大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだまさん。そんな”おしまいの地”から不定期に届くこだまさんから読者のみなさんへのお便りを掲載します。
今回は、亡くなったお父さんがもたらした、ちょっと厄介な出会いと「お母さん」という存在への複雑な思いについて。
四歳の甥は家電に並々ならぬ熱量を注いでいる。特に掃除機。実家で会うなり、慣れた手つきでiPadを操作し「見て。一緒に見て。ちゃんと見て」と触手をパタパタ動かしながら進むルンバの動画を再生する。
いつものことなので「うん、いいね。かっこいいね」と流し見しながら答える。最初から全力で付き合ってはいけない。先は長い。彼は見せ場が何分何秒に訪れるかを把握しており、そのシーンが終わると次のお気に入り動画をタップする。もちろん、それもルンバだ。
フローリングからカーペットへの段差をやすやすと乗り越えるルンバ。直線的な動きでペットの毛や砂埃をスマートに吸引するルンバ。家具を傷付けずにやさしく方向転換するルンバ。任務を終えると自ら充電器に戻るルンバ。旧型と新型の違いを教えてくれようとするが、終始興奮しているため正直なところ何を言っているのかよくわからない。
テロップを目で追いながら「水拭きもできるんだね」とたまに相槌を打つと、さらに目を輝かせて別のお気に入り動画を探す。余計なことを言ってしまった、と気付いた時にはもう遅い。水拭きの仕組みを伝える画像に切り替わっている。
彼はお手入れの方法も「よく見て」と言う。本体をひっくり返し、ブラシに絡まった糸くずや髪の毛を取り除く。ダストボックスのフィルターに溜まった埃を取る。その工程を発案者のように誇らしげな顔で再生する。そして「じゃあ次」と関連動画を探る指が止まらない。言うまでもなくルンバだ。
そんな甥だが、お掃除ロボット全般を「ルンバ」と呼んでいる。細部にこだわるくせに、その辺は大雑把だ。甥が見せてくるであろう動画が画面の右に待機している。サムネイルにあの黒い丸みが並んでいる。悪人を地獄に運ぶ火の車みたいだ。
最初にルンバ地獄に引き摺られたのは夫だった。一年前のことだ。
父の病状がいよいよ危なくなり、母と私たち姉妹は病室に付き添う時間が増えた。新型コロナウイルスをはじめとする感染症対策により、その病院は小学生以下の子どもの面会が制限されていた。妹の子どもたちだけを実家に置いておくわけにはいかず、私の夫が子守りに行ってくれることになった。
小中学生の兄と従兄は親がいないのをいいことにゲームを楽しんでいた。食べるものさえ用意しておけば一日くらい自分たちで何とかなる。学校は休みだし「もうやめなさい」と口を出す人間もいない。こんな夢のような時間はない。問題は当時三歳のあいつだった。ゲームに交ぜてもらえないし、ルンバの話をしようとすると「あっち行け」と怒られる。
妹は「ちょっとしつこいけどよろしく頼みます」と夫に頭を下げた。その頃から甥の「ルンバ熱」は有名だった。夫は大晦日くらいしか甥と顔を合わせていないので、そう言われてもピンとこないようだった。
甥は人見知りをしない。とつぜん家にやって来た見慣れないおじさんに「ルンバ見て。一緒に見て」と奥の部屋に誘った。
その日は通常のルンバ動画に加え、実演もあった。細かく千切った新聞紙を床に撒き散らし、実家のハンディクリーナーの吸引力を見せた。ダストボックスを取り外し「捨てるとこ見て。ちゃんと見て」と溜まった紙くずをゴミ箱に捨てるまでがワンセットだ。一度や二度なら付き合える。だけど、その程度で満足する甥ではない。もっとゴミを撒くよう夫に命じ、時間の限りハンディクリーナーの力を見せつけるのだ。
だが夫も黙って従う人間ではない。
「おじさんが今からたくさんゴミを撒くから完璧に掃除してみろ」と課題を出し、掃除に点数を付け始めた。70点、80点、90点。徐々に上がっていくが満点はもらえない。三歳児を相手に厳しすぎる気もするが、かえって甥の掃除魂に火をつけたらしい。
「ピピッと鳴るまでおじさんを呼ぶな。ひとりでやってみろ」
三十分後にタイマーをセットし、夫は自由時間をちまちまと得ていたらしい。
その夜は時間がたんまりとあった。夫は三歳児の兄と従兄弟たちを呼び、オセロ大会を開いた。財布から千円札を出して「優勝した人にあげる」と欲を掻き立てた。子どもたちは熱中していたゲームを放り出し、トーナメント表を食い入るように見つめた。子どもの一位と夫が対戦し、優勝者を決めるシステムだった。
勝ち上がった中学一年生と夫が戦い、すべての石をひっくり返して夫が勝利した。「へへっ、これはおじさんがもらうよ」と千円札を財布にしまった。その夜、何度かオセロ大会が繰り返されたが、夫が全く手加減しなかったので「ケチおじさん」「ケチおじ」という名が付いた。子どもは正しい。
ケチおじは対戦しながらルンバの動画も見せられた。ハンディクリーナーを構えた三歳児に「ゴミを吸うところ見て」「ワンタッチで捨てるところ見て。ちゃんと見て」と執拗に迫られた。そんな日が二日続いた。
「小さいあいつ、手強かったでしょ」
「いや全員しつこかったよ。あんたの一族はしつこい」
失礼なことを言い残し、ケチおじの当番は終了した。
父が臨終を迎えた裏で、実家は大いに賑わっていた。
甥が生まれ、実家でお披露目された日のことを覚えている。親戚が集まり、「次は私」と代わる代わるおばさんたちが抱っこした。みな目を細めている。心から幸せそうだ。
そんなやりとりを少し離れたところで眺めていると「あんたも抱っこしてみ? 可愛いから」と母が赤ん坊を渡そうとした。
「私はいい、手痛くなるから」
変形している手の病を言い訳に断ったが、手が正常だったらどう回避していたのだろう。
母親というものに初めて拒否反応を示したのは保育園の年長組だった。その日のことも覚えている。卒園文集に載せるため、保育士がひとりひとりに「将来なりたいもの」を聞いた。学校の先生やパン屋さんと回答した子もいたが、途中から誰かが「お母さん」と発し、空気が一変。そのあとは「お母さん」だらけになった。
私の順番がきた。私にはなりたいものはなかった。考えたことがなかったのでわからなかった。答えられず、長いあいだ黙ってしまった。当時トイレに行きたくても先生に伝えられず、ぎりぎりまで我慢して椅子の上で漏らすことがたびたびあった。声を上げるより漏らすほうが実行可能だった。みんなと同じように「お母さん」と言えば済むはずなのに、それは嫌だ、と身体が拒絶した。しびれを切らした先生が「じゃあ明日までに考えておいて」と言い、いったん解放された。
お母さん以外のものを考えなきゃ。そう焦るものの、何も思い浮かばない。どうせ嘘をつくならお花屋さんやケーキ屋さんでもよかったのに、翌日私は観念したように「お母さんです」と伝えた。なぜだかそう答えなければいけないような気持ちになった。先生の文字で「お母さんになりたい」と書かれた文集を開くと、今も苦い思いがよみがえる。
子どもを可愛いと思ったことがない。甥のことも「めんどくさっ」と思いながら眺めている。でも別に嫌いではないし、困っていたら迷わず助ける。私には子どもも大人も変わらない。できることに差はあれど、ひとりの人間として接している。道行く大人を「可愛いな」といちいち思わないのと同様、子どもに対しても特に思わない。薄情すぎるのではないかと悩んだ時期も長かったけれど、子どもとの心の距離感はずっと変わらない。
昨年、中学生の甥が出場する野球の試合を観に行った。球場の応援席に小さなあいつもいた。まさかここではルンバを見せてこないだろう。お気に入りのiPadも見当たらない。
初めはメガホンを鳴らして兄を応援していたあいつだが、しばらくすると階段状になったベンチの隙間をうろちょろしていた。
「あれ何やってるの?」と妹に尋ねた。
「タオルでベンチを拭いてるみたいだね」
慈善活動家のようにも見えるが、彼はそんな気持ちで動いていない。ただ拭きたいのだ。大好きな動画を見られず、掃除機もない。今ここでできることをあの小さな頭で考えたのだろう。母親が持っていたタオルを奪い、朝露に濡れたベンチを端から端まで一心不乱に拭いていた。
将来の夢はヤマダデンキで働くこと。やけに具体的だ。家電量販店すべてをヤマダデンキと呼んでいる可能性もある。この気持ちがいつまで持続するかわからないけれど、お掃除家電に飽きるその日まで見届けようと思う。
筆者について
エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。