「チェアリング」という活動を生み出し、お酒の企画ではテレビ、新聞、雑誌、ウェブメディアに欠かせない存在となった酒場ライターのパリッコさん。「育児エッセイだけは絶対に書かない」と心に決めていた著者による初の「育児と酒」についてのエッセイ連載。これまで子育ての苦労や幸せを綴った育児エッセイは偉大な先人たちが数多く残している。しかし、「育児しながらどう酒を飲むか」がテーマの文章はほぼ存在しないのではないか。その苦難と小さな幸せを、すべての同志たちとともに。
「育児エッセイだけはちょっと……」
2017年の春に娘が生まれて以降、ライターの先輩たちに「いつか育児エッセイを書くかもしれないんだから、おもしろいエピソードはメモしておいたほうがいいよ」とアドバイスを受けたことが何度かある。が、僕はあえてそれをしてこなかった。だって、子供が産まれるとわかった瞬間に、「育児エッセイだけは絶対に書かない」と心に決めていたから。
僕は赤ちょうちんのぶらさがった大衆酒場が主な仕事場の「酒場ライター」。柄じゃないにもほどがある。
ところが今回、『OHTABOOKSTAND』での連載の話を、プライベートでも大変お世話になっている編集者の森山裕之さんからいただき、「どんなテーマがいいですかね?」なんて話していたときのことだ。森山さんが何気なく「パリッコさんがよくTwitterでつぶやいているお子さんのネタ、好きなんですよ。育児ものなんてどうですか?」と言うのだ。そこではたと気づく。なんということだ! 僕は無意識に、娘に関する親バカメモをせこせこと書きとめてしまっていたのか! まったくSNSとやらは油断ならん。などと思いつつ、しかしまずは一度「育児エッセイだけはちょっと……」とお断りした。
しかしさすがは百戦錬磨の森山さん。「普通の育児エッセイじゃなくて、酒飲み視点のもの、読んでみたい気がするなぁ」なんて言う。確かに、子育ての苦労や幸せを綴った育児エッセイは偉大な先人たちがたくさん世に残している。が、「育児しながらどう酒を飲むか」の苦労がテーマのものは、あまり読んだことがないし、僕自身も読んでみたい気がする。
そう思ったとたん、こんなこともあった、あんなこともあったと、ネタがどんどん湧き出てきた。
というわけで、そもそも人生の軸がぶれぶれな僕は、ここに「育児と酒」がテーマのエッセイを書き始めてしまっているのだった。
それでも酒が飲みたくて
そもそも「育児と酒」なんて、「水と油」以上に相性が悪いもののような気がする。ここまで読んですでに「けしからん!」と憤慨している方もいるかもしれない。が、以前こんなことがあった。
ある休日の昼間、仕事で阿佐ヶ谷の角打(かくう)ち店(店頭で酒が飲める酒屋の総称)を取材していたときのこと。若い夫婦が立ち飲みをしていて、奥様は胸に小さな子供を抱いていた。その姿があまりにも幸せそうで、つい「よく来られるんですか?」と聞いてみる。すると「いえ、前はよく来てたんですけど、妊娠してからはぜんぜん。でも、この子の授乳期間がやっと終わったから、今日、何年かぶりに一杯だけ飲みに来たんです」とのこと。僕は心の中で泣いた。こういう幸せな側面があるからこそ、人生をかけて追い求めてみたいのが「酒」なんだよ! と。
自分に子供ができたことにより、生活はかなり変化した。以前は休日ともなれば、夫婦で「今日はどこ行く?」なんて言って、時間も気にせず飲み歩いていた。もちろんここ数年、そんなことはできていない。が、今はこういう時期だからと、なんだかんだ楽しんで生活している。ただそれでも、僕は、隙あらば酒を飲みたい人間だ。どうしても生じる苦労はある。
たった5分の自由時間
たとえば子守り中。妻が家事をしてくれているあいだ、僕が娘を外に連れ出すことになった休日があるとしよう。酒を飲んで自転車に乗れば飲酒運転になってしまうので、歩きやベビーカーの場合限定になってしまうけど、さすがにビール1杯やチューハイ1缶で酔っぱらうということはない。その一杯を上限に、タイミングがあれば酒を飲んでいいというルールを、僕は自分に設けている。ただし、そのタイミングを見つけることが至難の技なのだ。
ある晴れた休日、ベビーカーに娘を乗せて近所の石神井公園(東京都練馬区)に連れてゆき、ひとしきり遊んだあと、おやつでも買ってひと休みしようかと提案した。池のほとりのケーキ屋に娘のハマっているドーナツがあって、それを買ってやると言えば断られる理由がない。が、そこからが苦難の道だった。
僕が「このドーナツ、『いせや』さんで食べさせてもらおうか?」と聞く。すると娘は、店の目の前にあるベンチを指差し、「ここでたべたい」と言う。「でも、いせやさんもすぐそこだよ?」と説得を試みる。ちなみにいせやさんとは、駅前の商店街にある「伊勢屋鈴木商店」という酒屋で、店頭にテーブルとベンチがあって、店内で買った酒はもちろん、生ビールまで飲める天国だ。かなり自由に過ごさせてくれる店で、女将さんには娘が赤ん坊の頃からよくしてもらっている。つまり僕は、娘にそこでドーナツを食べさせつつ、生ビールが飲みたいのだ。
ところが娘は一刻も早くドーナツを食べたいから、どうしても首を縦に振ってくれない。あまつさえ、「いせやさんにはもうなんかいもいったでしょ〜?」と、独特な持論を展開してくる。「いや、いせやさんには何回行ったっていいんだよ……」とは思えど、こうなってしまってはお手上げだ。僕はベンチで娘がドーナツをほおばるさまをぼけーっと眺め、満足した娘に「じゃあ、帰ろっか」と告げ、ベビーカーへ乗せて歩き始めた。
すると、ベビーカーの振動ってきっとすごく心地がいいんだろう。気がつくと娘がスースー寝息を立てている。うおー、チャンス到来! 慌ててコンビニに寄り、タカラ「焼酎ハイボール レモン 350ml」を1缶買って公園へ。木漏れ日の下、周囲にひとけのないベンチを見つけ、ベビーカーを横づけし、ひっそりと飲む。ごくり……ごくり……ひと口ずつ大切に飲むチューハイが、いつにも増して沁みる。娘はあいかわらず、穏やかな顔で眠っている。
ふいに生まれた、たった5分ほどの自由時間。それを全身全霊で満喫したら、僕はまた何事もなかったように歩き出す。こんな苦労は、そしてこんな酒は、きっと今だけしか味わえないんだろうな。と思うと、意外に悪くない。
【お知らせ】
当連載を収録した書籍『缶チューハイとベビーカー』が待望の書籍化! 全国書店やAmazonなどの通販サイトで、2024年6月26日より発売いたします。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。