版し、家畜制度の廃止を訴えた。
太田の見るところ、人間は他の動物を「家畜」とすることで財産化し、個々の所有物と見なしてきた。「家畜制度」こそが、生物世界全体を統制管理する体制を生み出し、自然を征服しようとする姿勢を加速化させた。人間は自然の一部であるということを忘却し、自然を所有の対象としていった。自然征服の発想は、戦争のイデオロギーを拡大化させ、人間の統制管理に直結した。このことで、人間は自己家畜化の道を突き進み、宇宙のエネルギーから疎外されていった。
万物はすべて相関している。「人間の本性はすなわち全宇宙の万物万象のネットワークの中にのみある」[太田1985b:206]。太田は、これを「万物共尊的宇宙観」と呼び[太田1985b:221]、このコスモロジーを破壊したものこそが家畜制度であるという。家畜制度は人間中心主義の最たるもので、地球生命の破壊の象徴である。
太田はここでも日本の優位性を強調する。太田曰く、日本の基本は農耕社会であり、日本人は近代になるまで、ほとんど家畜の肉を食べることがなかった。「たまに魚を食べ、ごくまれに野生の動物の肉を食べる」程度で、家畜は限定的だった[太田1985b:86]。
太田は、「万物共尊的宇宙観」を生きた日本原住民と天皇の存在をつなげようとする。
確かに天皇家の起源は、多くの学者が指摘するように、百済、新羅、高句麗の王朝にあります。しかし日本原住民の女性は、天皇家に入り、そして天皇家を日本原住民の血の中に同化してしまったのだと、私は指摘したいと思います。ここに、私たち日本人が天皇家に感じる親近感の秘密があるといえます。
[太田1985b:88]
様々な闘争のなか、一貫して天皇制国家のあり方に抗ってきた太田だったが、ここにきて外来の天皇と日本原住民の婚姻という物語が設定され、日本人の天皇家に対する「親近感」が強調されるに至っている。
このあと、太田は1986年に『声なき犠牲者たち 動物実験全廃への道』(現代書館)を出版して動物実験への反対を訴えると共に、『日本エコロジスト宣言』(1986年、新泉社)を出版して、種差別撤廃を訴える「エコロジー主義」を訴えた。ここでも、縄文文化と弥生以降の日本の連続性を説くために、次のような議論を展開している。
縄文的日本原住民の伝統は、一見、弥生文化によって塗りつぶされ、表面から消え失せたかのように思われるが、代を重ねるにつれて、ジワジワと回復し、修復して、権力的農業を、エコロジー的農業に変えてゆく力を発揮した。
[太田1986b:174]
しかし、このような日本的エコロジーの思想と実践は、戦後のアメリカ化によって風前の灯火となっているという。日本は自然破壊型の文明に飲み込まれており、危機的な状況にある。
一方で、太田の周辺では新しいエコロジー運動が起きており、これこそが日本原住民の精神性に基づく宇宙観を再興させるという。
縄文時代の精神に帰ろう。日本人の心の深層から、一斉に、自然発生的に、この動きが噴き出して来た。
[太田1086b:177]
ただし、この頃の太田は、まだ日本の国粋主義に対する警戒心を抱いている。自らのエコロジー運動が、排外主義的な民族至上主義になってはならないという自戒の念を表明している。
縄文文化の復活、といううたい文句が、現実肯定の日本民族の伝統の枠の中にとりこまれるなら、それは逆説的に日本民族至上主義、悪しき国粋主義、民族排外主義のための道具の一つとしてファッショ化されるのが落ちだ。
今日の日本で、縄文のアニミズムが復活するということは、我々日本人、また広く地球人類によって無慈悲に、惨酷に虐殺され、奴隷化されている動物や植物の苦しみ、悲しみに感応し、これらの生きものたち、我々の同胞に他ならない動植物に深く懺悔して、彼らの解放のために立ち上がる、ということに他ならず、この自覚と行動を抜きにしては、決して縄文の、アイヌの文化をよみがえらせることはできないのである。
[太田1986b:178-179]
太田は、エコロジー運動の実践の一環として、政治の世界に参入しようとした。1986年には「日本みどりの党」を結成し、「日本みどりの連合」へと展開した。この年以降、国政選挙や東京都知事選挙に立候補し、落選を繰り返した。その過程で、これまで以上にUFO言説へと傾斜していった。
1989年に出版した『エコロジー教育学』では、地球に対して「UFOを派遣してきている異星人」を成熟した宇宙文明の担い手とし、そのメッセージを「現在の地球人の唯物主義的科学技術は根本的な誤謬を犯している、その誤りに目覚めなさい、ということ」[太田1989:255]としている。太田は、宇宙原理と呼応した人間を「真人類」を表現し、すべての人間が「真人類への変身」を遂げることこそ、地球の危機を回避するために必要であると説いた。
そして、太田に最後の大きな転換がやって来る。
ユダヤ陰謀論・縄文回帰・国粋主義
1990年代に入ると、太田は一気に「ユダヤ陰謀論」に傾斜していった。人類を破滅に追い込む西洋文明の背後には「ユダヤ・イルミナティ悪魔主義陣営」が存在することに気がついたと言い[太田2003:233]、ユダヤ人がフリーメーソンを使って、日本民族の存亡と家畜人化を企んでいると主張するに至った。
太田は、日本人に対して「本当の敵に気づくべき」と訴える。「敗戦後の我々日本民族が、まるごと、ユダヤ=フリーメーソンの奴隷=家畜として飼育されているという自覚に立」たなければならず、自らは「日本民族(神国日本)の復興と再生のために」活動するとしている。[太田1993:6]
1990年代の太田は、ユダヤ陰謀論を説く著作を大量に出版した。そして1996年から97年にかけてデイヴィッド・アイクの「オカルト的陰謀論」に感化され、「ヒト型爬虫類」(=宇宙人)が人間社会を操作し、地球を操っているという説に傾倒した。
そして、この過程で国粋主義へと明確に傾斜し、1996年には『日本型文明の根本原理 美しき日本よ、甦れ』(泰流社)を出版した。
太田は、日本人がユダヤ=フリーメーソンの世界支配の陰謀と闘わなければならないという。日本民族は、ユダヤ=フリーメーソンによる「世界寡頭権力」と正面からぶつかり、撃破しなければならない。しかし、日本の指導層はことごとく「悪魔に魅入られ、呪縛され、ゾンビの如く、悪魔主義的世界権力の命令通り、手足を動かすだけの哀れな存在となり果てた」[太田1996:295]。
しかし、日本には縄文スピリットを継承する人たちが生きている。
日本の庶民、草莽、民草、などと呼ばれる、
日本民族の根の部分は未だに生きて居る。
この根っこはどこに行き着くのか。
それは、
縄文である。
縄文文明への回帰、
縄文精神の復興。
日本人は、
無意識のうちに、惨たる敗戦のあと、その道を歩み出して居た。
[太田1996:296]
日本は今こそ、縄文に回帰しなければならない。それこそが神国・日本の使命であり、縄文精神の復興によってこそ、ユダヤ=フリーメーソンの陰謀を撃破することができる。
一万年前の縄文文明を、
そのまま単純に、今、再現して、
どうなるものでもない。
そうではなくて、
縄文人の精神を、
今、蘇らせることである。
縄文精神で、日本の、そして人類の、
在るべき、
理想の、
正統な、
文明の建設に、
一億二千万の日本人の総力を挙げて、
取りかかることである。
その文明は、
天壌無窮、即ち、
あめつちとともに窮まりなく生成発展してゆく文明、であり
これを一言で要約するれば、
弥栄(いやさか)、
の文明である。
人類の文明が、天地宇宙と共に、
いよいよ栄え、ますます栄えてゆく、
これが、日本神道の要点であり、
今日に至るもなお日本民族の心に、深く根差して居る大信念である。
[太田1996:301-302]
太田の思想は、戦前・戦中に喧伝された「八紘一宇」の理想に接近する。日本が古代精神に回帰し、日本神道の真髄を世界に敷衍することで、人類は「天地宇宙と共に」栄えるという。
ここにはもう天皇制国家を打破しようとした、かつての太田の姿はない。彼は、陰謀論に基づく国粋主義者となって、最後の著述活動に邁進した。
「縄文スメラミコト皇統」
2003年、太田の晩年の思考を集大成した書籍が出版される。『縄文日本文明一万五千年史序論』(成甲書房)である。
ここで太田が大きく依拠するのが、デーヴィッド・アイクの『大いなる秘密』である。太田はこの本によって、地球が「爬虫類人的異星人」によって占領されていることに気づいたという。
太田曰く、「爬虫類人的異星人」は太古の時代に地球の原住民を支配し、地球をコントロールするようになった。しかし、彼らは姿を隠し、代理人を通じて間接統治を行った。「それ以降の人類の戦争は、闇のなかに潜む爬虫類人的異星人の、「分割して支配せよ」という地球奴隷人間管理方針に基づいて演出されてきた」[太田2003:191]。
そして、「爬虫類人的異星人とその代理人」は「地球人類、ひいては地球まるごと完全に管理統制支配しようとする超長期的作戦計画を持っている」[太田2003:196]。現在の世界は、その最終段階に差し掛かっている。
太田は、世界の歴史を大きく「第一期」と「第二期」に分ける。
第一期→地球生物全体社会の一員として誕生し、生成発展を続け得た時代(前期)。
第二期→異星人が飛来して地球に植民地を設定し、彼等の都合に合わせて地球環境の変改造(後期)に着手する。そしてその結果、人類は彼等に捕獲され、彼等の奴隷、家畜人間に作り変えられる時代。
[太田2003:221]
この第二期の波は、かつて日本にも押し寄せ、異星人とその秘密結社による縄文日本文明への攻撃がなされた。その代理人となったのが「大国主命とその一味いわゆる出雲教勢力」だったという。[太田2003:196]
日本原住民は、「自衛のために民族を統一し、国家を作り、外からの侵略に対抗」した[太田2003:258]。その結果、「天の朝」=天皇勢力によって「神代依頼の純粋日本の国体」[太田2003:223]は維持され、異星人からの支配を免れた。
太田は、この「天の朝」の担い手を、飛騨地方の日本原住民と見なす。
日本列島には、数十万年前から原人が生活していた。縄文人は一万数千年前、世界最古の土器を作っている。日本建国の構想を発起してそれを実行に移したのは、日本列島の中央山地飛騨の人々であるという。
[太田2003:184]
太田の見るところ、「天照大神の祭祀を支え維持した飛騨高天原系天の朝直系の子孫」こそが天皇であり[太田2003:271]、「飛騨高天原スメラミコト皇統」が「縄文スメラミコト皇統」となって、天皇の連続性を支えている[太田2003:310]。天孫民族は日本列島の「生え抜き人種」であって、渡来系ではない。日本原住民によって構成された「縄文」と天皇の原初的支配が始まった「弥生」の間に断絶はない。「太古の時代から日本人の血統と文化文明は、一貫している」[太田2003:87]。
縄文日本文明が世界を救済する
太田は、縄文から一貫性を保つ日本の国体こそ、地球を救済する原理であると説くに至る。
太田曰く「日本は、第一期(神代)の文明が第二期を生き延び得た、この地球上で唯一の民族であり、唯一の国家であり、唯一の文明体である」[太田2003:223]。世界のなかで、日本だけが原初性との連続性を保持している。「日本に関する限り、超太古期縄文文明は今日まで生きている」[太田2003:98]。
「縄文日本文明」は「唯一の地球原住民生え抜きの人類正統文明」である。[太田2003:9]そして、異星人による地球乗っ取り超長期侵略戦争計画は、依然として続いている。この闘いの最後の砦が、日本である。
地球を占領し、地球を荒廃させ、地球を使い捨てにしようとしている異星人由来の文明体から見ると、日本は、彼等にとって、最後に残った「野獣」であったのだ。
[太田2003:223]
この異星人の侵略が、現代の日本に襲いかかっている。一方で、戦後の日本は国体が衰弱し、欧米文化に飲み込まれている。このプロセスこそが、異星人の時間をかけた攻撃そのものである。
一歩一歩、着実に、凶悪無残猛毒を有する危険きわまりない「外敵」が我々の中に浸透、侵略してくる。徐々に、そして時には急激に、この「外敵」が我々日本民族本来の文明を腐蝕していく。
[太田2003:245]
このような状況下、「地球生え抜き文明」として、唯一生き残った「縄文日本文明」が、何としても異星人の侵略を食い止めなければならない。しかし、「外敵」である異星人の姿は、なかなか見えにくい。その姿を露骨な形であらわすことはなく、普通の人間には見えざる存在である。
しかし、デーヴィット・アイクによって、「敵の正体が見破られ」、闘うべき対象が明確になった[太田2003:326]。これによって「本物の敵に対する民族防衛の戦いが開始された。そしてそれは人類を滅亡の危機から救い出す戦いでもある」[太田2003:326]。
太田は、日本民族の優越性と使命を説きながら、自らが最終的に至った「縄文日本史観」[太田2003:342]を次のようにまとめる。
(1)日本民族の文化的人種的祖先は、少なくとも一万数千年前から始まる縄文土器時代人である。
(2)日本語の原点は、縄文人のことばである。
(3)縄文日本人は、世界の他のどの地域とも異なる一つの独自の文明を生み、それを発展させてきた。
[太田2003:342]
太田は、縄文というプリミティブな世界に対する憧憬を維持しながら、縄文左派から縄文右派へと転回した。縄文は現代社会に対する批判原理であり続けつつ、政治的立場や歴史観ばかりが反転していった。
この太田の軌跡は、現在のスピリチュアルな縄文右派の存在を捉えるにあたって、極めて重要な意味を持ってくる。
【引用文献】
太田竜 1985a 「UFO文明へのこころみ」『汐』1985年12月号
___ 1985b 『家畜制度全廃論序説 動物と人間は兄弟だった』新泉社
___ 1986a 『声なき犠牲者たち 動物実験全廃への道』現代書館
___ 1986b 『日本エコロジスト宣言』新泉社
___ 1989 『エコロジー教育学』新泉社
___ 1993 『ユダヤーフリーメーソンの世界支配の大陰謀』泰流社
___ 1996 『日本型文明の根本原理 美しき日本よ、甦れ』泰流社
___ 2003 『縄文日本文明一万五千年史序論』成甲書房
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中島岳志『縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム』は今回が最終回となります。最終章を書き下ろし、大幅加筆修正のうえ、2024年夏頃、書籍化を予定しています。
筆者について
1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。なかじま・たけし。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『パール判事』、『秋葉原事件』、『「リベラル保守」宣言』、『血盟団事件』、『岩波茂雄』、『アジア主義』、『下中彌三郎』、『親鸞と日本主義』、『保守と立憲』、『超国家主義』、『保守と大東亜戦争』、『自民党』、『思いがけず利他』などがある。