大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだまさん。そんな”おしまいの地”から不定期に届くこだまさんから読者のみなさんへのお便りを掲載します。
今回は、こだまさんと自動車との悲喜こもごも。
自分のこだわりのなさに気付かされ、ぞっとすることがある。
そのひとつが車だ。公共交通機関がほぼないに等しい過疎地を転々と異動する我が家は車なしでは生活できない。夫と私それぞれ一台ずつ所有している。どこへ行くにも遠く、一年の大半が寒い。雪もまあまあ積もる。自転車でやり過ごせるような土地ではない。
私にとって車は「好きではないが乗らなければいけない」という義務的なものだ。動けばいい。車種や色は何でもいい。びっくりするほどこだわりも思い入れもない。その粗雑さが災いしているのか、車にまつわるトラブルは昔から多い。
二十二歳、農村地帯にある小学校への赴任が決まったとき一番困ったのが車だった。私もとうとう運転しなければいけない。嫌だった。まず車を選ぶのが面倒くさかった。引っ越しの準備に追われていた私は「中古でも何でもいい。あとでお金は払うから」と父に契約を頼んだ。どこまでも人任せだった。父は「何でもいい」を忠実に守り、ギリギリ動く灰色の中古の軽自動車を選んだ。
変わった車だった。そもそも売っていい車だったのだろうか。運転中に天井の内張りが頭にふわっと落ちてきた。天井が落ちることあるんだ、と思いながら片手で押さえて運転した。頑丈な両面テープで補強するも夏の暑さでたびたび剥がれ落ち「先生の車おんぼろ!」「崩壊してる!」「貧乏車(びんぼうぐるま)!」とクラスの子に指をさして笑われた。どれも真実すぎて、返す言葉もなかった。
こんなシート剥がしてしまえばいい。思い切ってビリっと剥ぎ取ったら、ただの鉄板になった。あのシートは暑さや寒さを和らげる役割があったらしい。たちまち灼熱の車内となった。もちろんエアコンなど付いていない。
天井が変な車は学校の前のぬかるみにたびたび埋まり、同僚の手を煩わせた。男性教師が変な車の四隅を「せーの」で持ち上げ、ひょいと脇に移動させてくれた。車を手で持って動かすという発想に驚いた。まるで食卓や跳び箱を運ぶような感覚だった。自分だけが恥ずかしい思いをするのは我慢できるが、人に迷惑はかけたくない。さすがに「何でもいい」とは言っていられず、一年後に買い替えた。それもまた軽自動車である。
天井が落ちてこない車はいいものだなと思いながら通勤していたら、雪道でスリップして道路脇に落ちた。幸い車体がマツの幹に引っ掛かり、斜めに傾いた状態で止まった。その日は忘年会のイントロクイズを作るために過去のヒット曲を集めたCDアルバムを聴いていた。わりと爆音で流していた。事故の弾みでステレオのボリュームボタンが外れ、傾いた車から爆風スランプの「ランナー」が地鳴りのように響いた。誰も通らない吹きっさらしの真っ白な農道にサンプラザ中野のまっすぐな声が轟いた。どうしようもなく悲しかった。
その日、校長の車で病院に連れて行かれ脳の検査を受けた。事故と爆音のショックで黙り込んでしまった私を見て、頭を打ったのではと心配されたのだ。さらに「事故を起こして病院に運ばれた」と校内で話が大きく伝わり、自分の知らないところでちょっとした騒動になっていた。
その後も単独事故(やはり道路脇を転がる)や割り込んできた車と衝突するなど数年に一度はなんらかのトラブルがある。最後に大きめの事故に遭ったのはコロナ禍だった。脇の草むらから飛び出してきた大きな鹿と衝突し、車がグシャッとなった。民家がほぼない夜道にひとり。潰れたドア、粉々になったライト、貝のようにパカッと開き切ったボンネット。これはもう駄目だと思いながら茫然と立ち尽くした。
保険会社に提出する事故証明書をもらうために警察を呼ぶことになったのだが、それが第二幕の始まりだった。
「車検っていつ受けました?」
「いつだったかな。そこに書いてある通りです」
警察官に渡した車検証に明記されているはずだ。なぜそんなことを聞くのだろうと不思議に思った。同じような質問を何度もされ、答えがだんだん曖昧になっていく。車で駆け付けた夫もパトカーの後部座席で事情を聞かれる。事故車はレッカー車に積まれて撤去され、人間だけが残された。
夫は関係ないのにな。証明書ってこんなに待たされるんだ。事故って大変だな。そう他人事のように思っていたら警察官に告げられた。
「あなたの車は車検が切れていました。今から警察署で話を聞かせてもらいます。こちらの車に署員をひとり乗せます」
共謀して車検逃れをしていると疑われたのかもしれない。逃亡しないように見張りを使うのだろうか。運転する夫、助手席の私、後部座席の若い警察官。予想もしないメンバーで無言のまま出発した。
思い返せば私の受け答えはずっと要領を得ず、あやふやだった。のらりくらりと不正を隠す犯罪者に見えなくもない。いつもなら車検の時期にはがきが届いていたが、転居の手続きを忘れていた。車検切れに気付かぬままのうのうと乗っていたのだ。
夫の仕事にまで影響が出たらどうしよう。署までの道のりは生きた心地がしなかった。これから取り調べが始まるのか、と重い足取りで車を降りると警察官が小走りでやってきた。
「コロナで車検の期間が延長されていたようで、あなたは大丈夫でした。まだ間に合います」と言われ、急に解放されたのだ。コロナに救われることってあるんだな。やった、やった、と小躍りしたあとで冷静になった。私は車を失ったのだ。短い喜びであった。しかも運悪くコロナの影響で自動車の製造や流通がストップしていた。
「最速で入手できる軽自動車がいいです。車種も色も気にしません」
ここでも私のこだわりのなさが発揮された。すぐ用意できるということは不人気の型かつ不人気の色である。
確かにたくさんある中でこの色は選ばないかも。そう思いながら今も運転している。「変な色」と思うたび、あの日の事故がセットになって頭をよぎる。非常によい戒めになっている。
薄々わかっていたが私は運転が下手らしい。「これ以上休むと別料金がかかる」と登校を促されるくらい自動車学校が苦痛だった。同時期に入校した仲間は難なく卒業していった。運転楽しい、早く路上に出たい。彼らはそう言っていた。私にはその気持ちがわからなかった。前後左右をよく見て手足を動かし瞬時に判断する。運転には私の苦手が詰まっていた。
原稿の打ち合わせでわざわざ東京から足を運んでくださる編集者がいる。初めて車に乗せたとき助手席の窓の上部にある手すりを握っていたので「そこ掴む習慣があるんだ」と思っていたら、私の運転が怖いから握り締めていたらしい。人をそこまで恐怖に陥れるレベルなのだ。ブレーキの掛け方が怖い。立ち入り禁止の柵に突っ込もうとしたのが怖い。サイドブレーキを引いていないのが怖い。恐怖にもいろんな種類があるようだった。
怖い思いをさせたくない。運転うまくなりたい。いろんなところへ案内したい。自動車学校に通い始めた頃の気持ちを思い出した。「前よりブレーキうまくなってます」「今日は下手です」「前のほうがよかったです」編集者は教官のように感想を言う。気が引き締まる。
そんな中「カーナビつけないんですか?」と聞かれた。私が出掛けるのはせいぜい病院とスーパーくらいだ。カーナビを付けるほどではない。ずっとそう思っていた。いや、でも。それって自分の行動範囲を自分で狭めているのかもしれない。もっと遠くまで行くことができるのに。
私は人生で初めてカーナビというものに興味を持った。気が変わらないうちに取り付けてもらった。きっかけは「案内したい」だったけれど、いつの間にかひとりで遠くまで出掛けるようになった。どこで曲がるとかいちいち教えてくれるのは楽だ。私のような地図を読めない人間こそ使うべきだった。運転だけに集中できる。当たり前のことに感激し続けている。
はじめは百キロ先、次は二百キロ先。私のゴールは遠くの街の喫茶店だ。甘いものは原動力になる。今度はもっと遠くへ行ってみようと計画している。
イベントや取材で東京や札幌、関西と行動範囲が広がったように思っていたけれど、それは作家として活動する日であり、私の日常とは結びついていなかった。何でもない日も遠くに行ける。カーナビがあれば怖くない。一気に世界がひらけた。「そんなの必要ない」と変化を拒んでいた月日を恨めしく思う。こだわりがないのではない。何も考えていなかったのだ。
ところで、私とぬかるみの関係は続いている。虫が街灯を目指すように、なぜかぬかるんでいる所をピンポイントで通ってしまう。
雪解けの時期に未舗装の道でぬかるみに埋まり、タイヤが空回りして途方に暮れたことがあった。たまたま車で通りかかった女性が声を掛けてくれた。若く小柄な人だった。
「こういうときってどこに連絡すればいいんでしょう」
「あ、大丈夫ですよ。ちょっと待っててください」
彼女はそう言うなりトランクから太いロープを取り出し、私の車の先端と自身の車の後部をフックで繋いだ。
「じゃ引っ張りますね、あ、もう大丈夫です」
一瞬の出来事だった。彼女はいとも簡単に私の車を救出し、手早くロープを丸めると笑顔で走り去って行った。
なんてことだ。腕力いらないんだ。ぬかるみに嵌ったら終わり。自分じゃどうにもできない。それもまた思い込みだったのだ。
すぐに牽引用ロープを購入した。これでもう大丈夫だ。いつでも嵌れるし、何なら助ける側だ。ロープを車に積んで数年、今のところ出番はない。御守りとしてトランクの中で眠っている。
先日ひとりで遠くまで出掛けた帰り、峠の寂しい道で子熊と遭遇した。十メートルほど先の道路脇からひょっこり出てきた。耳がふさふさ。四肢が太く、顔が大きい。スピードを緩めて通過しようとすると、好奇心なのか威嚇なのかスクッと二本足で立った。園児くらいの背丈だった。あまりの小ささに笑ってしまった。眺めていたかったけれど近くに必ず母熊がいる。ワイパーをもぎ取られ、崖下に落とされる。わかっている。私はそうなるタイプの人間だ。スピードを上げてその場を慌てて離れた。
長く田舎で暮らしているけれど熊に出合ったのはこれが初めてだ。こんなときドライブレコーダーがあれば録画されていたんだな。またひとつほしいものが増えた。
筆者について
エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。