依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。
そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。
第3回は、横道誠さん(マコト)の自助グループとの出会いについて。
ありがとう、トシ。
トシの『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』(みすず書房、2021年)を読んでから、トシのことをもっと知りたいって思ってました。トシのこの本が発売された1か月くらいあとに、私の最初の単著単行本『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院、2021年)が発売されたんだけど、これは大学の文学部で准教授をやっている人が、これでもかというくらい赤裸々に自己解剖をしてみせるというのが「売り」の本。でも私は無名の人物だったから、多くの人は「この人、誰?」って思っただけだと思うんです(笑)。ほぼ同時期に、依存症の専門医としてポジションを確立済みのトシが同じようなことをやったら、そりゃあインパクトがぜんぜん違うから、それだけでも負けてしまうよって(笑)。
精神科医と患者の複雑な関係
精神科医になりたい人ってどういう感じなのか、興味があります。斎藤環さんは北杜夫のファンで、じぶんも同じような「精神科医兼物書き」になろうと思ったそうですね。で、ラカン派の精神分析をやったり、オタク論をやったり、引きこもり支援に乗りだしたり、オープンダイアローグを普及する推進役をやったりしている。私も北杜夫のファンで、文学というものに開眼させてくれた作家のひとりとして大好きだったんだけど、自分が発達障害の診断を受けてからは、かつての主治医にも、セカンドオピニオンをくれた精神科医たちにも、それから精神医療の学会に参加して出会った医者たちにも、「この人たちの患者への態度って、どうなんかな」と思わざるを得ない人々をたくさん発見してしまいました。なんだか小馬鹿にするような口調で患者たちについて言及したり、治療薬の効果をデータ提供してくれる実験動物のような見立てを示すことに躊躇がなかったり。斎藤環さんは『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(医学書院、2021年)で、じぶんに敵対的な態度を取る患者たちに悩まされて鬱状態になったことを語っていたけれど、トシもおんなじような経験をしたみたいだから、「どっちもどっち」なのかもしれないね。「卵が先か鶏が先か」問題。
依存症を専門とするいまの主治医はとても良い人で、その人に出会えたことは精神科医に対するイメージを変化させる上で、とても大きかったです。言動からいちいち誠実な印象が伝わってくるんですね。壮年期の唐沢寿明をさらにイケメンにしたような顔立ちの人です。ときどき「松本俊彦先生という有名なかたがいて……」と話しはじめるので、トシのことを(トシの表面的な姿を)尊敬して、見習っているのかもしれませんね。私は何も知らない赤ん坊のような顔をしながら、その「松本俊彦語り」に耳を傾けています。いまやっている往復書簡が書籍化されたら、それを診察室でさっと渡して、主治医がびっくり仰天する顔を見るのを楽しみにしています。
発達障害者らしく話が横道に逸れ気味なのですが、精神科医に対する不満を私が述べていると、斎藤環さんが「精神科医って医学の世界で最下層として扱われてるんですよ。精神医学って、診断基準はコロコロ変わるし、手術や薬でビシッと治ることも少ないし」となだめるようにおっしゃられて、精神科医に対する見方が改めてガラッと変わりました。もしかして、私のように発達障害やPTSDや依存症に苦しんでいる人たちと、精神科医たちって、案外と近い位置づけにあるんじゃないかなって。じぶんの精神的葛藤をうまく言語化して解消できる場面に出会えなくて、患者に対する冷たい(少なくともそう見えることが多い)態度につながってるんじゃないかなって。だから私はいまではよく自助グループで、「精神科医に優しくしよう。彼らはある意味では私たちと弱者同士という仲間なのだから」というテーゼをしゃべっています。私の自助グループには精神科医や心理士が「助けてください。ほんとうは私が障害や病気で困ってる側です」と頼ってくることもあって、私は「この人たちは降りていく勇気をちゃんと持った人だ!」と感動してしまいます。
それにしても、トシが自助グループに出会ったのは、もう四半世紀も前だなんて、驚き桃の木。この往復書簡は、トシは精神医療の世界の代表、私は自助グループの世界の代表だ、という認識でいたけど、トシは自助グループに関する見識でも大先輩なんで、まったくそうではなかった(笑)。
アルコホーリクス・アノニマス(AA)との出会い
私が大学を休職することになって発達障害の診断を受けたのは2019年3月から4月くらい、秋から依存症の治療を受けるようになって、初めて自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス」(AA)を体験したのもその頃。いまから4年ほど前になります。その少し前から、津島隆太さんのマンガ『セックス依存症になりました。』がウェブ連載されていて、セックス依存症のための自助グループが描かれていて、それで初めて知りました(それにしても、セックス依存症って、正式にはまだ依存症として認定されていないのに、セックス依存症患者のための自助グループはちゃんとあるんですね)。
私がAAで体験したミーティングも、そのマンガのなかの描かれ方と同様に、あるいはトシ自身が体験したように、ショッキングでした。赤裸々に語られる痛々しい記憶や奇妙奇天烈に見える近況は、現実感覚がグニャングニャンに狂わされていくかのようで。じぶんのせいで一家離散となって、何度も自殺しようとしたけど果たせないままだ、と泣きだす初老の女性。酒はなんとかやめられているけれど女装をして深夜徘徊するのがやめられないと語るマッチョな体つきに見える中年男性。そういう語りを聞いているうちに、じぶんも「最奥の部分」を語らなくては、ほかの参加者たちに失礼だと考えるようになって、見様見真似でなんでも語るようになりました。
私の『みんな水の中』とか、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋、2022年)とか、『ひとつにならない――発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス、2022年)とか、赤裸々すぎて衝撃的と言われたりしますが、それは結局AAでこねはじめた生地の完成品ということになると思います。
トシが感動したという「平安の祈り」は私も好きで、宗教臭はあっても、内容自体は普遍的な知恵だなと思います。アメリカの作家カート・ヴォガネットも『スローターハウス5』で引用していて、この小説を読んだのは高校生のときでした。私は「宗教2世」だから、しかもキリスト教系のカルトだったから、「神さま」に関する話は、人一倍の抵抗感を覚える一方で、なんとか格闘して公平に評価しなくてはならないと思わせられるものでもありました。それで、感動した私の記憶にグッと刻まれました。高校生のときの私に「35年ぐらいあとに、この祈りにまた再会することになるよ」って教えてあげてやりたいです(笑)。
それで大切なポイントですが、私はじつは、じぶんが主催している自助グループではこの「平安の祈り」も、AAなどの「アノニマス系」で回復のメカニズムとして前提になっている「神」や「ハイヤーパワー」の原理も採用していません。これらのグループ(自助グループの源流!)では、じぶんの無力を求めて、神やハイヤーパワーに身を委ねることで、回復していくというプロセスを示しますよね。AAに行くのをやめた依存症仲間と話していると、「宗教っぽくて嫌だった」とよく言っています。日本人に合うように、神道っぽかったり仏教っぽかったりしたら違和感は少ないのかもしれないけれど、アノニマス系はどうしてもキリスト教の香りがしますからね。AAの聖典と言える『ビックブック』を読むと、どんな神でも良いと書かれているから、ほんとうはキリスト教の唯一神に限らず、アラーでも仏でも天照大神でも、あるいはじぶんで空想した超越的存在でも信じる対象にして良いという仕組みですが、宗教的な空間へと導くことで、回復を図るのには変わりません。
『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版、2022年)などの本で詳しめに論じたことがありますが、結局このアノニマス系の方式は、「依存先の振りかえ」なんですよね。心にトラウマを負って、フラッシュバックなどで死ぬほど苦しいから、それをやわらげようとして、アルコールやタバコを含めた薬物とか問題行動に手を出す。一時的な快楽を得て、少し楽になったように感じるので、どんどんのめりこんでしまう。でも、どれだけ物質や行為に耽っても、完全に苦痛が除去されるには至らない。そうして脳内の過剰な化学物質によって、脳機能に支障が発生してアディクションの患者になっていく。そこで、「より安全なものに依存すれば良い」という発想がアノニマス系の発想だった。いわばハーム・リダクションの先駆。「神さま」、「ハイヤーパワー」、12ステップによる回復への道程、「平安の祈り」にすがれば、心の空隙が埋められて、アディクションから脱出できるというわけです。
私はこの仕組みに納得できています。非常に理屈が通っていると思って、自助グループに惹かれました。ところが、宗教2世としての背景のために、アノニマス系にはどうしても安住できなかった。なにせ、どんな神でも良いと言っても、ミーティングの空間は結局のところキリスト教的な雰囲気にそっくりになる。なによりミーティングのために会場を貸しだしてくれる施設は、公民館を除くとキリスト教の教会が圧倒的に多い。それで、私はミーティングに参加するたびにフラッシュバック――私は「地獄行きのタイムマシン」と呼んでいます――が悪化して、耐えられなくなった。ほかの参加者たちは、ミーティングに参加したことで、「仲間」との連帯に励まされ、心の空虚感が埋められて、飲酒から遠ざかるのに、私の場合は、ミーティングに出ることで地獄行きのタイムマシンが雄叫びをあげて爆進しやがるから、ミーティングに出ると、帰ってから、あるいは帰り道で余計に酒を飲んでしまうということになった。この問題をどうするのか、ということが自助グループに参加するようになった当初の喫緊の課題でした。
初めてAAのミーティングに参加してから半年くらいしてから、私は自助グループを主催するようになりましたが、結論として私はアノニマス系とは異なるタイプの自助グループをやるようになったんです。発達障害者向け、アダルトチルドレン向け、宗教2世向け、LGBTQ+向けというように、その数はどんどん増えていって、いまは9種類の自助グループを主催しています。でも紙幅が尽きたので、それらがどんなふうなのかは次回また書こうと思います。一言だけ予告しておくと、私が主宰する自助グループでは「神さま」には退場してもらったけど、トシも感動したという「仲間」には大活躍してもらっている、というあたりですね。
次回は、松本俊彦さん(トシ)のお返事です。
【お知らせ】
当連載を収録した書籍『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』が発売決定! 全国書店やAmazonなどの通販サイトで、2024年9月13日より発売いたします。
筆者について
まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として『自傷行為の理解と援助』(日本評論社) 、『アディクションとしての自傷』(星和書店)、『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版)、『アルコールとうつ、自殺』(岩波書店, 2014)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『もしも『死にたい』と言われたら』(中外医学社)、『薬物依存症』(筑摩書房)、『誰がために医師はいる』(みすず書房)、『世界一やさしい依存症入門』(河出書房新社)がある。
よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)、『あなたも狂信する――宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。