酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第1回

へい、トシ!(横道誠)

学び
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 依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

第1回はこれまた一筋縄ではいかない、横道さんの自己紹介から……

マコトの依存遍歴――クレプトマニア(窃盗症)、セックス、過食、酒。

 へい、トシ! 最初の打ちあわせで、この往復書簡では「松本先生」と「横道先生」でなくて、「トシ」と「マコト」と呼びあうと決まって、うれしかったです。アルコホーリクス・アノニマス(「匿名のアルコール依存症者の会」を意味し、略称は「AA」)などの「アノニマス系」とか「12ステップ系」と呼ばれる自助グループで、参加者たちが「ヘイ! 〇〇」と呼びあっているのを、「うわあ、マジか」「欧米かよ!」と呆れつつ、自分はこんな「陽キャ」っぽくできないなとも思いつつ、ひそかに憧れていたんです。ぜひ返信では、私と同じく「陰キャ」を自認する――と打ちあわせで言ってましたね――トシも、「へい、マコト!」で応答を始めてくださいね。

 マコトはアディクト(依存症患者)です。アディクション(依存症、嗜癖のこと)の最初は、小学校中学年でクレプトマニア(窃盗症)になったことからです。万引き行為って、最初は欲しい商品だからこそ盗んでいたはずなのですが、だんだんと万引き行為そのものに夢中になってしまって、欲しくないものまで盗むようになりました。4年か5年くらいで捕まってしまって、恥ずかしいと感じて収まりました。それからはやっていませんから、アディクションの程度としては浅かったのかもしれませんね。でも、この時代の窃盗行為は自分が初めて明確に「加害者」になった経験だったので、長年ひっそりと心に秘めたままでいました。自助グループの経験に依拠した本を出すようになっても、なかなか告白できないでいました。

 少し遅れてオナニーを覚えましたが、それこそサルのように病みつきになりました。いや、この言い方はサルに失礼ですね。サルがオナニーに病みつきかどうか、私には知識がありません。まあ、いずれにしても、空想上のサルのようなイメージで病みつきになって、二十代の頃は性的な逸脱に耽りました。ですから私は「セックス依存症」に興味があります。いわゆるセックス依存症は、まだアディクションかどうか結論が出ていなくて、ICD-11(『国際疾病分類 第11版』)では「強迫的性行動症」と呼ばれていることを知っています。早くアディクションとして認知されると良いな、と私は思ってしまいます。酒や薬物だけでなく、ギャンブルがアディクションと認められているのだから、セックスだってそりゃあアディクションでしょうよ、と私は(しろうとだからかもしれませんが)思ってしまうんです。

 ほかのアディクションとしては、過食ですね。摂食障害もアディクションの一種だとされていると聞いています。もともとは、好き嫌いが激しい自閉スペクトラム症児らしく、私も少食や拒食で悩んでいたのですが、教室で昼休みにまわりで掃除が始まっても、ひとり泣きながら嫌いな野菜を咀嚼している毎日が嫌になって、「今日からはなんでも食べる!」と決意しました。コツは味を感じないようにあまり噛まずに飲みこむことで、そうやってなんでも食べられるようになったのですが、今度は過食になってしまって、肥満傾向の児童が爆誕しました。残念ながら、私は人生のほとんどの時期で「軽度肥満」のままで生きています。40代も半ばになったので、そろそろなんとかしたいのですが、なかなか痩せません。

 それはそうと去年、長年の過食が仇となって、ついに糖尿病の診断を受けました。血糖値をさげるための注射を毎日何回もおなかに打って、糖質が高いものは控えめに摂取する生活になりました。常食のように食べていた各種のアイスクリームやチョコレートとはお別れし、ジュースなども飲まなくなって、毎日ゼロカロリーのコカ・コーラやカルピスやスポーツドリンクを飲んで、食欲を誤魔化しています。米、パン、麺類などをドカ食いするのを避けるべく、味覚上の快感が大きい肉食が多くなってしまいました。結果として血糖値はさがったものの、コレステロール値があがってしまい、今度は血糖値をさげる薬だけでなく、コレステロールをさげる薬までもらうようになりました。こちらは飲み薬なのですが、悲しいです。

 私がいちばん依存してきたのは、なんといっても酒です。一年浪人して一九歳で大学に入り、学科の教員たちから酒飲みとして、しこまれました。春の最初の合宿で夜更けまで飲みつづけるという宴会が開かれ、「もう飲めない」と言うと、「男のくせに情けない」と批判され、軽蔑された眼で見られました。1990年代末の公立大学でも、そんな状況だったんです。それから11年後に母校に常勤教員として赴任したら、同僚になった私の恩師たちが、入学式後の学科ガイダンスで「未成年が酒を飲むのは絶対にダメだぞ」と力説していて、「もう飲めない」と言ったときに私を見つめた軽蔑の視線を思いだしました。時代の流れって、そして人間の変わりようって、恐ろしいですね。

「なんだかじぶんだけうまくいかない」

 これらのアディクションの自分史は、子どもの頃から精神疾患に関する問題を抱えて生きてきたことから来ている、というのが私の自己分析です。精神疾患に由来する苦悩から逃れるために、アディクションの問題は、思いかえせば、いつも身近だったと感じます。松本先生が紹介してこられた、アディクションは快楽に溺れるためにではなく苦痛から逃れるためにハマってしまうという「自己治療仮説」には非常な説得力を感じます。

 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院と、「なんだかじぶんだけうまくいかない場面が多い」とずっと感じてきて、「いわゆる学校社会がじぶんに合っていないのだろう」と思っていたのですが、社会人として働きはじめると、「一般社会のほうがじぶんに合っていない」とわかって、愕然としました。人間関係はうまく行かないし、フラッシュバックは毎日のようにあるしで――私は「地獄行きのタイムマシン」と呼んでいます――酒に溺れるようになりました。帰宅して、18時くらいから23時くらいまで飲みつづけて、何度もコンビニに買い足しに行って、日が変わった頃に眠る。休肝日は18歳のときから44歳の現在まで、合計30日に満たないと思います。やがて睡眠障害で苦しみ、鬱状態になり、休職しました。

 アディクション以外の私の精神疾患について説明しましょう。まず私は、発達障害者です。休職したのは40歳のときで、初めて精神科のクリニックに通い、検査をして診断されました。自閉スペクトラム症(ASD。コミュニケーションの困難、こだわり、感覚過敏などを特性とする)と注意欠如・多動症(ADHD。多動、衝動、不注意などを特性とする)ですが、ほかの発達障害もあります。発達性協調運動症(深刻な不器用や運動音痴を特性とする)と、限局性学習症(書字、読字、算数などの不得意を特性とする)の傾向があって、吃音が出ることもあり、子どもの頃はかなりのチック症で、いまでも名残があります。発達障害のカテゴリーに入る精神疾患がたくさん併発しています。

 診断されてしばらくは、発達障害の問題に強いそのクリニックに通っていたのですが、発達障害支援センターの支援者に勧められて、お酒との付きあい方を見直した方が良いと指摘され、アディクション専門外来のクリニックにも通うようになりました。しばらく両方のクリニックに掛け持ちで通院していたのですが、いまはアディクション専門外来だけに通っています。

 私は昨今話題の「宗教2世」でもあります。小学校の低学年の頃に親がエホバの証人に入信して、生活が一変しました。週に二回夜に、一回昼に集会に通って、聖書の勉強をしました。それ以外に週に一回、夕方に子ども向けの聖書物語を信者仲間に教えてもらう日もありました。エホバの証人は長年「輸血拒否」で有名でしたが、最近は「ムチ」と「忌避」の問題でも騒がれるようになりました。忌避とは教団内のルールを破った人(多くは結婚前に性行為をした人です)を公然と村八分にする「排斥」や、脱会を表明した信者と絶縁する「断絶」のことで、それらが人権侵害ではないかと物議を醸すようになったのです。ムチ問題のほうは、過激な体罰、つまり親信者から子信者への肉体的暴力の問題です。私は交通事故などの経験がないので輸血問題には無縁、子どもの頃に抜けたので忌避にも無縁ですが、ムチ問題では大いに苦しみました。ムチには皮ベルトや物差しなどが使われ、うちではガスホースでした。あの硬いゴム製のホースで叩かれると、非常に痛くて悪夢のようです。

 ムチをされていると、自分が幽体離脱をするのを感じるようになりました。母に非難され、一時間や二時間の正座をさせられ、ガスホースで臀部を殴りまくるムチをされ 、抱きしめられて愛情のためにやっていると言われる一連の行為を、私の体を脱けだした私が、離れたところから冷淡に見おろしているようになりました。途中から、その分裂した自分は私の意識にずっと留まるようになってしまい、それから30年以上が過ぎたいまも、そのままでいます。『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる、登場人物の特殊能力を視覚化した「スタンド」みたいな感じと言えば良いでしょうか。もしかしたら『ジョジョ』の作者の荒木飛呂彦にもそんな身体感覚があって、それでこのスタンドという発想にいたったのではないかな、と想像したりします。

 診断されたわけではないのですが、私には複雑性PTSDもあると思っています。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が、長期間の囚われによって、複雑化・深刻化するというもので、精神科医のジュディス・ハーマンが提唱したものですね。過去の出来事がパラパラと再現なくフラッシュバックしてくる症状自体は、自閉スペクトラム症にも備わっていることが知られていて、杉山登志郎さんが「タイムスリップ現象」と名づけましたが、これは一般的にはどうということもない出来事が自動再生されるもののようです。それに対して私は、子どもの頃からおとなになったあとまでの胸苦しい体験がぐちゃぐちゃとフラッシュバックするので、やはりこれは自閉スペクトラム症の特性というよりは複雑性PTSDだと思うのです。複雑性PTSDは2022年に刊行されたDSM5-TR(『​​精神疾患の診断・統計マニュアル 改訂版』)には、まだ精神疾患として採用されていませんが、2019年のICD-11には、精神疾患として採用されていますね。

 2010年代には、欧米で宗教的トラウマ症候群(RTS)という概念が知られるようになりました。宗教自体はもちろん悪ではないでしょうけれど、人間が組織を運営しているわけですから、当然ながらさまざまな不備があるわけで、場合によっては信者に害を与えます。「毒親」ならぬ「毒宗教」となるのです。宗教団体に苦しめられて、精神疾患を思わせる症状が出てしまうというもので、心理学者のマリーン・ウィネルが提唱しましたが、この概念は日本ではまだほとんどまったく知られていないので、周知されてほしいと願います。基本的には複雑性PTSDが宗教問題と絡まって顕在化しているものだと思いますから、正式な「精神疾患」とするのは違う気がしますが、私が精神医学や心理学を専門とする支援者、つまり精神科医や心理士と話していても、宗教問題にはなかなか対応できないことが多いと感じるので、その状況が改善されてほしいです。もっとも、宗教体験で苦しんだ患者側が「どうせ伝わらない」と予想して、あえて話題にしないようにしていることも、この状況の原因を作っているかもしれませんが。

 アディクション専門外来に通うようになってから、人生がかなり変わって、酒を飲むことはいまだにやめられていないものの、以前のような無茶な飲み方はすっかりなりを潜めました。私自身の判断では、一応「ほどほどに飲む」という感じでやれているかなと(人が見たら、また別の受けとめ方をするかもしれませんが)。トシが(この場合は松本先生のほうがいいか)も広めている「ハーム・リダクション」の考え方はすばらしいと感動しています。断酒するのは難しいけれど、アディクションの有害さ(ハーム)をぐっと減らすこと(リダクション)ならまだできる、というのは私にとって希望の星になりました。

 ところでアディクションの治療で通っていたクリニックの二階で、AAのミーティングが開かれていて、そこで初めて自助グループを体験しました。じきに、この自助グループを自分でやることになって、それが私の人生にとって決定的な意味を持つようになったのですが、しかしこの話はまた次回にでも書ければ良いなと思います。

次回は、松本俊彦さん(トシ)のお返事です。

筆者について

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)、『あなたも狂信する――宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として『自傷行為の理解と援助』(日本評論社) 、『アディクションとしての自傷』(星和書店)、『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版)、『アルコールとうつ、自殺』(岩波書店, 2014)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『もしも『死にたい』と言われたら』(中外医学社)、『薬物依存症』(筑摩書房)、『誰がために医師はいる』(みすず書房)、『世界一やさしい依存症入門』(河出書房新社)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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