大阪・梅田からそれほど遠くない、これといった特徴もない都島(みやこじま)という町に私は住んでいる。自宅から5分の場所に一軒だけ年季の入った旅館がある。ずっと気になっていたその場所に、ゴールデンウイーク明けの平日に泊まってみることにした。果たしてこれは旅なのだろうか。
こんなふうになんでもない日
家の近所にずっと気になっている旅館がある。私が住んでいるのは大阪府大阪市の都島という町で、最寄り駅である大阪メトロ都島駅の周辺こそ飲食店やコンビニが立ち並んでいるものの、これといった特徴があるような場所ではない。天満や梅田も遠くないし、JR大阪環状線の桜ノ宮駅も近いから交通の便はいいのだが、住んでいる人か、働いている人か、よっぽど何か特別の用事でもなければ歩くことのない町ではないかと思う。
その都島に一軒、ずいぶん年季の入った旅館が建っているのだ。少し足を延ばすとビジネスホテルやラブホテルがあったりするが、少なくともその旅館のある辺りには他に宿泊施設もなく、“住宅街にポツンと建っている旅館”という印象を受ける。
その旅館までは私の家から5分ほどの距離だ。私はいつもその旅館の前を通り過ぎてスーパーへ買い物に行く。行き帰り、たまに建物をチラッと眺めては、「どんな人が泊まっていくんだろう」などとぼんやり考えるのだ。
住み慣れた東京を離れ、大阪の都島に移り住んでから8年ほどになる。ずっと眺めるだけだった旅館に、ふと、泊まってみることにした。特にそれが今である意味はないのだが、5月の連休が終わったばかりの平日、あそこに宿泊するならこんなふうになんでもない日がいいんじゃないかと思った。
前日に電話で予約をし、16時にチェックインする旨を伝えてある。チェックインも何も、家から5分歩いて、その宿へと入っていくだけだ。これはなんだろうか。旅と呼んでいい行為なのだろうか。
引き戸を開けるとドアの動きに連動してチャイムが鳴り、宿の方が姿を見せた。「いらっしゃいませ。スズキさんですね」「はい、そうです。よろしくお願いいたします」
受付前にはソファとローテーブルが置かれている。空間を構成する木材の風合いが長い時間の経過を感じさせる。住所や氏名を記帳する際、私は聞かれてもいないのに「すごく近くに住んでいて、ずっと泊まってみたかったんです」と話した。記入する住所があまりに近所のものなので、不審がられはしないかと思って先手を打ったつもりである。「ああ、そうなんですね! それはそれは、ありがとうございます」と、お店の方は特に驚く様子もなく、優しく受け止めてくださったようだった。
許可をいただき、建物の中をパシャパシャと写真に撮る。初めて来る場所の全方位に新鮮さを感じる視線の動きそのままに、あちこち撮りまくってしまった。
渡された部屋の鍵には週刊少年ジャンプで連載されていた『NARUTO-ナルト-』というマンガのキャラをかたどった小さなキーホルダーが取り付けられている。階段を上がって2階へ。8畳ほどの和室が今日の私の寝床だ。
「古いでしょう。ここを建てた私のおじいさんの趣味なんです」と教えてくださったのは、この宿をお母さんと一緒に切り盛りする町田容子さんである。容子さんの祖父がこの宿を開業したのは60~70年前のことだという。のちに容子さんのお母さんである吉川佳代子さんとふたり、この宿を受け継いだのだとか。
「こちらがお風呂です」と見せていただいた浴場のタイルのパターンはデザイン性に富んでいる。また、その部屋と浴場の境の壁にはめ込まれた透かし彫りのガラスも、ずいぶんと凝ったものに見える。
「いつも外から見ていた建物の中がこうなっていたとは」「屋根を修理したりした以外は、昔のまま手を入れていませんのでね」「おお、そうなんですね」「ええ、では、ごゆっくりどうぞ。何かあれば下におりますので」
ひとりになり、しばらくのあいだ、部屋を眺める。布団に寝転んでみる。旅先の宿に荷物を置いたばかりのちょっと落ち着かない気分で時を過ごし、廊下に出てみたり、また部屋に入ってみたりする。そうしながら少しずつ、この空間に体を馴染ませていく感覚。
都会の田舎
家から一応持ってきたノートパソコンを部屋のテーブルの上に置き、起動させてみたものの、仕事をする気にはなれず、まだ少し早い時間だが夕飯を食べに行くことにした。
受付に立っていた容子さんに部屋の鍵を渡し、ついでに聞いてみた。
――近所なのにこんなことを伺うのも変なのですが、ここに泊まっていく方におすすめの飲食店を聞かれたらどこを案内していますか?
「そうですねぇ。梅田に行ってくださいといいますね(笑)」
――ああ、そうなんですね。梅田に出たほうがいろいろあるし。
「そうですそうです。あとは天王寺とか新世界のほうとか、地下鉄に乗ったらすぐ行けますからね。観光で来られる方が大阪らしいものを食べようと思うとそっちのほうがね。まあ都島も駅前のラーメン屋さんとか、たこ焼きとかね、ありますけど、やっぱり新世界辺りまで行ったほうがいろいろね」
――確かにそうですよね。どこに出るのも便利ですもんね。ここに泊まるのはどういう方が多いんですか?
「今はコロナであれですけど、それまでは観光の方が多かったですね。旅行サイトで見て、それで来られたりとか。ここは梅田や新大阪辺りからタクシーに乗ってもすぐですからね」
――なるほど、梅田の辺りで泊まるよりちょっと静かでいいかもしれない。
「都島は都会の田舎って言われてるんです(笑)」
――確かに。賑やかな町の近くの、ちょっと落ち着いた場所というか。ずっと都島に住んでいらっしゃるんですか?
「そうですそうです。小学校も中学校もこの辺りで。京橋行ったり天六(天神橋筋六丁目)行ったり、ミナミのほうにあんまり行かないですね」
――昔の都島はもっと賑やかだったと聞いたことがあります。
「そうですよー。市電が通っていてね。今、スーパーの『グルメシティ』になってるところが、昔は映画館でしたからね。『医療センター』の脇に市電の車庫があって、うちは昔食堂もやっていたんでそこで仕事をしている方が食べに来られたりとかね」
――へー! そうなんですね。
「あとはね、ここを真っ直ぐ行った、大きなマンションになっているところに『十條製紙』っていう製紙会社があって、その向こうには『カネボウ』の工場があって、そこの方もよくお客さんで来られてましたね」
――昔はこの辺りに他にも旅館があったんですか?
「ありましたありました! うちの隣もそうでしたし。今はマンションになってますけどね。大通りのケーキ屋さんあるでしょう? あの裏手とか、自動車学校の近くとかね。ポツポツあったんですよ」
――表の看板に「国民旅館」と書いてありましたが、そういう区分のようなものがあったんですね。
「昔、そういう連盟っていうのがあって、今はもうなくなってしまって大阪府旅館協同組合みたいになっていますけど」
――この旅館は何部屋あるんですか?
「8部屋ですね。昔のまんまでね。そういうのを喜んでくださる方もいますけど。おじいさんの趣味で、まあ、こういうのが流行ってたんでしょうね(笑)」
――今は素泊まりだけなんですよね?
「そうなんです。昔は食事も出してたんですけどね。長期滞在の方が多かったりしたので、そういう方に向けてね。母も高齢になってきたので、今は素泊まりだけにしています。母がもうちょっと若いときはふたりでやってたんですけど」
――お仕事で長期滞在していく方がいたりしたんですね。
「ええ。何年か前もいらっしゃいましたよ。すごい忙しい税理士さんで、どうしても大変なときに『ちょっとやらせてください』ってひと月いらっしゃってね」
――ひと月も!
「部屋中に書類広げてね(笑)。こういうところで集中してやるほうがいいんでしょうね」
――缶詰めになって仕事をするのにもいいんでしょうね。自分の知らない都島のことを教えていただいて、すごくおもしろいです。
「都島は住みやすいですし、大好きです。昔に比べると遊ぶ場所は少ないですけどね。私は子育ても終わっているのでいいんですけど。昔は『子供会』とかっていってバスを何台も借りて遠足に行ったりとか、この辺も子供が走り回って遊んでましたけどね。今はこの辺りはちょっと古いというか、地の人ばっかりでね。向こうのほうはマンションは建って若い人も増えてますけど」
――マンション、どんどん建ってますよね。
「そうですね。そこの角も昔は食堂だったんですけど、マンションになって。この辺もだいぶ変わってきてますね。商店街もね、昔は市場があって、魚屋さんとか花屋さんとか、活気ありましたよ。香港みたいな感じで(笑)」
――その頃の商店街を見てみたかったな。
よく知っている町の知らない夜
お話を聞かせてくれた容子さんにお礼を言い、私は外へ出た。そのまま梅田方面へとぶらぶら歩き、中華料理店でラーメンを食べて部屋に戻った。
夜になって宿に戻ってくると、表の「くず乃は」という文字看板が明るく光っていた。そうだ、今日の私はいつもの家ではなく、この宿に帰るのだ。
鍵を受け取って部屋に戻り、お風呂にお湯をためることにした。蛇口をひねり、適温を慎重に確かめながら湯舟にお湯を注ぐ。
お風呂でしっかり体を温め、浴衣に着替えてゴロゴロする。テレビを観ながら、買ってきてあった缶チューハイを飲む。当たり前だが、いつもの自分の部屋と違う匂いがする。風呂場の窓の外から、犬が吠えるのが聞こえる。すぐ近くの、いつも通りの家で過ごしている息子から「旅館いいなー」とLINEが来る。部屋の写真をいくつか送り、「いいだろ」とメッセージを返しながら、ひとりでいるのが少し寂しくもなってくる。きっと息子は、大好きなサンドウィッチマンの出ているテレビのバラエティ番組を観ながら夕飯を食べているのだろう。私も今、そう遠くない場所で同じ番組を観ている。
ほろ酔い加減で眠くなってきたので早々に布団に潜ることにした。電灯から伸びた紐を引っ張って部屋を暗くする。今また吠えているのはさっきと同じ犬だろうか。よく知っている町の、知らない夜。
それから朝が来るまで、不思議な夢を見て何度も目を覚ました。見る夢は決まっていい夢ばかりだった。テレビや雑誌でよく見かけるような女性芸能人たちとなぜか同じ部屋で雑魚寝することになって、私は、「寒くないですか? よかったら毛布持ってきましょうか」などを声をかけている。「ありがとうございます。すごく優しいんですね」とみんなに言われ、私はその夢から覚めたあと、その人たちに対して臆せず、親切に振る舞えたことを誇らしく感じた。
そしてまた目を閉じると、今度はずっと会いたいと思っている懐かしい友達と談笑している夢を見た。「会いたかったんだよ。最近どうよー!」「何も変わらないよ。とりあえず、元気だよ」と、笑い合い、幸せな気分でまた目を覚ます。
浴場とトイレへ続くふすまを閉め切っているから外の光が入らない。外はまだ暗いのか、もう明るいのか。暗闇の中でスマホを探してみれば時間がわかるのだけど、そうするのも面倒で、また眠りに落ちる。次に目が覚めたとき、手を伸ばした場所にテレビにリモコンがあって、電源ボタンを押したら、大阪の町のあちこちを上空から撮影したものと思われる映像が映し出された。
夢うつつの状態でその映像を観ながら「私は今この町にいるんだな」と、やけに強い実感が訪れ、そう思っているうちにまた眠っていたのか、今度こそ朝になっていた。つきっぱなしのテレビのチャンネルを適当に切り替えると、子供の頃からよく知っているお笑い芸人が昨夜亡くなったというニュースが大々的に報じられていた。最初はこれもまたいくつかの夢のひとつかと思ったが、どうもそうではないようだった。神妙な声色のナレーションが流れるなか、その人が自分の持ちギャグを披露している映像がスローで、何度も繰り返し流れている。今日の朝は、その人のいない朝らしい。
部屋を片付けて身支度を整え、階下に降りる。鍵をお返しして、出迎えてくれた容子さんと、お母さんの佳代子さんに挨拶をして外へ出た。
当たり前だが外は朝で、そして雨だった。私はびっくりして「雨なんだ!」と思わず大きな声を出してしまう。容子さんがうしろから「大丈夫ですか? 傘をお貸しましょうか?」と声をかけてくれるが、「いえ、大丈夫です。近所なので!」と言葉を返して宿を後にした。
私は小走りで家に向かい、本当に、5分も経たないうちにいつもの部屋にたどり着いたのだった。
【お知らせ】
当連載を収録した書籍『家から5分の旅館に泊まる』が待望の書籍化! 全国書店やAmazonなどの通販サイトで、2024年7月25日(木)より発売いたします。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。