ここ1、2年ほど、娘のリクエストにこたえ、朝ごはんに同じメニューを3日に2回は作っている。自分が今の娘と同じ5歳くらいのころ、どんな食べものが好きだったかなんてまったく覚えていない。平日の昼、新しくできたカフェでビールを飲みながら思い出す霞のような記憶。
しおしょうゆバターとろたまごごはん
以前もちらりと書いたが、娘の朝ごはんの大定番メニューに「しおしょうゆとろたまごごはん」がある。もちろん、そんな既存の料理が存在するわけではなくて、考えたのも命名したのも娘。どんぶりによそったごはんの上に、とろとろに焼いたオムレツをのせ、そこに塩と醤油をかけ(娘がそうしてほしいと言うのでそういうことにしてあるが、塩気が強すぎるので、本当はだし醤油を少しかけるだけ)、最後に全体をざっくりと混ぜて食べるというメニュー。最近はそこにバターも入れてほしいと言い出し、「しおしょうゆバターとろたまごごはん」に進化した。
娘はこれが本当に、作るほうがあきれるくらいに好きで、3日に2回くらいはリクエストしてくる。それがもう、1、2年は続いてるんじゃないだろうか。そんなにうまいもんかと一度、昼間に自分用に作って食べてみたことがある。ごくまれに、娘がたっぷりと残してしまって冷めてしまったのを食べたことはあったものの、できたてのしおしょうゆバターとろたまごごはんは、ふわとろオムライスと玉子かけごはんとバター醤油ごはんのいいとこどりって感じで、確かにやたらとうまかった。
ところで先日、ふと思った。こんなにも大好きで、毎日のように食べているしおしょうゆバターとろたまごごはんのことを、娘は大人になっても覚えているかな? と。だって、自分が今の娘と同じ5歳くらいのころ、どんな食べものが好きだったかなんて、まったく覚えていないから。
いちばん古い記憶
そもそも、僕は記憶力があまり良いほうではなく、昔のことをどんどん忘れていってしまうタイプだ。子供のころのことなんて、ほとんど覚えていない。大人になってからはそこに酒の力が加わり、「記憶をする」という能力の扱いがさらにいい加減になって、どうしようもない。
思い出せるいちばん古い記憶は、幼稚園に初めて行った日の朝のことな気がする。前後は覚えていないけど、家の近所の道に送迎バスが停まっていて、僕はそこに乗せられようとしている。そして「おかあさんもいっしょにいくっていった!」と、大泣きしながら抵抗している。たぶん前日、母は僕に「明日からは幼稚園に行くんだよ。どうしても難しかったら、最初だけお母さんも一緒に行けないか、先生に聞いてみるからね」とかなんとか言っていたのではないか。もちろん無理に決まってる。それは、子供ながらに強く記憶に刻まれる、強烈な体験だったのだろう。
僕は年中から幼稚園に通いだしたので、それがちょうど、今の娘と同じ歳の出来事だ。娘はとても明るい子で、毎日毎日いろいろなことに大笑いしながら、楽しそうに過ごしている。好きなものもどんどん増え、保育園では友達もできた。特にNちゃんとは大の仲良しで、保育園で会うたび「Nちゃ〜ん!」「ぼこちゃ〜ん!」と、ほぼ毎日会ってるのにそこまで嬉しいかっていうテンションで大はしゃぎし、それを見ていると嬉しくなる。
けど、待てよ。あくまで、忘れてばかりの僕の場合だけど、今の娘の歳くらいになる以前の記憶は、なんにも残っていないのだ。娘は、生まれてから今までのことを、大人になったころにどのくらい覚えているんだろうか? 人間とはそういうものではあるけれど、考えだしてしまうと切なくなる。
公園の見えるカフェにて
娘の最近のブームに「交通公園」がある。
正式名称は「大泉交通公園」で、隣駅にある僕の実家から近い場所にある。僕も子供のころによく行っていたような気はするものの、かなり記憶は曖昧だ。ただ母が、「あんたもお父さんに連れられてよく行ってたわよ」と言っていたので、やはりそうなのだろう。すごく設備の整った公園で、自転車やゴーカートをレンタルして乗れる。園内には交差点や横断歩道、信号などがあって、遊びながら交通ルールを覚えられるというわけだ。ただ、詳細はあまりにもぼんやりとしている。公園は僕の実家から、通っていた小学校や駅へと向かう方面とは反対側にあり、きちんと物心ついて以来、近くに行ったことすらなかったので、なおさらだ。
そんな交通公園だったが、娘もきっと喜ぶだろうし、自転車の練習にもなるだろうと、一度連れて行ってみたら、見事に大ハマり。最近は週末のたびに「こうつうこうえんいきたい! こうつうこうつう!」と言ってくる。
約40年ぶりに交通公園を訪れたときは、ざわざわと心に鳥肌が立つような感覚があった。おぼろげな、完全にもやのなかに包まれたような記憶のなかの風景が、現実だから当たり前なんだけど、目の前に、細部までクリアに広がっている。
広さはこのくらいだったのか。自転車やゴーカートのコースはこうなっていて、夏に水遊びができるゾーンや、芝生の広場、ブランコや砂場まであったのか。ゴーカートはこんな形状で、こうやって前に進むシステムだったのか。それから妙に感動してしまったのが、公園のすみにある、実際に乗って遊べる蒸気機関車の形をした遊具。そうだ、これがすごく好きだった。近寄っていって煙突の部分を触ってみると、想像のなかで鉄道の旅をして飽きずに遊んでいた当時の光景が、突然にぶわっと思い出されるのだった。
ところで、急にモードが変わるけど、園内から見える隣接した建物のひとつが、民家を改装したカフェになっていた。まだピカピカに見えるので、最近できた店だろう。店からも公園が見渡せるらしき作りになっていて、なんと「一番搾り」ののぼりまで立っている。こりゃあ気になる。一度行ってみたい。ただ、娘を公園に連れて行く場合だと、疲れ果てるまで遊んであとは帰るのみになってしまい、なかなかタイミングがない。それに、決まって自転車で行くので、酒を飲むわけにもいかない。そこで先日、気ままなフリーライターという立場を生かし、平日の昼間に、のんびりと散歩がてらに行ってきてみた。するとこれが、とてもいい店なのだった。
店名は「サニーデイズキッチン」。広々として清潔な店内の窓から、広い庭と、その先の公園内が見渡せる。僕は日替わりランチプレートの「チキンソテー 春のいちごソース」(1250円)と、「キリン 一番搾り」(550円)を注文した。まず、ビールがめちゃくちゃ美味しい。これだけで間違いない店だということがわかる。続いてやってきたのは、雑穀米、紫キャベツとにんじんのピクルス、じゃがいもやハーブの入ったスパニッシュオムレツ風玉子焼き、すりおろしたじゃがいものスープ、チアシードとフルーツ入りのヨーグルト、以上がサイドに添えられた、チキンソテー。
一見トマトソースのようだが、口に含むと甘酸っぱいいちごの香りが広がるソースが、ふわりと柔らかいチキンと絡み合い、食べれば食べるほどにクセになる。あっという間にビールがなくなり、グラスワインの赤(400円)をおかわりした。
窓の外に目をやると、異常に天気がいい。公園で咲く満開の梅の花がよく見える。平日なので人出は少ないが、それでもたまに目の前を、ヘルメットをかぶって一所懸命自転車をこぐ小さな子供と、それを見守るお母さんが通りすぎたりする。ワインをちびちび飲みながら、いつもは自分もあっち側にいるんだよな。なんて考えていたら、なんだか俯瞰的、メタ的な、不思議な気持ちになってきた。どこかあの世っぽくもある。
約40年前、すでに亡くなってしまった父も、この公園で、自転車やゴーカートをこぐ僕を見守ってくれていたのだろう。そのとき、どんな気持ちだったのだろうか? 想像することしかできないが、今、自分がその立場となり、なんとなくではあるけれど、わかる気がする。
子供が楽しそうであれば、親というのはそれだけで幸せを感じるものだ。そんな感慨と、いちごソースのチキンソテーをつまみに飲むワインは、なんともオツな味だった。
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パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第28回は、2023年3月17日(金)17時配信予定です。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。